曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

藍曦臣テーマ曲「不由」

刘海宽 (Liu Haikuan) - Can't help (不由 ) 蓝曦臣 Lan Xichen | Official OST. Ver. 陈情令 ( The Untamed ) - YouTube

 


 

「訳詞」(翻訳機を使っているので不確かです、すみません)


あなたは煙のように天涯を過ぎて
世界の喧騒は昨日とは異なる
嵐は雲の奥深くにあり、
交りが徐々に寂れ
穏やかに時は流れる
私は俗世間に染まりたくはないが
関わらざるを得ない

 

雪と氷の色が心の魄
誰かは恩讐を思わなくない
善も悪も真実は常に壊れている
夜に風が吹き、滌が世の中盛衰を尽くしに来る
ただ行き来した人はもういない
琴を撫でて名月が歳を流し
私は少し感情的だ
世間の様々な行動に耐えられない

 

山水が水しぶきをあげ水墨画の濃淡のようで、
濁りは近くを見分けることを難しくする
少年郎は杯を持ち上げて話す
分岐した道は多くない
善悪は壊されなければならない
剣は欲しくない
戦いを好まないが私に選択権は無い
私は目を覆いたくはない
愛と憎しみが運命であっても


名月が歳を流して
いくつかの感情を付け加えて防ぎ止めることはできないのか
この万般由来を恐れることをかわして間違う
夜に風が吹き、滌が世の中盛衰を尽くしに来る
過去の人がいなくなっただけ
琴を撫でて名月が歳を流し
私は少し感情的だ
世間の様々な行動に耐えられない

 

字幕で 「不由」を”Can’t help"と書かれているけれど、

この「不由」は、「やむを得ない」という程の意味だと思う。

MVの中で盃を傾けるのは、魏嬰だけれど、

ここに歌われる「過去の人」は、やはり阿瑶ではないかと思う。

「恩讐」「善も悪も真実は常に壊れている」「盛衰」

「愛と憎しみが運命」

阿瑶の人生そのものではないだろうか。

けれどこの歌には、悲しみだけではなく、諦観というものを感じる。

死に行くものには、死ぬ定めがあり、

生きるものには、生きる定めがある。

『抵不住世間百態』ではあっても、生きねばならぬ。

感情の起伏を持たなかった藍曦臣が

今、感情を携え歩き始めなくてはならない、

そういう歌なのだと思う。

 

葉婆娑 往事如煙過
天涯喧囂 不似昨
雲深處起風波
至交 漸零落
來時光景何灑脫
不欲染塵 染塵不由我
冰雪顏色是心魄
不欲恩仇 恩仇誰能躲
怕這萬般由來錯

清風入夜來 滌盡江湖興衰
只是過往人已不在
撫琴問明月 流歲添幾分感慨
抵不住世間百態

山水闊縱橫來潑墨
咫尺難分清與濁
少年郎把酒說
歧路不為多
是非處終要道破
不欲刀劍 刀劍不由我
一曲洞簫怎寄托
不欲遮眼 遮眼有因果
縱是愛恨天定奪

清風入夜來 滌盡江湖興衰
只是過往人已不在
撫琴問明月 流歲添幾分感慨
抵不住世間百態

 

南京コンサート 日本語字幕

「不由(ままならない)」

葉が舞い昔の事が夢の如く
昔に似ず騒然たる天涯
雲深に波風が立ち親友が散りゆく
洒落な日々はいずこに
心に染まぬ塵に染めてしまう
氷雪色の心
心に望まぬ恩讐から逃れられぬ
全てが最初から間違ったのが怖い

夜に吹く清風 江湖の盛衰を洗い尽くす
琴で明月に聞く 感慨が少し増す
世の変化にはかなわぬ

山水が広く墨を縦横に跳ね散らす
何が清で何が濁か判らぬ
少年酒を手に岐路に立つ
是非を説き破る
心に望まぬ刀剣を手に取ってしまう
簫の笛に託せようか
心に望まぬ目隠しに因果がある
愛と恨みは天が定める


