真田ナオキ、電気、水道、ガス止められ、放浪の旅 演歌を歌うために生まれてきた…インタビュー完全版〈3〉

投球フォームを見せる真田ナオキ
投球フォームを見せる真田ナオキ

 昨年、「恵比寿」でメジャーデビューし「第62回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞した歌手の真田ナオキ(31)の新曲「本気(マジ)で惚れた」が17日に発売される。前作同様、師匠の吉幾三(68)が作詞・作曲は手掛けているが「歌い出だしが難しくて、師匠ベタ付きで録(と)りました」とレコーディングでの苦労を明かした。20歳を過ぎて歌手を目指し、16年にインディーズで歌手デビューするものの鳴かず飛ばず。下積み生活を送ったが「自分の人生の中では楽しい思い出」とも。ケガで野球を断念し、10代で電気や水道を止められる極貧生活を経験し、そして放浪の旅―。これまでの歩みは演歌の世界を地で行くものだった。(ペン・国分 敦、カメラ・佐々木 清勝)=紙面未収録インタビューを加えた完全版〈3〉= 〈2〉より続く=

 15年に吉の作詞・作曲の「れい子」で、インディーズ歌手としてデビューを果たした。吉はどんな師匠なのか。

 「師匠は自分が相手にあれこれやってあげるのが好きな方です。ライブ出演させてもらった後で『ナオキ、食ってけ』って、前日からスープを仕込んでいたラーメンを振る舞ってくれますし、焼き肉屋でも『お前が焼くな。俺が焼いた方がうまいから』ってやってくれるんですね。楽曲に関しても『歌いたいメロディーライン、こんな詞を歌いたいとかあったら言いなさい。俺もまだたくさん引き出しはあるからな』って。イメージしていた師弟関係とは違うかもしれないですが、間違いなく歌手・真田ナオキの父です。師匠からは『今は難しいかもしれないけど、ファミリーを持てるぐらいのアーティストになりなさい』って言われます。師匠はバンドも持って自分ら弟子もいます。僕もそれぐらい大きなアーティストになりたいと思います」

 デビューしたものの鳴かず飛ばずの時期が続いた。所属事務所もない立場に不安も感じていたそうだ。

 「当時は所属事務所もなくレコード会社の預かりでもない。どこかの事務所に入りたいな~という気持ちが強かったです。デビューの頃は紙袋を片手にキャンペーン、どさ回りをしていた感じでした。『酔いのブルース』(18年)からイベントで、ちょっとお客さんが多いなという感覚はありました。『ウチにこないか』って何社かに声も掛けていただきました。その時、右も左も分からない僕を教えてくれた今のマネジャーが『テイクオフ』さんを見つけて下さって、横山(武)社長も快く『一緒にウチにおいで』って言って下さり、お世話になった次第です」

 師匠を得て所属事務所も決まり、メジャーデビュー。すべてのベクトルが真田に向いたが、運だけでつかみ取ったものではない。10代で経験した過酷な体験が不動の性根を作ったようだ。

 「デビューできなかったり、デビューしてから仕事がなかったり。苦労もありましたが、人生として振り返った時、15歳ぐらいが一番きつかったです。僕、中学卒業して働き始めたんです。両親が離婚して母も大変だったので…。当時の手取り14万円ぐらいで大半を母に渡していました。初めての1人暮らしだったから、お金の使い方やら分からないことばかりで電気、水道、ガス止められました。シャワー浴びようと思って蛇口をひねったら、いつまでたってもお湯にならずで、真冬なのにキンキンの水で体洗ったり。そのうち水も出なくなって、電気もつかないとか日常茶飯事で『今日はガスがやられたか』という感じでした。トイレは公園にいったり携帯電話も常に通じない状態。食べるのは生米という時期が数年ありました。そんな経験しているから、デビューしてから1日8件のスナック回りとかも平気で楽しかったんだと思います」

 ―いつぐらいから普通の生活に戻れた。

 「17歳の時に見かねた祖母が『ウチに住み込みなさいって』って。何年か祖母の所にいましたが、何を思ったのか『男は遠い知らない所にいかなきゃいけない』って。広島に行って2年弱くらい住んでいました。男らしいイメージが広島にあって。元々、1週間ぐらいの旅行のつもりでしたが、遊びすぎてお金がなくなって『こりゃ住まないとダメだ』って。1週間ぐらいは野宿生活。ただ銭湯だけは行けるように小銭持って、そこで洗濯もしてました。そのうち住み込みで働ける所を見つけて、2年弱ほど広島で過ごして、携帯も止まっているから親とかに連絡していなくて、8か月ぐらいして正月に帰ったら、一声が『あらっ、生きていたの』って。『どこにいるの。帰ってきなさい』『広島に住んでいた。仕事が落ち着いたら帰ってくる』って。そこから1年ほど広島に住み続けて、20歳で帰りましたが、その時は歌手とか考えていませんでしたね」

  • 真田ナオキ
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 デビュー当初、遅くして歌手を目指したことをハンデと考えていたが、今ではポジティブに捉えている。

 「多くの歌い手さんは、僕の人生にないメロディーとかもすごく多く持っています。自分は幼少の頃からたくさんの音楽を聴いて育ったワケではないので『このメロディーラインは苦手』というのが、他の歌い手さんより多いのは感じています。人より始まりが遅かった分、今から人より人一倍はなく、3倍、5倍やっていかなくちゃいけない。ただ、遅いのも今はプラスにも考えていて、知っちゃうと怖い事もあるでしょうが、知らないと怖がらないで済んでるところもあって、それはプラスになっているのかなって思います」

 ―最後に素になれる瞬間は。

 「けっこう常日頃から素のまんま。ステージで歌っている時もトークの時も素です。飾ることがすごい苦手で写真撮影、ジャケット撮影やMV(ミュージック・ビデアオ)撮影とか苦手で『カッコつけた顔して』とか言われると、どうしていいのか…。決まったポーズしかできなくて、カメラマンさんも困ってしまうぐらいで『こういう動きができない』とか言っていただいてなんとかこなしている感じです」

 明るい表情の中にもにじみ出てくる色気は、苛烈な人生を歩んできたからこそ醸し出せる。演歌を歌うために生まれてきた男だ。

=〈完〉=

 ◆真田 ナオキ(さなだ・なおき)1989年12月22日、さいたま市出身。31歳。少年時代は空手、野球に没頭し、小学5年時には少年野球・日本選抜に選ばれる。2011年の東日本大震災で被災地訪問する歌手に心を動かされ歌手を志す。16年にインディーズから「れい子」で歌手デビュー。18年に「酔いのブルース」がヒットし、19年に「テイクオフ」へ移籍。20年1月にテイチクから「恵比寿」でメジャーデビューし、同年の「第62回日本レコード大賞」で最優秀新人賞を受賞。趣味は競馬。熱狂的なヤクルトファン。空手は初段。身長177センチ、血液型O。

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