第14話「元魔王、魔術試験に参加する」
──そのころ、
「ばかな! どうして私が『魔術ギルド』に
教師カッヘルは
ここは、
さっき到着した『魔術ギルド』からの手紙を前に、教師カッヘルは荒い息をついていた。
手紙に書かれていた文章は──
『D級魔術師 カッヘル=ミーゲン
今回、貴公が提出した『試験候補地』の情報に重大なミスがあった。
それにより、下見に行った者が被害を受けた。
本来ならば即、貴公を呼び戻して
試験終了まで貴公は通常通りに仕事を行い、その後『魔術ギルド』に
「ふざけるな! 試験会場の下見に来た者がどうしたというのだ! そんな下っ端のことなど知るものか!! 私は、ゼロス=グロッサリアが最も目立つ場所を選んだだけだ!! それが私の失態になるのか!?」
裏山に魔物が出ることは知っていた。
だが、あそこは庶子のユウキ=グロッサリアが
同じ場所でゼロスを活躍させることで、彼の優秀さを見せつけるつもりだった。
なのに、下見に行った者が魔物に襲われるとは──
「ゼロス=グロッサリアさえ試験に通れば……」
唯一の希望はそれだけだ。
『魔術ギルド』の教育機関に入った者は、自分の
ゼロスに自分を師匠に選ばせれば、カッヘルもギルドで、それなりの地位を維持できるだろう。
きっとそうなるはずだ。ゼロスは自分に恩を感じている。そう感じるように教育してきたのだから。
だが、もしもゼロスが試験に落ちたら……?
「そうなったら……私も、決断しなければいけない」
カッヘル=ミーゲンは頭を抱えた。
(どうして私がこんな目に!?)
(どうして、ここで人生を賭けるような選択をしなければいけない!?)
(どうして……)
「があああああっ!!」
だん、だだんっ。
床に散らばった羊皮紙を踏みつける。何度も、何度も。
アイリス王女は予定通り、ここにやってくる。
試験は予定通りに行われる。おそらく、その場のカッヘルは今まで通りに扱われるはずだ。
「……ならば、私は『教師カッヘル』を続けるのみ」
ゼロス=グロッサリアには敵を設定した。
それを続ければ、あの者は今まで通りに──
「先生、よろしいですか?」
不意に、ノックの音がした。
ゼロス=グロッサリアだ。
「お話があります。入ってよろしいでしょうか」
「……お入りなさい。ゼロスさま」
散らばった羊皮紙を拾い上げてから、カッヘルは答えた。
ドアが開き、青い顔のゼロスが入って来る。
「……先生。なにか、大きな音がしたようですが」
「少し……手が滑りましてね、本を落としてしまっただけです。それより、どうされましたか?」
「……先生」
ゼロスは家庭教師の顔を見上げながら、つぶやく。
「僕は本当に、試験に合格できるのでしょうか」
「今さらなにを言っているのですか!?」
教師カッヘルは、ゼロスの肩をつかんだ。
「弱気なことをおっしゃらないでください! 王女殿下は、もう領内にいらしているのですよ!?」
「……だけど」
「あなたはグロッサリア男爵家の
「ユウキのこと……でしょうか」
「ええ。何度も申し上げたでしょう!? 庶子とは貴族の家に巣くう害虫だと。それを取り除くためにも、我々は力を合わせて共通の敵に立ち向かわなければならないと!!」
カッヘルは、ぎぎ、と、奥歯をかみしめた。
「我が家もそうでした。魔術に優れている庶子のせいで、ミーゲン家は大混乱になりました。私はゼロスさまに同じ思いをしてほしくないから、ゼロスさまのために申し上げているのです!」
「……でも、ユウキは……僕の……おとう、と──」
「いい加減にしてください! 何度も申し上げたでしょう!? あの者が、裏でなにをしているのか」
教師カッヘルはゼロスをにらみつけた。
ゼロスの脳裏に、今までカッヘルが告げた言葉が浮かぶ。
──ユウキ=グロッサリアはゼロスを追い落とそうとしている。
──裏で使用人たちにゼロスの噂を流している。それはカッヘルが探った。だから使用人たちは、自分とゼロスが一緒の時には離れていくのだ。
──妹のルーミアさえ、ユウキに懐いている。それも奴の策略。
──あんな話を聞いた。こんな話もあった。けれど、男爵には言うべきではない。やけになった奴がなにをするかわからない。
──ゼロスが優れた力を見せれば、すべて吹き飛ばすことができる。大丈夫……自分──教師カッヘルだけはあなたの味方だ──
「ゼロスさまには例のアイテムをお渡しいたしました。あれは私とゼロスさまを
「は、はい」
ゼロスは右腕につけた、黒いアミュレットを見た。
カッヘルからユウキについての話を聞くとき、いつもこれを身につけていた。
これに触れると、不安も治まっていく。今ではゼロスにとって手放せないものだ。
「ユウキどのを放置してきた結果、どうなりましたか。お父上が手放しでユウキどのをほめたのをお忘れですか」
「だが……あれはユウキに才能があるということでは」