夜に吹く清風 江湖の盛衰を洗い尽くす
ただ故人の姿が見えぬ
琴で明月に聞く 感慨が少し増す
世の変化にはかなわぬ

MV

『判断するにも 白黒だけで断じるのではなく 自分の心に従え』

葉は婆娑として舞い
往事は煙のごとく去り行く
天涯の喧騒は同じにあらず
雲深不知処に波紋広がり
友は立ち去る

洒脱な光景も今は昔
世俗に染まるを欲せずとも
身を置くほかなし
氷雪のごとく 澄みわたる心
恩仇を欲せずとも
誰が避けられる
全ては過ちから始まった

清風夜と共にさざめき
江湖の盛衰を拭い去る
ただ在りし者の姿はなし
琴を弾きて明月に問う
流れゆく歳月に思いを馳せながら
人の業は止められないのか

 

映像 
藍曦臣
『私の知る金光瑤と お前たちの知る金光瑤 そして世人の知る金光瑤は全く違う
私の中での金光瑤は屈辱に耐え、衆生を顧みた』
金光瑤
『藍曦臣 私が一生で偽り殺めた人間は無数だ 天下の悪事はやり尽くした
だが、あなただけは 傷つけようと思わなかった』


三尊
『もし異心あれば 衆人と天の憤りを買うだろう』

この広き山水に
縦横に描かれる墨の濃淡
咫尺の間 清濁 判断し難し
酒を手に語る少年
道を外さぬように
是非を論じ 道を説く
刀剣を欲せずとも
握るにほかなし
洞簫の音に何を託す
眼が曇るを欲せずも
見通せぬのが因果
愛憎が定めだとしても

清風夜と共にさざめき
江湖の盛衰を拭い去る
ただ在りし者の姿はなし
琴を弾きて明月に問う
流れゆく歳月に思いを馳せながら
人の業は止められないのか

 

 

葉っぱが舞う、過去の霧のようなもの

世界のカオスは昔のようではない

君の奥深くに風が強く吹いていた

過去に見えた景色の自由度

埃にさらされたくないのかどうかは私次第

凍った雪の色は心と魂の色

感謝と復讐の借金を作りたくないが、

感謝と復讐の借金を避けることが出来る人

最初から恐れて全てが間違った方向へ進んでいる

夜に風が吹いて、この世界の

全ての栄光と破壊を片付ける

過去の人がもういない

琴を演奏して月に尋ねる

どのような感慨を抱かせるのか

世間で発生する何百もの変更を拒否できない

 

長い川の高い山々、縦横に墨を削る

綺麗なものと汚れたものを区別するのは難しい

杯を運ぶ若者は、道に多くの曲がり角が無いと言った

善悪は最終的に明らかにされる

剣を振りたくないが、振るかどうかは私次第

どのようにして、笛に希望を込めることができるのか?

目を閉じたくない、

目を閉じると多くの原因と結果が生じる

天がすべての愛と憎しみを決定するのだろう

裏切りがある場合

その後、誰もが呪われる

 

夜に風が吹いて、この世界の
全ての栄光と破壊を片付ける
過去の人がもういない
琴を演奏して月に尋ねる

どのような感慨を抱かせるのか
世間で発生する何百もの変更を拒否できない

 

 

金光瑶は、サイコパスホビットだったのか

金光瑶は、サイコパスホビットだったのか

サイコパスホビット」とは、実に上手い喩えだとは、思うのですが、
阿瑶を、サイコパスと言い切って良いのかどうか悩みます。
サイコパスを良心の異常な欠如、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・
慢性的に平然と嘘をつく・感情の欠如・口が達者・
表面は魅力的・結果至上主義と捉えるならば、
確かに、かなり当てはまっています。
自分を貶めたもの、「妓女の子」という地雷を踏んだものには、
決して容赦しません。制裁は、死あるのみです。
ですが、一度でも恩を受けた者、心を許した者に対しては、
非情に徹しきれない。
「陳情令」ドラマの金光瑶は、特に感情が豊かに見えます。
そして罪悪感に関しては、阿瑶は、相当感じていた筈です。
金鱗台での聶明玦との対決シーンで阿瑶は、
「天が怖い、人が怖い。」と叫んでいました。
観音廟でも「夜の長い夢が怖い。」と語りました。
阿瑶は、夜毎悪夢に苦しめられていたのでしょう。
本物のサイコパスなら良心の呵責に苦しむ事は無いのだから。

