曦瑶

「陳情令」金光瑶と藍曦臣についての彼是

阿瑶のベルトと衣装

昨日Twitterでこの方の記事「金光瑶のベルト」https://twitter.com/Durch3zuns
読ませて頂いて非常に感銘を受けた。

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孟瑶のベルトがはっきり映るのは、この雲深不知処での孟瑶と曦臣との別れの場面だ。
次は、孟瑶が聶氏の副使として薛洋を引き取りに訪れる場面。

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その後、孟瑶が聶氏を追放され温氏へ潜入してからも、
このベルトを身に着け続けているのだ。

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更に驚くのは、温若寒殺害の手柄を立てて金家に迎え入れられ、
金光瑶と名前を改めた後も尚、このベルトを装着し続けている点だ。

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このベルトは、孟瑶が副使に取り立てられた時に、
聶明玦から贈られたものなのではなかろうか。
だからこそ、孟瑶は大切に身に着け続けた。
取り立てて貰った恩に感謝し心から尊敬していたものが、
己を苛め抜いていた統領を殺害する現場を目撃され追放されてから、
互いの感情はすれ違ってしまう。
それでも尚、阿瑶は、このベルトを身に着ける。
これまでも私は、阿瑶の聶明玦への執着は、根深いと感じてきたが、
このベルトの存在を知って、その執着の凄まじさに慄いた。
阿瑶が聶明玦から金鱗台大階段を蹴り落とされたあの場面でも、
このベルトが映っている。

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聶明玦が死に阿瑶は、以後このベルトを身に着ける事は無くなったが、
執着を手放した訳ではない。
替わりに阿瑶は、聶明玦の首を手元に置くのだ。
私は、「曦瑶」の人間だけれど、阿瑶と聶明玦、そして藍曦臣、
この三人の人間関係を考えると、余りに深淵が深すぎて、
とても私などが太刀打ち出来るような代物ではないと思う。


肉欲を伴うものでは無かったと私は、思っているのだけれど、
聶明玦と阿瑶の間には、確かに愛情が存在したと感じている。
聶明玦から阿瑶へは、正しい道へ導かねばならぬという庇護者の気持ち、
阿瑶から聶明玦へは、父とも兄とも慕い、ただあるがままを認めて欲しい、
受け入れて欲しいという気持ちを強く感じる。
阿瑶は、自分が殺した聶明玦と一つの棺に封じられて、
この先気の遠くなるような果てしない時間を制裁を受け続けるのだろうけれど、
私は、阿瑶にとっては、自分の罪を償う機会なのだと思う。
逝った者も残された者もいつか救われる時がやってくる。
甘いだろうけれど私は、そう信じている。

 

次に、阿瑶の衣装について

孟瑶、金光瑶の衣装でどれが一番好きかを考えてみた。
一番豪華なのはこれかな。

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次は、これ。

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けれど私が金氏の衣装で好きなのは、この色重ねの襟元のこれだ。

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エストで絞られて裾に懸けてふわっと広がっているドレスみたいだ、
そして実は、阿瑶全体で見て好きなのがこれだ。

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大きく広がった袖に落ち着いた色合いのしっかりした織り地。
阿瑶に本当に似合っていたと思う。

 

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 金光瑶の帽子とベルトに飾られているのは、赤瑪瑙かな。
成功・健康・長寿・富の宝石言葉を持つ集中力、持続力、
忍耐力をもたらすとされる石。
忍耐のお陰で成功を収めたかもしれないけれど
阿瑶は長く不眠で不健康だったろうし結局短命に終わった。皮肉なものだ。
勝手な想像だけど阿瑶は、閨を避ける為に秦愫には
睡眠薬入りのお茶か術をかけて夜を眠らせていたと思う。
自身は夜毎悪夢にうなされてそうだしとても健康だったとは思えない。

金光瑶にとって、権力と地位の象徴であったろうこの帽子が

最期の時、吹き飛ばされて埃塗れで聶懐桑に拾われ、

その手に血がついてしまうシーンは、本当にこのドラマの白眉だったと思う。

 

なぜ感情 こんなにも与えたの?

