メイドのドS力がインフレ過ぎて酷い
その日の夜、寝る前に早速買ってきた本を開いてみた。
「あれ……?」
『使用人のしつけ方 AtoZ ~14日間 ハードコース~』
タイトルからしてそのまんましつけ方のハウツー本かと思ったら、ただの小説であった。
酷いタイトルの小説だ。
それにところどころにちょっとしたコラムが載っているため、買う前にそのコラム部分を見てハウツー本だとすっかり信じこんでしまっていた。
「なんだよ……まぁ、小説でも効果あるかも知れないし」
ということで一応読んでみることにした。
あまりにつまらない内容なら途中で読むのをやめようかと思ったが、読んでみるとそこそこ読みやすく文字が異様に大きいため、分厚い本のくせに驚くほど速いスピードでページが捲れていく。
なんだろう、この水増し感。
内容的には「主人公が態度が悪く全く言うことを聞かない使用人(女)を躾けていく」というなんとなくエロゲっぽいストーリーだ。
文中では使用人としか書かれていないが、一応女のようなので、ここで言う使用人とは意味的にはメイドだ。
男の主人公が言うことを聞かないメイドを虐めまくって言うことを聞かせるようにする。
内容的には俺の求めているものドンピシャだ。
「いい、これはいいぞ……! これであいつが俺に絶対服従するに違いない!」
最初は割合と主人公が常識的で、メイドに対して口の聞き方や振る舞いについて注意していく程度だ。
しかし、だんだんと主人公もエスカレートしていき、最終的には「SMですか?」と突っ込みたくなるレベルの執拗な言葉責めと体罰にまで発展していく。
勢い的に最終的にメイドを性奴隷化してもおかしくない展開だが、案外そんなことはなくメイドが完全に服従したところで終わりとなっている。
読んでいるときはおもしろかったが、オチがないので読み終わっても終わった感じがしない微妙な出来の作品だ。
なんだかなぁ。
しかし、とにかくあのメイドが服従さえすれば俺の奴隷ハーレムの未来はバラ色だ。
「ま、まぁ、作品の出来は……とにかく内容的にはバッチリだ。今日はいい夢を見れそうだ!」
期待に胸を膨らませながらベッドに潜り込んだ。
……気合が入りすぎて、なかなか寝られない。
◇
「……は!?」
気が付くと俺は自分の屋敷の部屋の中に立っていた。
手に違和感を感じて手元を見ていると、俺はなぜかモップを持っている。
なぜ俺はモップを持って部屋の中で突っ立っているんだ。
「え……なにこれ」
そして、目の前にはなぜか高級そうな仕立ての服を着たメイドが椅子に座っている。
そして、不機嫌そうな表情でこちらを見ている。
なんだこれは。
全く状況が掴めない。
手に持ったモップをしげしげと見てみるが、モップはモップである。
疑問を視線に込めて目の前のメイドに目で問いかけるが、メイドはただ不機嫌そうな表情を浮かべているばかりだ。
そうだよ、こういうやつだよ。
しかし、おかしいな。
ここから俺がこいつを躾けるはずなんだが、なぜいきなりモップが登場するんだ。
「……ん?」
さらに違和感を感じて自分の服装に目をやると、屋敷の主人が着るとは思えない薄汚れたズボンとシャツだ。
「ん……んん?」
途方に暮れているとメイドが口を開いた。
「ほら使用人、早く部屋の掃除を済ませなさい」
「……え?」
ちょ、いや、あの、これは、その、えーとー……なんだ?
「ちょ、ちょっとタンマ! こ、これはどういう……」
モップに体重を預けながらメイドに問いかけると、メイドは首を傾げた。
「どうしましたか?」
「いや、どうしましたか、じゃないだろ。なんで俺がモップ持ってこんな格好して、お前がそんな良い服を来て座っているわけ?」
「なにを今更そんなことを言っているのです?」
本気でわからないといった様子でメイドが訝しげに小さく首を振る。
どうやら俺が夢を見始める前までにいろいろあったことになっているようだ。
「と、とにかく今頭が混乱していて……頼むから状況を説明して欲しいんだけど」
「……分かりました」
そう言うとメイドは手を組んで目を瞑った。
あ、そのポーズを取るということは神様関係ね。
「昨晩、神が私の夢枕に立たれたのです。非常に素晴らしいことです」
あ、やっぱりね。
目を瞑りながらメイドが言葉を続ける。
「神はこうおっしゃいました。『主の言うことに忠実であれ』と。ですから私も態度を改め、ご主人様の言葉に耳を傾けました」
ということは、今まで俺の発言に全く耳を傾けてなかったということだな。
しかも、分かってて意図的にやっていたということだな。
改めてこのメイドは酷い。
しかし、俺の読み通りに状況は好転しているようだ。
やったぞ、俺。
「そうしましたところ朝一番にご主人様が私の顔を見るなり……」
ほお、俺は一体何を言ったことになっているのだろうか。
「『使用人の立場が知りたい。使用人として徹底的に躾けてもらいたい』と言われました。そこで、このようにしております」
「え……?」
ちょ、待て。
どうなっている。
俺がメイドに対して使用人の立場を存分に仕込むはずじゃ……
「まさか……まさか、あの本はメイド側に作用するのか?」
言われてみればそうだ。
あのインフレビジネス本だって、俺がインフレしたわけではなく、メイドの行動のインフレしたのだった。
本の内容は俺じゃなくてメイド側に影響していると考えるのが自然だ。
ってことは、なにか?