阿瑶には、他の仙家の公子達のような基礎がありません。
母親が買い与えた高価な書物などは、
全て紛い物で役には、立ちませんでした。
阿瑶は、「過目不忘」という能力を駆使して独学で、
仙督という地位に上り詰めたのです。
阿瑶は、幼い頃から傷つき過ぎて、心に何重にも鎧を付けて、
自分自身にも嘘を重ねて、どれが自分の本当の姿かさえ
判らなくなっていたのじゃないのかと思います。
阿瑶のむき身の姿は、曦臣に朔月で貫かれた後にみせた、
鎧を全部を剥がされて、「何故あなたは私を助けてくれないのか。」と
泣き口説いた駄々っ子みたいなあの弱く脆い幼子だったのだと私は、
感じるのです。
阿瑶が青楼に居た頃、母の客に階段の上から突き落とされて知った、
痛みと屈辱、この境遇から這い上がる力を求めた原点、
阿瑶がこの世で生き抜いていく為に求めた力を、
それは、確かに悪を為す事へ導いてしまったかも知れませんが、
生まれついての強者、恵まれた者達には、決して理解されないことでしょう。
仙督になってからの彼は、見張り台を1200基も作り、
貧しい民を守ろうとした。仙門百家を統率する手腕があった。
けれど金光瑶の悪が暴露される前から、
出自の卑しさから、私腹を肥やしているなどという、
彼を中傷する声がありました。
観音廟事件の後なら、もっと聞くに堪えない罵倒で埋め尽くされるのでしょう。
「因果応報」
彼は、道を間違えた敗者です。
歴史というものは、常に勝者が記していくものだから。
それでもあの観音廟の場に居た者たち、
阿瑶の真実を見聞きした者たちには、
きっと彼らなりの阿瑶が残ったのだと思います。
私は、藍曦臣の中に残る最期の阿瑶が、あの幼子のような素の姿から、
聖母のような慈愛の姿へ変わっていくその過程を
目にしてくれていたら良いのにと思います。
藍曦臣には、救われて欲しいのです。

 

 

藍曦臣は何故死のうとしたのか

藍曦臣は、何故あの時金光瑶と共に死のうとしたのか。
阿瑶は、胸の朔月を深々と差し込み、聶明玦の棺に血を垂らし、
封印を破って死を覚悟した場面だったのです。
そこで阿瑶は、藍曦臣に「一緒に死んで下さい。」と言った。
人生最後の最期に、今まで封じ込めてきた愛の告白をしたのです。

「私の罪の全てを知っても、あなたは私を受け入れて下さいますか。」
「私には、あなたが必要なのです。あなたを愛しています。」と。
叶えられない望みと知りつつ、阿瑶は、
最後に縋ってみたかったのだと思います。
曦臣は、驚きつつも、ゆっくり目をつむり受け入れた。
宗主の地位も責務も全て打ち捨てようとした。
それは、阿瑶への哀れみからなのか。
阿瑶の悪を見過ごしてきた己の罪から逃げる為なのか。
いいえ、曦臣は、阿瑶を受け入れたからこそ、
共に死ぬことを決意したのだと私は、思います。
だからこそ、曦臣の表情をしばし見極めて、花が綻ぶかの如く、
柔らかな笑みを浮かべて、阿瑶は、曦臣を突き放したのだと、
私は、考えます。
突き放されて驚き阿瑶に手を伸ばす曦臣が藍忘機に抱き留められ、
崩れ落ちる本堂から脱出していく様子を見守る阿瑶の表情は、
愛に満ちていたと思います。
死にゆく阿瑶は、もう誰も恨んでなどいない、
曦臣に満たされ救われたのだという達成感さえ
感じられる姿だったと思うのですが、
肝心の曦臣は、あまりの激情の爆発の所為か、廟の崩壊の所為か、
見えていなかったのでしょう。
だからこそ「阿瑶がわからない。」との発言になるのでしょう。
「阿瑶の悪を知らぬわけでは無かった。」
この悪とは、金氏による温家残党への弾圧、虐殺。
陰虎符収集や傀儡化実験などだと思います。
金光善殺害や異母妹との結婚などでは無かった。
ましてや聶明玦殺害に阿瑶が自分を巻き込んでいたなど知る由もなかった。
怖ろしい罪を数々積み重ねた阿瑶を決して許すわけにはいかない。
重い処罰を下さねばならない。
命ばかりは奪いたくない。生きる道を与えてやりたい。
曦臣は、そう願っていた筈だ。
けれど、「どれだけ悪をなそうともあなたを傷つけようとは思わなかった。」
阿瑶の唯一の真実を曦臣は、信じてやれなかった。
聶懐桑に諮られて、阿瑶に止めを刺してしまった。
曦臣に残ったその後悔の念が曦臣の目を曇らせるのでしょう。
「あなたは、阿瑶を救ったのですよ。」
「あなたが生きることを阿瑶は、望んだのですよ。」
曦臣が阿瑶の真実に早く気づいてくれることを祈ります。