Archive of Our Own(みんなのアーカイブ)での私のIDは、cranberryheavenです。
各国の皆様による「魔道祖師」「陳情令」の様々な創作を楽しませて頂いています。
何故「cranberryheaven」という名前にしたかというと、
吉井和哉のアルバム「The Apples」収録曲「クランベリー」から来ています。


はてなブログでは、歌詞が掲載できるので載せます。

クランベリー

歌手 吉井和哉
作詞 Kazuya Yoshii
作曲 Kazuya Yoshii

暴れる元猿に欲望が流れ込み
アダムの腰紐にイブがそっと掴み
ブラックホール迷い込み抜けたら別の宇宙に
その連続はさらに果実の実を生やし

クランベリー クランベリー クランベリーエデン

かたわら 肌色の悪魔に蛇が舌をニョロリ
知恵を付けた猿にボロ儲けの囁き
引力の綱引きに何もかもグチャグチャに
楽園は暗闇に潰された赤紫

クランベリー クランベリー クランベリーヘヴン

それを食べたらどうなるの?
どうしてそれを差し出すの?
せっかくだからいただくよ
とっても甘い味するよ

I LOVE I LOVE I LOVE
YES I LOVE

何もかも吸い込めよその穴に創世期よ
三角形の連続の中どれか一つ目が開いてる

不揃いのこの世界は真っ二つにいつか割れるの?
吸い込めよ何もかも僕のことも引き裂いて

抱え込み 頬張り 迷い込み

それを食べたらどうなるの?
とっても甘い味するよ
裸の二人が服を着たらなぜもう逢えないの?

なぜ感情 こんなにも与えたの?


これは、アダムが藍曦臣、イブが阿瑶。
『アダムの腰紐にイブがそっと掴み』
これはもうこの画像そのもの。

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曦臣が「LOVE」を知った時、
『不揃いのこの世界は真っ二つにいつか割れるの?
吸い込めよ何もかも僕のことも引き裂いて』

最後のフレーズ
『なぜ感情 こんなにも与えたの?』
この言葉に尽きるように思います。

アダムとイブを歌った「エデンの夜に」という曲もあります。

『1000年前から君と僕はつながれていた
最後の夜を決めてからとても長い月日さ』


『苦痛に満ちた鮮やかな世界
 蘇るその時二人は
 恋に飢えたアダムとイブの様に
 砂時計に操られ』

阿瑶の転生をひたすら長い時間待ち続ける曦臣の姿を想ってしまいます。
もし二人巡り会えたなら、夜と朝に操られ、
めくるめくエンターテーメントを繰り広げるのでしょう。


「エデンの夜に」

歌手 THE YELLOW MONKEY
作詞 吉井和哉
作曲 吉井和哉

彼女は待ってる白いガラスの部屋
彼女は待ってる僕の新たなキスを
Ah………
1000年前から君と僕はつながれていた
最後の夜を決めてからとても長い月日さ
Ah………

苦痛に満ちた鮮やかな世界
蘇るその時二人は
恋に飢えたアダムとイブの様に
砂時計に操られ

もしもこの世がただの黒い固まりで
もしもこの世に君が居ないとしたら
Ah………

あの日見つけた氷の薔薇も
僕は触れずにいたんだろう
眠りから覚めてまた果てるまで
濡れたこの夜を飾るだけ
恋に飢えたアダムとイブの様に
月明かりに操られ

水晶の瞳オーロラの胸
裸で交わす幻エンターテーメント
君と二人で光と影の
糸で結んでいたいのさ

眠りから覚めて全て終わるまで
堕ちたこの夜を飾るだけ
恋に飢えたアダムとイブの様に
夜と朝に操られ
操られ………
操られ………

 

 

遠い天の果てで

#君・僕・死で文を作ると好みがわかる、そのお題で、

私は、「死は、僕と君を隔てることは出来ない」と書きました。
けれど、連想したのは、
「君と僕は過去と未来よりも強く結ばれて
未来永劫に出会い続ける」という、詩の一節でした。


原作で、孟瑶と藍曦臣が出逢うのは、
雲深の不知処が焼き討ちに逢って、藍曦臣が
貴重な書物を持って一人逃げ延びた先の事でした。
アニメで「洗濯」の描写が出てくるところから、
それはどこかの川辺かもしれません。
孟瑶と曦臣が水を汲む、そんな情景があったかもしれません。

阿瑶と曦臣、その奇跡のような出逢いで、
運命の恋が芽生えたのだろうと思います。

長い年月を経て、一旦は悲劇に終わるその恋は、
死によって隔てられることは無いのです。
記憶があろうとなかろうと、阿瑶と曦臣は、
未来永劫に出逢い続ける、
そんな未来を私は、夢見ているのです。


青木景子さんの詩集『風の中の少年たち』に収められた

「遠い天の果てで」
僕らは
はじめて
会ったときに
遠い天の果てで
水を汲む未来を知っていた

そうして次に
生まれた僕らも
遠い天の果てで
水を汲むのだね。

それは何色の水か
わからないけれど
生命のように美しい
はじまりの水

君と僕は
過去と未来よりも強く 
結ばれて
未来永劫に 
出会い続ける

 