「あの仕打ちをされる側ってわけ……?」
あの本、エロシーンはなかったがかなり酷いいじめをしていた気がするんだ。
はは、冗談だよな。
「そのようなわけで先程から私が主人役を演じて、ご主人様は使用人ということになっております。ですからきちんと使用人として振る舞って下さい」
メイドが相変わらず冷静に発言する。
「いや、ちょっと待って、根本的な行き違いが……」
「なにを言っているのか意味がわかりません。さきほどご自分で仕込んでもらいたいと言われましたよね」
メイドが少し威圧的な声を出す。
「い、言ってるように聞こえたのかもしれないが、より正確には聞こえているだけで俺自身に言った覚えはないというか……設定の暴走というか……と、とにかく、違うんだ」
「使用人風情が私に逆らうとは生意気ですね。自分の立場というものをわかってもらいましょう」
メイドが俺の申し開きを聞く前に早速演技をスタートする。
そうだよ、こういうやつだよ。
言うこと聞かないんだよ。
「お、おい、だから、やめろって……」
「そういえば、ご主人様は『自分勝手な主人に翻弄される使用人の立場を味わってみたい』と言われていましたね」
そして、メイドが悪趣味な笑みを浮かべる。
こいつは絶対にSだ。ドSだ。俺が断言する。
「言ってない! や、やめろって……お、おい……」
というか、あの本でも最初は主人公も結構常識的だったぞ?
最初から飛ばし過ぎだよ、このメイド。
洒落にならない!
「では……そうですねぇ」
メイドがなんとも言えないニヤニヤ笑いを浮かべながら、視線をこちらに向けてきた。
怖! まじで怖!
「私の部屋を塵一つ落ちてないように掃除して下さい。あとで私が確認して埃が一つ落ちているのを見つける度に蹴り上げるようにしますから、しっかりと掃除してくださいね。あら、すいません。私は主人らしく振る舞わないといけませんね。……ほら薄汚い雄犬、さっさと掃除を済ませるのよ。埃なんか落ちていたら生まれてきたのを後悔するぐらい痛みつけるから。じゃ、私は昼食を頂いてくるわ」
「な……」
絶句する俺を置いて、メイドは優雅な足取りで部屋を出て行く。
お前の中の主人像ってそんななのか。
俺はお前を雌犬呼ばわりした覚えはないんだが。
「なぜだ……なんでこんなことに……」
とにかくモップを握りしめて部屋を見回す。
間取りからして、ここは空き部屋だった部屋のようだ。
空いていた部屋に家具を運び込んで『貴族のお嬢様の部屋』を再現したらしく、傷ひとつ無い高そうな家具が並んでいる。
うわ、金かかってそう。
一応軽く掃除はしてあるようだが、空き部屋で長い間放って置かれたためか、なんとなく埃っぽい。
「しかし、あのメイド酷すぎる……」
埃が落ちている程度で生まれてきたのを後悔するぐらい痛みつけるとか、設定上の演技だとしても鬼畜の所業だ。
いくら演技……
「……演技? いや、やるぞ、あいつは。俺の直感が告げている。あいつは本気で痛みつけてくる……やばいっ!」
俺は全力でモップをかけ始めた。
◇
俺は3回もモップで部屋中を駆けまわった。
雑巾も2回かけた。
掃除中に廊下から響く足音に「まだ掃除が終わってないのにメイドだったらどうしよう」と何度も怯えながら全身全霊を込めて全力で掃除した。
できる限りの事をしたところで、体中緊張しながら運命の審判を待つ。
「…………」
無言で直立していると廊下から足音が響いてきた。
心臓の音が段々高鳴っていく。
死ぬなよ、俺の心臓。
足音が扉の前で止まり、扉が開く。
固まっている俺の前でメイドが部屋に入ってくる。
「ふぅん……」
メイドは部屋の中を一目で見回してから、ゆっくりとした足取りで部屋の中を歩きながら確認を始めた。
やばい、怖い。
本気で怖い。
「……ふぅん」
部屋の中を一周したメイドと眼が合った。
メイドの表情がふっと緩んだ。
「やればできるじゃない」
一瞬、何が起こったかわからなかった。
「え……は、はいっ!」
広がる安堵と湧き上がる喜び。
ああ、よかった。
助かった。
褒められて嬉しい!
「こんなに綺麗に掃除できるとは思っていなかったわ。意外とやるわね。次は大広間の掃除よ」
「は、はい、喜んで……あれ?」
……って違う!!
なんですっかりなりきっているんだ俺は!