若くして宗主の重圧を担い、両親をめぐる複雑な環境から、
己の感情さえ抑制してきた愛の意味さえ知らずに生きてきた曦臣が、
生涯初めて、全てを投げ打ってまで、手にしようとした対象、
決して許される存在では無かったその人は、
愛を実感した直後に、指をすり抜けて消えてしまったけれど、
その愛の一瞬の輝きは、途方もなく眩く美しかったのだと思います。
曦臣がその喪失の大きさと痛みを受容し、
亡くなった者も生きる者も傷ついた者も傷つけた者も
全てを赦せる時が来ることを祈ります。(投稿 6月24日)


追記(6月26日)
ふと、シャアの「ララァは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。」

発言を思い出しました。
ありえない妄想かもしれませんが、藍曦臣は、阿瑶に
「母なるもの」を求めていたのではないでしょうか。
自分を丸ごと無条件で受け止め、包み込んでくれる「聖女」

とも言うべき存在を求めていたのかも知れません。
曦臣にとっての阿瑶は、必要以上に美化して、
決して対等に生身でぶつかろうとはしなかった存在だったのでは

なかろうかと思います。
今まで私は、阿瑶が曦臣に母性を求めていたのだと感じていたけれど、
それは相手も同じで、曦臣の方も互いに相手に理想を求めた
相互依存めいた関係だったのかなあと思うようになりました。
何故か阿瑶と曦臣の最期の場面、
(突き放す前の瞬間)血まみれの阿瑶が胸に曦臣の頭を
そっと抱いていたかのように感じるのです。
あの時曦臣が固く目を瞑っていなかったならば、
あの阿瑶の微笑みを目にしていたならば、
阿瑶の慈愛を、全てを赦す愛を感じ取れていた筈だと思うのです。
阿瑶は、曦臣から愛を奪って独り逝ってしまった残酷な人という見方を
していた時もありましたが、今の私は、阿瑶は、最後に赦す愛を手に入れた、
曦臣にもその愛を伝えたかったのだと思うようになりました。

とことん阿瑶に甘い人間の浅はかな考えでしょうが、
曦臣には、救われて欲しいのです。
長い一生を閉ざして生きて欲しくはありません。
悔やむのではなく恨むのでもなくただそこには居ない人を
ただ想って欲しい。光の中を生きて欲しいです。

 

陳情令スピンオフ「乱魄」を見て

日本版放送を待ちきれずに、翻訳かけながら見ました。
聶兄弟のスぺクタル活劇という印象でした。
聶懐桑が完璧に姫で聶明玦はもう本当に頼もしく格好良い大哥です。
武術の鍛錬を嫌い、優美な趣味に浸る弟懐桑を
兄明玦が心から慈しんでいたことが判ります。
聶一族が代々受け継ぐ忌まわしく怖ろしい刀霊の支配力の酷さ。

刀霊に心身を蝕まれつつ、己の寿命が残り少ない事を
自覚している大哥がどれ程懐桑を案じ、そして
懐桑も幼い頃から兄を心から慕ってきたのか、この刀廟での
二人の絆の強さから浮かび上がって来ます。

「陳情令」ドラマで私は、何故聶懐桑は、あれ程までの時間を掛け、
周到に金光瑶を破滅に導いたのかと少し不審に思っていましたが、
この「乱魄」を見て、聶懐桑の思いの深さを感じることが出来ました。
金光瑶は、懐桑に笛を渡し、「清心音」に混ぜて
「乱魄抄」を教えていたのか。