 

藍曦臣の涙

ドラマ第五十話、藍曦臣が金光瑶の胸に朔月を突き刺してしまった後、
阿瑶は、最初に聶懐桑が長年己を欺き復讐の計画を練り続けてきた事を、
ようやく知って聶懐桑を詰りますが、その後は、藍曦臣に向かって、
自分は、長年あなたに尽くしてきたじゃないか、何の見返りも
求めなかったじゃないかと、まるで聞き分けの無い幼子のように、
言い募ります。
この時藍曦臣は、何も言い返す事も出来ず、ただ頬に涙が伝います。
「聶明玦と同じであなたも私を許さない。命さえ残しては下さらないのか。」
そう朔月を掴んで自ら傷を抉りながら叫ぶ阿瑶を見つめ、
ただ涙を流し続ける事しか出来なかった曦臣。
阿瑶との最期、そして階段で懐桑と語り合う場面でも、
曦臣の顔には、涙の雫がありました。
藍曦臣という人は、それまであんなに涙を流した事は、
無かったのではないでしょうか。
本人は、その自覚を持ち合わせていなかったように感じますが、
曦臣は、常に感情を抑制していたように思います。
それが、観音廟で金光瑶によって、己の奥底に秘めていた
感情を顕わにされてしまった。
枷を解かれた。
だから、金光瑶を喪った直後の放心状態を過ぎると、
猛烈な悲しみ、痛みが曦臣を襲うのだと思います。
雲深不知処の自室寒室に籠り、悲しみに暮れるのではないでしょうか。
とめどない涙を流しながら。
けれどそれは、必要な事なのです。


金子大栄師の言葉
『悲しみは悲しみを知る悲しみに救われ、
涙は涙にそがれる涙にたすけらる』

泣くことは決して後ろ向きではありません。
「泣く」の漢字はサンズイに立つと書きます。
泣いて泣きつくして立ち上がっていくのです。
「涙」もサンズイに戻ると書きます。
涙を流してあるべき自分に戻っていくのでしょう。(細川淳栄)


藍曦臣も涙を流しつくして、泣きつくしてやがて立ち上がる日がくるのだと思います。
藍宗主の責務を放棄することなく、現実に立ち向かう時が来るのです。
曦臣は、自己崩壊を起こすほど弱い人間ではありえません。
藍氏を存続させる為に妻帯し子を望むでしょう。
世間体の為ではなく妻も子も心から慈しむでしょう。
どうしようもない空洞を抱えつつ、胸の奥底で阿瑶を想いながらも、
夫として父として家族を愛し、叔父や弟夫夫を愛し、
藍氏門下を慈しみ、そうして長い人生を送っていくのだと思います。
藍曦臣は、それらを完遂できる強く誇り高い人だと私は、思います。
そうしてそれこそが、阿瑶の願いだったろうと思うのです。

 

 

阿瑶は、ファム・ファタールなのか

阿瑶は、曦臣のファム・ファタールなのか?
ファム・ファタールが、「運命の相手」というならば、
確かに阿瑶は、曦臣のファム・ファタールだろう。
けれど、「相手を破滅させる魔性の存在」という意味では、どうだろう。
確かに阿瑶は、その死によって曦臣に、多大な衝撃を与えた。
曦臣の心を奪って、半身を捥ぎ取って、ひとり手の届かぬ黄泉へと旅立った。
長く寒室に籠る程に曦臣の喪失は、深かった。
けれど私は、曦臣と言う人は、破滅に至って仕舞う、そのような脆さは、
持たなかったと思っている。
藍家の長子として、後には、藍氏の宗主として、
正しく清く強く生きることを骨の髄まで叩き込まれてきた曦臣には、
たとえ観音廟の最期のあの時、阿瑶と共に死ぬことを望んだのだとしても、
生き残った今、生を放棄しただろうか。
私は、痛み苦しみ哀しみを抱えて生き続ける苦難の道を選ぶのだと思う。
阿瑶が奪って逝った空洞を埋めることの出来る何かを求め続けて、
探し続けて、仙人への長い時を生きるのだと思う。

もし曦臣が「ファム・ファタール」という言葉を知っていたとして、
阿瑶をファム・ファタールと捉えるだろうか。
「運命の人」これは、認めるだろう。
けれど「(自分を)破滅させる魔性の存在」とは、認めないだろう。
阿瑶は、曦臣を破滅させることを望まなかった。
「決してあなたを害しようとは思わなかった。」
その言葉を証明して死んだのだから。
曦臣が見た阿瑶は、妖艶で魅惑的な容姿と言動そのものだった。
決して曦臣が惑わされた訳ではない。
自分の感情が何であったか気づくのは、阿瑶を喪ってからだという、
その致命的なすれ違いはあったが、確かに二人に
愛が存在したことを曦臣は、確信しただろう。
だから曦臣は、生きる。
生きて希望を探すのだと私は、思う。