「い、いや、ちょっと待ってくれ。も、もう使用人の立場とかいいから。これで十分だ。これは演技じゃなくてマジな発言だぞ? 頼むからもう終わりに……」
と言いかけると、珍しく機嫌良さそうな表情をしていたメイドの顔が一瞬で不機嫌な表情になる。
「うぐ……」
「使用人風情が私になんて口を聞いてるの? もっとちゃんとした言葉遣いをしなさい。それに何を言っているのか意味がわからないわ」
またしても威圧的な言い方。
このメイドは本気でいつまで続ける気だ?
まさか、このままこの屋敷を自分のものにするつもりじゃ……。
「お、おい、だからそういうのはもう……」
「雄犬風情が私に口答えしていいと思っているのかしら?」
いや、お前普通に俺に対して凄い口答えしてたじゃん。
ひどい扱いだったじゃん。
そこのところは自分で疑問に思わないの!?
「だ・か・ら! もう演技はいいって言ってるんだよっ! おい、怒るぞ!」
かなり本気で怒鳴るが、メイドは相変わらず不機嫌そうな表情のままで特に何も感じていなさそうだ。
「おい、もういい加減にふざけて……」
「全く少し褒めるとあっという間につけあがるんだから。やっぱり雄犬は首輪をつけて地面に這いつくばらせていないと自分が主人と対等だと勘違いするのね。本当に馬鹿なんだから」
その発言を聞いて背筋にゾワゾワした感覚が駆け巡った。
こ、こいつ……本気で俺の反抗心がなくなるまでやり遂げるつもりだ。
あの本のストーリーそのまんまだ。
というか、序盤からのエスカレートしすぎだ。
このままでは俺は廃人になってしまうかもしれない。
「あなたの主人は誰か分かっているのかしら。そこに這いつくばりなさい。自分の立場というものをその体に教えこんであげるわ」
「だからさ……お、おい……」
メイドはスカートの裾をまくり上げる。
その行動はどうみても何かを蹴り上げるための準備動作だ。
もし俺が這いつくばったら、体中蹴り飛ばすつもりだ。
やばい。まじでピンチ。
「あ、ちょっと用事を思い出したっ!!」
我ながら白々しいセリフを大声で上げながら、部屋を飛び出す。
廊下を見回す。
人口密度が大幅に減ったため、もう廊下に住んでいる住人は居ない。
広大な無人の廊下が広がっている。
遮蔽物がない。
「くそっ!」
全力で駆け出す。
後ろでメイドの足音が聞こえる。
そして、
「勝手に逃げる雄犬には首輪をつけないとね」
などという声が響いて聞こえてくる。
なんだこの悪夢は!!
「神様、仏様、キリスト様、アッラーの神よ! 誰でもいいからお助け下さい! お賽銭奮発しますから!」
自分でもよくわからないことを言いながら廊下を曲がる。
しばらく走ってからまた二回ほど曲がる。
そろそろ巻いただろうというところで、手近な部屋に飛び込んで鍵を掛ける。
「主人の手間をかけさせる雄犬には鞭をくれてやらないといけないわね」
そんな声が廊下に木霊する。
やばい、全然巻けていない。
こっちに来る。
見つかる。
後ろを振り返る。
窓がある。
ここは5階なので、眼下に屋敷の庭園が見える。
「ど、どうせ、どうせ……夢だぁぁぁ!!」
俺は窓から身を投げた。
◇
その日の夕方、大学帰りの俺はまたもや古本屋に居た。
「本当に今朝はひどい目にあったな……」
窓から飛び降りたところで目が覚めたが、酷い寝汗と謎の疲労感で一日中具合が悪かった。
今日こそは快眠しないと体を壊しかねない。
「いいのが無いなぁ」
状況を改善できそうな本を漫然と探しているが、なかなかピンとくるものがない。
小説の場合に主人公の行動がメイドに影響するのだとしたら、原理的には主人公がいじめられる小説を読めばメイドがいじめられる側に回るはずだ。
しかし、これまでの展開から見て、そういう目論見で本を選んでもなぜか俺がいじめられる側になりかねない。
あの夢はどう考えても公平じゃない気がする。
俺にとって不利すぎないだろうか。
そういう意味では、作用がメイドではなく自分に及んだ場合でも被害が少ない本が良い。
というか、とにかく平和な夢を見たい。
そう思って探しているのだが、これだと思える本が見当たらない。
「まぁ……無難にコミュ力の向上とかにしてみるか」
それならば無闇に被害が増大することもあるまい。
100円コーナーの本棚を眺めて「コミュニケーション」という文字を探していくと、それらしきタイトルが見えたので手にとって見る。
『超コミュニケーション能力 ~心霊波動の導き~』
タイトルからビンビンにオカルト臭が漂ってくる。
「いや、これはさすがに……」
もっとまともな本を探そう。
と、本を本棚に戻そうとすると、店内放送が流れだした。
『本日は在庫整理のため19時で閉店とさせていただきます。お客様にはご迷惑をおかけいたしますが……』
「え」
時計を見たらもう7時だ。
閉店する前になにか買わなければならない。
とっさに手元の本を掴んでレジに向かって走った。
これは酷い。