≪訂正≫金光瑶が懐桑に渡したのは、「清心音」の楽譜だけでした。

懐柔は、兄の死後、「清心音」と光瑶が弾いていた曲との違いに、

光瑶の企みに気づいたのですね。


最愛の兄の死の真相を知った時、懐桑は、どれ程の衝撃を覚えたでしょう。
未来永劫許さずに置くものかと復讐を誓って当然でしょう。
孟瑶が聶家に仕え、聶懐桑の身の回りの世話をしていた時から、
懐桑は、歳も同じな孟瑶をずっと信頼していた筈です。
その信頼を最悪な形で裏切られた、親愛の情が憎悪に変わる。
復讐を誓う。成就するまでの十数年間、仇には決して悟られることなく、
「三不知」を演じ続けた懐桑の胆力・知力は、
驚嘆すべきものがあると思います。
ドラマ最終回で私が感じていた、何故懐桑は、藍曦臣を謀ってまで
阿瑶へ止めを刺させたのかという点について。
私はやはり、阿瑶へ藍家門外不出の筈の「清心音」を教え、
更には、「禁室」へ忍び込み「乱魄抄」を盗み出すという悪事を許してしまった
藍曦臣の甘さを強く恨んでいたからだと思います。
大哥赤鋒尊と義兄弟の契りを結んだ二哥沢蕪君、そして
三哥斂芳尊に制裁を加える、これが懐桑の願いだったろうと思います。

一方、阿瑶にとって聶懐桑とは、どのような存在だったのでしょう。
私は、聶明玦へは、大きな父性を求めていたと思うのですが、
聶明玦の異母弟ではあっても一族の「姫」とも言える
常に保護され庇われる立場の懐桑へは、阿瑶は嫉妬の念すら
抱かなかったのではないかと思っています。
ドラマで藍家の座学から独り帰る時には?
私は、あの時の阿瑶は、懐桑へというより金家に対しての気持ちが
強かったと思うのです。金氏に認められたい。認めさせたいという気持ち。
阿瑶は、最後まで懐桑を侮っていた。
力の弱い肝の小さい男と見くびり、全く警戒しなかった。
阿瑶は、基本的に弱者には、優しいのです。
「妓女の子」などと出自を貶める者へは、必ず報復するが、
恩を感じた者には、礼を尽くす。

ドラマでも原作でも阿瑶が聶懐桑の真の狙いを知るのは、
最後の最期です。
懐桑に諮られた藍曦臣が阿瑶の胸を刺す。
その時にようやく阿瑶は、自分を破滅に導いた者の正体を知る。
大仙家の側室の子という立場でありつつも正式に子として認められ、
家族の愛を享受してきた懐桑。
片や十四で一度大階段で蹴落とされ、出自に苦しみ続け、
やっと金氏での地位の土台を手に入れたかに見えた矢先に
実父の招いた因果で地獄に突き落とされた阿瑶。
阿瑶にとっては、あまりに境遇が違い過ぎて、懐桑を脅威とは、
全く認識していなかったろうと思うのです。

復讐を成就するまでの懐桑の痛み、孤独の深さを思うと、
痛ましく思います。
けれど、あの観音廟の最期の場面、
全てを失った阿瑶には、曦臣の愛を得られた救いがあったと思うのです。
聶懐桑が得たものは、何だったのでしょう。
放送が終わってからも、考えさせられ続けるドラマです。


知識の浅さに恥ずかしくなりますが、私なりの感想を残しておきたいと思います。

 

 

藍曦臣の想い

金光瑶の死で最も衝撃を受けたのは、やはり藍曦臣に他ならないでしょう。
石段に座り込んだ彼が聶懐桑へ呟く。
「阿瑶が分からない…
 "私こそが彼の理解者”、それは私の思い違いで、
改めて見極めようとしたが、今でもよく分からぬ」
「曦臣哥…完全に理解するなど無理だ」
「懐桑、本当に阿瑶は私を襲おうと?」
「それは…何となく見えたんだ…」
「誠か?誠なのか?!」
「曦臣哥…問いただされるとー私だって断言できない…分からないよ」
聶懐桑は、目をそらし藍曦臣に答えなかった。

原作では、この部分は、

『「懐桑、彼は本当に私の背中の後ろに私を襲おうとしたのか? 」
「見たみたい...。」と懐桑。
藍曦臣は「もう一度考えなさい。」と言った。
「私は確信が持てなかった... 本当に...。」
「そう思わないで! 何があったか! 」
懐桑は「... 知らないわ 本当に分からない。 」
懐桑が追い詰められたら、この文を繰り返すだけです。
曦臣は額に手を当て、頭痛がして、もう話したくない。』と書かれています。