「ならば、王女殿下が『男爵家すべての者を呼び寄せるように』との指示を下されたことは、どう説明するのですか!?」
「ひっ」と、ゼロスが小さな悲鳴を上げる。
大声で叫んだカッヘルが、拳で机を叩いたからだ。
家庭教師カッヘルは、反論を許さない。最初はゼロスもカッヘルが怖かった。
けれど、もう慣れた。
『古代魔術』の腕は上がっている。こうして『魔術ギルド』の試験を受けられるまでになった。
それは教師カッヘルが
「なぜわからないのですか!? そもそもユウキどののことなど、王女殿下は知るはずがないのですよ? なのに殿下は男爵家全員を招集するようにという書状を下さった。そのことの意味、ゼロスさまにはおわかりのはずでしょう!?」
「……ユウキが僕を追い落とすために……自分の
「ご理解いただけてさいわいです」
「ユウキは……試験の間は旅に出ると言っていた。それも
「ご自分が危険な立場にあることがわかったでしょう?」
「…………カッヘル先生」
「あなたの味方は私だけ。私だけなのですよ。ゼロスさま」
教師カッヘルは、はぁ、とため息をついた。
それから、ゼロスの肩を軽く叩いて、
「ゼロスさまには才能がおありだ。ご自分を信じて、最高の魔術を使いなさい。王女殿下も認めざるを得ないほどの、高位の魔術を」
「はい。先生」
ゼロスは──まだ顔色は悪かったが──うなずいた。
教師カッヘルはローブの裾をひるがえし、告げる。
「あなたは勝たなければいけない。男爵家のために。なによりも、
──翌日、男爵家の屋敷前──
屋敷前には男爵家の家族全員が並んでいた。
父さま、ゼロス兄さま、俺、ルーミアの順番だ。
距離を置いて後ろには執事ネイルと使用人のみんながいる。マーサも一緒だ。
教師カッヘルは兄さまの後ろに控えている。
「ルーミアは安心しました」
俺の隣で、ルーミアが小さくつぶやいた。
「これで王女さまの前で、ユウキ兄さまが男爵家の一員だと宣言したことになります」
「俺、マーサたちと一緒にいてもいいかな」
「……ユウキ兄さまぁ」
ルーミアが俺の顔を見上げた。泣きそうな顔だった。
逃げられないらしい。
俺はため息をついた。
「皆、静かに。いらっしゃったぞ」
金色の縁取りがされた、黒塗りの馬車が近づいてくる。
馬車を曳いているのは2頭の白馬だ。貴族と見まがうようないでたちの御者が、たずなを握っている。馬車の後ろには兵士たち。馬車の隣にいるのは……護衛だろうな。すごく見覚えのある顔だけど。
白髪の老人で、背中には
間違いない。
数日前に裏山で出会った、バーンズさんだ。
さっ。
バーンズさんがこっちに視線を向ける前に、俺は地面に
「こら、ユウキ。まだ早い」
ごめん、父さま。隠れさせて。
早めにひざまづく分には無礼にならないだろ。
だから屋敷には来たくなかったんだよ。2人が王女殿下の関係者だってわかってたから。
できればマーサたちと一緒に、使用人の中にいたかった。
俺をこの場に引きずり出したのは、他でもない教師カッヘルだ。
『男爵家の者でありながら、不在とはどういうことですかな、ユウキどの』
──って。
ゼロス兄さまの先生じゃなかったら
「アイリス=リースティア王女殿下のご
不意に、父さまが叫んだ。
俺たちの目の前で、黒塗りの箱馬車が停まった。
家の者たちが一斉にひざまずく。
父さまがまた、声を上げる。
「男爵家一同、ゼロス=グロッサリアの試験の機会をいただいたことにお礼を申し上げます」
「丁重な歓迎、いたみいります」
馬車の扉が開く音がした。
誰かが降りてくる。
「ここは王宮ではありません。私は王女ではなく『リンドベル魔術ギルド』の試験官としてきております。かしこまる必要はありませんよ、ゼロス=グロッサリアさま」
「……え」
俺の目の前に、白い靴を履いた人が立ち止まった。
顔を上げると、銀色の髪の少女が立っていた。
背は俺と同じくらい。金色の髪飾りをつけてる。クララさんがくれたのと同じものだ。
「わたくしがアイリス=リースティアです」
優しい笑顔を浮かべながら、初対面のような顔で。
「ゼロスさまは優れた魔術の技をお持ちの方だとうかがっております。その若さでどれだけの
「違います。王女殿下!」
父さまが声をあげた。
「そちらは弟のユウキです。今回の試験を受けるのは、隣にいる
「こ、これは失礼いたしました」
アイリス王女は軽く頭を下げて、俺の隣に移動した。
「はじめまして。ゼロス=グロッサリアさま」
「……
ぎりり、と、ゼロス兄の歯が鳴る音が聞こえた。
兄さまは横目で俺をにらんでる。カッヘルも。
きまずい空気の中、男爵家の者と、王女殿下とおつきの方々が向かい合ってる。
王女殿下側にいるのは、アイリス殿下本人と、斧を持ったバーンズさん。
他の兵士たちは、こちらを遠巻きにしている。
王女殿下とバーンズさんが、今回の試験の関係者ってことか。