阿瑶は、対聶明玦においては、ファム・ファタールといって良いと思う。
聶明玦が阿瑶を「運命の相手」と捉えていたかどうかは謎だが、
確かに阿瑶は、明玦を破滅させた。
阿瑶の明快への愛と執着の深さは、正しく、サロメを思わせる。
想いが叶わず共存の道がないと思い定めるや、
命を奪ってその身を手に入れた。
切り落とした血まみれの首を胸に抱いて口づける様が
まざまざと浮かぶようだ。

やはり阿瑶は、ファム・ファタールの名が似合う。

 

 

金光瑶が金鱗台大階段上で思うのは

阿瑶は、自分を不幸だと捉えていたのだろうか。
偉大な父親に認知されない妓女の息子。
どんなに功績を挙げて父親の家系に入れて貰えたとしても

決して息子としてではない。
あげくにやっと出自を蔑まぬ女性と結婚出来ると思えば、
それは父親が部下の妻を襲って産ませた異母妹だった。
近親相姦が露呈して妻を苦しめることを怖れて

我が子の命を無きものとする。
これ以上の地獄があるだろうか。
世の全てを恨むなというのは過酷過ぎると思う。

異母兄を死に追いやる原因を作り(原作では違うけれど)、
義兄弟の契りを結んだ聶明玦を謀殺し、
諸悪の根源を為した父親にその所業にふさわしい死を与え、
生前の母に辛く当たった朋輩達を父光善の死に関わらせて、

(親切にしてくれた思思を除いて)始末し、

己の出自を愚弄した者達を抹殺した。
阿瑶が権力の頂点に立って目指したものは何だったのだろう。
「陳情令」の世界で、仙術を修練する者たちが目指すのは、
「不老不死・羽化登仙の術への到達を理想とする」だろう。
生涯夥しい悪を行った阿瑶は、決して己が登仙など出来ない事を
承知していたろう。
私は、秦愫が異母妹と知って二度と関係を持たなかった阿瑶にとって、
己の性さえ忌まわしく憎むべきものとなったに違いないと、
考えているので、自分の子孫を残そうという意思も
無かっただろう。
事実阿瑶は、意図したものでは無いにせよ幼くして両親を
失くさせてしまった金凌を金氏の後継者として慈しんで育てていた。

仙家百門の頂点「仙督」の地位に登り詰めた阿瑶の
心の内には、何があったのだろう。
人を恨み世を恨み自分自身を憎んだ阿瑶は、
それでも社会に復讐したかった訳ではない。
彼にとっての唯一の「白月光」藍曦臣の前で
恥じることなど無いよう、善を行おうとしていたのだと思う。
弱き者たちの安全を守るための見張り台を建設し、
貧しい者たちへ施しを与えた。
観音廟事件後には、それらの金光瑶の功績など、
全て無かった事に、いや全て悪評に替えられたのだろう。
それだけの悪事を行ったのだから当然なのだろう。

観音寺最終局面の近く、霊力の戻った藍曦臣が剣を抜いて

追い詰められた阿瑶が様々な悪を告白した後、意地汚くも金凌を人質に

取ってまで、逃げ延びようとした、あの心境が私には、今一理解出来ない。
忘機に左腕を切り落とされて以降でさえ、まだ生へ執着していた。
命だけは許されて裁きに懸けられて、その後は?
仙家百門の衆は、極刑を望むだろう。
金丹を奪われ、奴隷へ堕とされ、宮刑、四肢切断さえあるかもしれない。
そう考えれば、あの聶懐桑の仕打ちは、
阿瑶にとっては死が救いだったのかも知れないと思える。

魏無羨が復活するまでの13年間の中で、また復活してから阿瑶が、
次第に追い詰められていく日々の中で、仙督としてあの華美な衣装で
金鱗台の大階段の上から、眼下に広がる豪奢な景色を眺める時、
阿瑶は、雲深の不知処で初めて藍曦臣に出逢った日のことを
思い出すのではなかろうか。
出自を噂されて居た堪れぬ思いに苦しんだ自分に

暖かな言葉を掛けてくれた人。

献上品を受け渡す時に触れた指の電流が走った感触。
傍若無人な温晁らの剣を封じた曦臣の手腕の鮮やかさ。
あの日阿瑶は、胸に明りを灯した。
あの日阿瑶は、穢れを知らなかった。