藍曦臣は、自分が聶懐桑に諮られたことに気づいているに違いありません。
胸に朔月を突き立てられた阿瑶が己に告げた
「世の全ての悪をなそうともあなたを害そうと思ったことは無かった。」
その言葉が真実であったことを確信しているからです。
阿瑶が自分に唯一信じて欲しかったこと、それを自分は信じてやれなかった。
一度は、一緒に死のうと縋ったくせに最期の瞬間、
自分を突き放し独り逝った阿瑶、彼の想いがどこにあったのか、
今の曦臣には、もう判らなくなったのです。
喪って初めて知った己の阿瑶への愛。
阿瑶に止めを刺した罪の意識、絶望は、はかり知れません。
崩れ落ちる観音堂を脱出する曦臣は、藍忘機に支えられなければ、
立っていられません。
茫然と石段に座り込み、やがて堂内に入っていく姿は、
生気を失いよろめいています。痛ましい姿です。

原作ではこの後、藍啓仁に
「あなたは何が起こっているのか! 」と聞かれて
曦臣は額の角を押し、眉は言葉では言い難い色でいっぱいで、疲れて
「... お願いします。 聞かないでください。 本当に。
私は今、本当に何も言いたくない。 」と答える。
藍啓仁は、曦臣のこのように過敏で不穏な外観を見たことはなかった。
と書かれています。

誰も見たことの無い異常な状態なのです。
そして雲深不知処の寒室に蟄居してしまうのです。

曦臣を最も苦しめたもの、それは喪失の深さだろうと私は、思います。
阿瑶という人間がどう生き、何を思い、何を為し、そしてどう死に至ったのか、
曦臣は、考え続けるのです。
そこに自分は、どう関わったのか、何を為さなかったのか、
何を間違ったのか、決して解けない問いを繰り返し続けるのでしょう。
問霊の琴に阿瑶が答える事は、ないのだろうと思います。
何故なら阿瑶は、最期の瞬間、己の空洞を曦臣に満たされて、
救われて逝ったと思うのです。この世に未練も恨みも残していないのだと感じます。
残された曦臣の痛みの過酷さを思うと遣り切れない思いがします。
それでもどうか阿瑶も自分自身をも赦してあげて欲しいと思う。
誰のせいでもない。確かに阿瑶は、悪を為したけれど、
そう為らざるを得なかったという面は、確かにあったろうと思うのです。
ほんの少し、そうほんの少しの切欠さえあれば。
巡りあわせが悪かった。
もし、次に生まれ変わって再び出会うことがあれば、阿瑶も曦臣も
身分や階級や世俗に妨げられないそういう社会で生きて欲しい、
そう願っています。

 

金光瑶の愛と死

日本語で観るのは、思っていた以上の迫力でした。
翻訳で動画を見ていた時には理解できていなかった事、
それは、藍曦臣が金光瑶の悪事を薄々気づいていたと、
語った部分です。
気づいていはいたが、苦渋の決断だと信じていたのだと。
曦臣が己の信念にに片目を瞑ってでも、
阿瑶をそれほどまでに信じたかったのかと思うと、痛ましく思います。

霊力の戻った兄上が朔月を阿瑶に向けたあの場面、為すすべなく
崩れ落ちる阿瑶が哀れでした。
父光善を殺した状況を語った時、思わず阿瑶の頬を
思い切り殴った曦臣がその自分の手を驚きみつめるその顔は、
自分の中に怒りという感情があったことに初めて気づいたと
思えるものでした。
命だけは助けて欲しい。そう言いながら金凌を盾に取る。
その卑劣さ、浅ましさ。
けれど、覇下を手にした温寧が襲って来た時、
弦を緩め金凌を突き放し逃がしました。
金凌を慈しんで育てたことは、事実だったと思います。
それが証拠にあの後、金凌が光瑶に「逃げて」と言ったのです。
金凌には、阿瑶の想いが伝わっていたのです。あの場面で涙しました。


左腕を忘機に切られ既に失神寸前の阿瑶に曦臣の手で
止めを刺そうと図る聶懐桑のあの演技は凄まじいものでした。
曦臣と阿瑶の長年の信頼関係の深さを聶懐桑は、
間近で見知っていた筈です。
それを阿瑶の一番大切な曦臣に命を奪わせた。
最愛の兄聶明玦を奪われた恨みは、それほど激しいものだったのでしょう。