「では、さっそく試験を開始いたしましょう」
「はっ。会場の手配は済んでおりますよ。王女殿下」
教師カッヘルが顔を上げた。
「会場である『キトラルの森』まで、このカッヘルがご案内させていただきます」
「……感謝します。カッヘル=ミーゲン」
アイリス王女は静かにため息をついてから、答えた。
「ここからは魔術に関わる領域ですので、同行するのは数名ということにいたしましよう」
「このカッヘルにぬかりはございません。ゲオルグ男爵さま、およびご家族の方には、お屋敷で試験結果をお待ちいただくように、お伝えしております」
「わかりました。こちらはバーンズたちを同行させます。構いませんね」
「王女殿下の仰せのままに」
クララさんはアイリス=リースティア王女殿下だった。
バーンズさんはその護衛。ということは、かなり身分の高い方だ。
2人は身分を隠してこっそり、試験会場の下見に来ていた。偽名を使っていたのは、騒ぎにならないようにするためだろう。で、俺も名乗らなかったから、2人は俺とゼロス兄さまを間違えた。俺もあのとき、魔術を使っていたからな。
「……王家とは関わりたくなかったんだけどな」
難しいな、普通の人間をやるのって。
ひとつひとつ、不確定要素が積み重なっていって、人間関係が変わっていく。
本音を言えば、いますぐ逃げたい。
けど、男爵家のことを考えたらそうもいかないか。
「兄さまが試験に通ることを祈ろう」
ゼロス兄さまが『リンドベル魔術ギルド』に入って、上位貴族と親しくなれば、グロッサリア男爵家は安泰だ。俺も安心して一般の学園に行ける。将来、行方不明になっても問題ない。
俺はこの男爵家では異物だからな。
『
「……というわけで、男爵家の方に試験を手伝っていただきたいのです」
「当家の者に、ですか?」
「はい、ゲオルグ男爵さま。ゼロスさまの魔術の才能を確かめるためには、比較となる方が必要となりますので」
「ふむ……しかし、当家に魔術の心得がある者は……」
「魔術の心得はなくても構いません。試験に必要なのは、魔力の操作能力と、応用力、それと危機への対応力なのですから。可能なら年齢、体格、性別ともに近い者が望ましいです」
「なるほど! そういうことでしたら。ユウキを」
気づくと、父さまと王女殿下が、俺の方を見ていた。
「ユウキは我が子ながら応用力にすぐれております。なにも教えていないのに、ひとりで裏山に罠を仕掛け、獲物を捕ってくるほどですからな。それをあっさりと私に献上してくれる優しさもあります! わしの自慢の息子ですよ」
「まぁ。そうなのですか」
父さま。あんたはなんてことを。
アイリス王女も「まぁ」じゃないだろ。
あなたはゼロス兄さまの試験のために来たんだろ。俺に構わなくていいよ!
「では、ユウキ=グロッサリアさま。ゼロスさまの試験のお手伝いをお願いできましょうか?」
「この者は庶子ですぞ! 王女殿下!!」
教師カッヘルが叫んだ。
「ゲオルグ男爵様が戦場で出会った女が産んだ、どこの血筋ともわからぬ者です。そのような者を試験に関わらせるなど!」
「あら? このアイリスの母も、
「それは話が違います。私が申し上げているのは、人間の序列の話で」
「弟君が兄君の試験を手伝う。これは序列に則っていると思わなくて?」
王女殿下はいたずらっぽく、片目をつぶってみせた。
「しかし!」
「カッヘル=ミーゲン! わきまえなさい。この試験はすでに、あなたの手を離れているのです!!」
不意に、王女殿下が声をあげた。
「あなたの仕事は試験会場を選ぶこと。それはすでに終わっています。試験を
「……で、殿下。私は……私は」
「王女殿下のおっしゃる通りです、先生」
父さまが数歩、前に出た。
王女殿下の前に膝をつき、深々と頭を下げる。
「王女殿下のおおせに従います。わが子ユウキに、試験の補助を命じます。ゼロスも、それでいいな」
「……望むところです」
ゼロス兄さまが、ぎろり、と、俺の方を見た。
「逃げるなよ。ユウキ」
ゼロス兄さまが小声で言った。
他の者には聞こえないように、俺に顔を近づけて。
「生まれの違いを思い知らせてやる。逃げたらどうなるかわかっているだろうな」
「どうなる……って?」
「次の当主は僕だ。僕なんだ。いずれ男爵家は僕が望むように作り替えてやる。お前が屋敷の者たちに、僕を追い落とそうとしているのはわかっているんだからな」
「どうした? ゼロス、ユウキ」
「なんでもありません。ユウキにお願いをしていただけですよ」
父さまの声で、ゼロス兄さまは俺から離れた。
なにごともなかったように、笑ってる。教師カッヘルも。
「わかりました、父さま、兄さま。試験に立ち会わせてもらいます」
俺は言った。
兄さまと話がしたかったからだ。
試験中。教師カッヘルがいない場所で。
次回、第15話は明日の夕方に更新する予定です。