切ないほど無垢だった。
震えるほど純粋だった。
あの日に帰りたいと。

 

 金鱗台の頂きに登り詰め、世の権力を掌握した金光瑶は、
その壇上からの景色をこの上なく美しいと愛でただろうけれど、
同時に怖ろしさ虚しさも感じていたのだと思わずにいられない。
彼がそこに至るまでの過程で全身に浴び続けた幾多の人の血は、
彼の心と身体を蝕んでいたことだろう。
決して戻れない、取り戻せない、あの奇跡のような
雲深不知処でのあの時を、
狂おしい程、懐かしく恋しく想うのだろう。

聶明玦と金光瑶、二人の棺

ドラマ「陳情令」金光瑶の最期は、
「聶明玦、私があなたを怖れると思うか。」と
意を決して、棺へと走り込む場面でした。
その先、金光瑶がどのように絶命したのかと考える時、
あり得ないことかもしれませんが、阿瑶は、
頭と手足、胴体を縫い付けられた聶明玦の胸に、身を横たえ、
ふっと微笑みながら息絶えたように、私には感じられるのです。
左腕を切り落とされ、胸に朔月を突き刺されて壮絶な痛みの中であっても、
藍曦臣が一旦は、自分との死を受け入れたというその一点で、
そして自分は、曦臣を死へは引き入れずに済んだというその決断で、
阿瑶は、救いを得られていたと思うのです。
だから、あれ程怖れていた聶明玦へ立ち向かう勇気が得られた、
私は、そう思います。
阿瑶の聶明玦への気持ち、それは妄執と言っていい程の、
凄まじい愛憎だった筈です。
かつては、純粋な尊敬と信頼と慕情(私はそれが父とも兄とも慕う愛情
だったと思うのです)が、聶家の総領殺しの一件以降、
阿瑶は、明玦に許されなかった事を、受け入れられなかった事を、
落胆し己の情を否定されたように感じ、
恨むようになっていったのだろうと思うのです。
阿瑶は、戦功を立て義兄弟の契りを結ぶまでになりましたが、
少しの悪も赦せぬ聶明玦にとっては、孟瑶(金光瑶)は、
善へ導くべき人間だと捉えていました。
それでも最後まで明玦は、阿瑶が自分に牙を剝くとは、
思っていませんでした。
彼は、自分が阿瑶を更生出来ると信じ込んでいました。
それも彼なりの愛情だった筈です。
けれど阿瑶は、その愛に気づきませんでした。
阿瑶は、母からの愛情を確かに受け取った筈だけれど
確かに阿瑶は、最後まで母を愛したけれど、
この母子の愛には、どこか歪な影がありました。
阿瑶は、自分自身を愛せなかった人間だったのだと、私は思うのです。
だから、阿瑶は、聶明玦の愛を感じ取れなかった。
愛と執着の違いが判らなかった。
もしかしたら阿瑶は、聶明玦の本当の肉親である聶懐桑への想いと
同等かそれ以上の愛情さえも望んでしまったのかもと思います。
それだからこそ阿瑶は、思うように与えてくれない明玦を
憎むように為ったのかもしれない。
異常に執着したのかも知れない。
そして阿瑶の藍曦臣への想いも阿瑶は、
それを愛とは認識出来ていなかったのではと、思うのです。
「霧のかかったような世界で唯一の白月光」
本人が思う純粋な尊敬の情は、紛れもなく何物にも代えがたい
愛情だったでしょうに、阿瑶は、自分自身にさえ、
それを愛と認めなかった。曦臣にその想いを告げようとさえしなかった。
曦臣は曦臣で、愛という感情が己にある事さえ知らなかった。
この三人の間の愛は、とことん不毛です。


けれど私は、観音廟事件の最終場面で、この三人に一つのフィナーレが
訪れたと思うのです。
現実には、刀霊の呪いに侵され悪鬼と化した聶明玦と覇下、
それに対抗しなければならない阿瑶の霊識は、余りにか弱く、
想像を絶する地獄が待ち受けるのでしょう。
痛み苦しみそれを阿瑶は、粛々と受け入れるのだと思うのです。
かつてあれ程愛し憎んだ明玦を阿瑶は、赦しそして
身をゆだねるのではないでしょうか。
肉体が滅んだとしても阿瑶が流す涙がやがて、
明快を蝕む悪鬼を鎮める事が出来るのではないでしょうか。
その時、二人に安らぎが訪れるのです。
私は、そう信じています。