胸に朔月を突き立てたままの阿瑶と曦臣の場面が、
もう二人の愛の修羅場としか言いようがありません。
阿瑶は、ありったけの激情をぶつけています。
こんなに尽くしたじゃないか。見返りなんて何も求めなかったじゃないか。
なのに何故、命まで奪おうとするのかと。
あなたも結局聶明玦と同じで、私を決して許してはくれないのかと。
あんなに冷静で礼儀正しくあり続けた阿瑶が、初めて曦臣に見せた
駄々をこねる幼子のような叫び。
恨み、憎しみを力にする剣恨生を身に佩び、世の全てを警戒し続けた
阿瑶の本来の姿は、あの脆く幼い心の持ち主だったのでは、ないでしょうか。
対する曦臣の狼狽え涙する切なさ。
それでいて涙を溢れさせて曦臣を掻き口説く阿瑶は、堪らなく淫靡なのです。
朔月をつかみ我が身を抉るあの血まみれの姿は、エロスの極みでした。
朔月を引き抜くことも出来ず、ただ阿瑶を見つめ涙をこぼし続ける曦臣の
苦悶の表情。あの二人の場面は、正に愛の極限状態だったと思います。

最後の力を振り絞って曦臣を聶明玦の棺の傍らに導き、
私が翻訳で読んだとき、「一緒に死にましょう」だったので、
「一緒に死んでください。」この言葉の力強さに改めて圧倒されました。
曦臣は、受け入れたのですよ。
一緒に死んで良いと思ってくれた。
目を瞑り、振り上げた手をゆっくり下した曦臣を
見極めようとする阿瑶がふっと微笑むあの顔が愛しいです。
力を込めて曦瑶を突き放す阿瑶の万感を込めた表情、素晴らしかった。
阿瑶が生涯抱えた空洞を今曦臣が埋めてくれたのだ。
私は、阿瑶にとっての最高のエクスタシーだったと思います。
だからこその、「聶明玦、私があなたを怖れると思うか。」との、
あの覚悟の叫びに繋がるのでしょう。
死して怨霊と化した聶明玦と覇下と共に自分も封印されることを、
阿瑶は、判っていました。
私は、阿瑶に死の平安が訪れて欲しいと思っていましたが、
このブログで以前述べたように、阿瑶は肉体を喪って、霊識になってからも、
封印された棺の中で、聶明玦と覇下という凄まじいものと闘っていかねばならないのです。
その責め苦に独り立ち向かおうと決断した阿瑶は、あの時、
現世であれ程までに苦しめられ続けた執着から脱却出来たのだろうと思います。

何故、曦臣を一人残したのか。
やはり曦臣の命だけは奪えないのか。
それとも自分は、愛を得られたと実感したからか。
己を曦臣の中に永遠に残したかったからなのか。
それら全てなのか。


阿瑶の人生は、虚しい人生だったと評されるでしょうが、
確かにその人は生きてあった。藻掻いて生きた。
そして曦臣という人の心を奪って逝った。
観音廟の石段に座り込む放心状態の曦臣の姿は、痛ましくてなりません。
最終場面近くで忘機が聶懐桑に「仙督」と呼ばれていたのは、
藍曦臣が蟄居しているからでしょう。
原作番外編で、魏嬰が藍湛に「お兄さんは、大丈夫ですか?」と尋ねて、
藍湛が「あまり良くない」と答える。
ただそれだけの記述でも、藍曦臣の受けた痛手がどれ程のものかが判る。
私は、曦瑶の人間なので、それだけ深く阿瑶が曦臣に思われているのだと
判るだけで救われた気持ちになる。
たとえ曦臣が藍家宗主の重責を思い、やがて表舞台へ立ち返る日が、
遠くないにしても、曦臣の受けた喪失の痛みと空洞は、
生易しく癒えるものではないと思う。
ドラマでは、聶明玦と金光瑶の遺体が収められた棺がどう封印されたのか、
説明は、なかったけれど、原作では、「被釘上七十二顆桃木釘」で
封印されたと書かれている。最強の封印だそうだ。
転生も望めない。輪廻転生の輪には乗れない。
たった一度きりの阿瑶の人生、それだからこそ、
たとえある者にとってはこの上なく醜悪でも、
ある者にとっては。鮮やかに儚く美しかったのだと思います。


最後に、日本語版で放送して下さって本当にありがとうございました。
この3ヶ月素晴らしいドラマを堪能出来て幸せでした。