323.王城のクッションリス
お披露目が終わると、机と椅子を戻し、会議の参加者で再び話し合いとなる。
遠征夜着のモデルとなった隊員達は、実際の動きの確認をしたいと外へ出て行った。
「現在の冬用毛布をこの形にし、就寝時に使用するのはいいかもしれん。携帯温風器と組み合わせればよりいいだろう」
グラートの言葉に、一同がうなずいた。
形状的に笑いをこらえた場面もあったが、確かに暖かさや機動性は通常の毛布よりいいだろう。
「これならば就寝時に何かあっても、着たまま対応できます。夜間に来る魔物や動物もいますからね」
「隊員の皆様が狙われるのですか?」
ルチアがそう尋ねると、グラートが首を横に振った。
「昔は怪我人の血の匂いで来たこともあったが、今は残飯目当てだな。あとは持ち込みの食料や、酒の匂いにつられることもある。まあ、遠征が長引けばそれぞれに匂いも……」
「危険なものはそう来ませんし、見張り役がいるのでそう問題はないのですが。
「虫除けも万能ではないからな」
以前ヴォルフとフェルモに聞いた
頭に
しかし、小型の蛾も油断できないらしい。
「テントに入ってきた瞬間に袋につめてしまえばいいのだが、毛布をかぶっていると動きが遅れやすい。他にも、地面から森モグラにつつかれることもあってな……」
「森モグラは、危ないのですか?」
森モグラは中型のモグラだ。
雑食だが、人を襲ったという話を聞いたことはない。
「森モグラは好奇心旺盛なのです。人間を知らない個体ですと、とりあえず敷布に穴を空け、隊員の足を囓ってみようとするくらいには」
「そして、その傷は化膿しやすい……」
「あと麻痺効果もあるので、足をやられるとしばらく動けなくなります」
完全に危険生物ではないか。
魔物図鑑を見て、ちょっとかわいいと思っていたが、実際はまるで違う。
「そういったものへの対応を含め、遠征夜着は寝具として有効でしょう。武器を使用する動きを考えると、夜警の際は現在のオーバーコートのままがいいと思いますが」
「そうだな。寝具としてならすぐ導入できそうだ」
「偽装柄にすれば、目で判断する魔物からは狙われづらくなりますね」
「偽装柄は、疾風の魔弓を使用する際に危なくないでしょうか? 森の中では味方も見えづらくなりますから」
話の進む中、ルチアがちょっとだけ前へ身を乗り出す。
「それなら、リバーシブルはいかがでしょうか? 表を偽装柄にし、裏返すと森や草原にない一色で――現在の毛布の色そのままでしたらお手頃になりますし、オレンジの毛布などもあります」
「なるほど。それならばどちらにも使えますね。怪我人や神官には偽装柄を着てもらい、後方で待機してもらえばいいでしょう」
皆、納得した
そして、話は擬態の遠征夜着に移る。
「ファーノ工房長、擬態の遠征夜着についてだが、あれは技術サンプルだろうか?」
「それなんですが、うちの工房に羊牧場で育った者がおります。以前、はぐれ狼が出て、番犬がやられてしまって。彼女が熊の毛皮を着て向かっていったら、狼が逃げたんだそうです」
「そういう事例があるのか。興味深いな」
「擬態の遠征夜着は、一度魔物に試してみたいところです。討伐時の追い込みに使えるかもしれません」
思い付きや勢いではなかったらしい。
魔物討伐部隊が魔物の格好で魔物を追い込む――ちょっとややこしいが、それで討伐がしやすくなるなら、とてもよいことだ。
「さきほどのを見るかぎり、
「いや、やはり緑の王ではないか?
「でしたら、
ありがたいのだが、蛇の毛布と考えると、ちょっとだけ複雑な感覚もある。
「次の遠征にリバーシブルタイプを持っていきたいところだな。また試作を頼めるか、ファーノ工房長?」
「ありがとうございます。では、片面を偽装柄にし、もう片面を――えっ?」
ルチアが言葉を止め、そのまま固まった。その露草色の視線が外へ向いている。
眼下にいるのはヴォルフ達、先ほどの遠征夜着を着ている。
「ん? どうかしたか? 先ほどの遠征夜着をそのまま着ているようだが……」
「なぜ、ランドルフ様がカーク様を持ち上げているのでしょうか?」
「持ち上げる……?」
不安と心配が交差した。全員が立ち上がり、窓へと向かう。
眼下ではランドルフがカークを両手で持ち、右下に下げ――真剣な顔で空を見た。
「ええっ?!」
「はあっ?」
数人が思わず大きな声を上げる。
「投げましたね……」
「ランドルフが投げても、やはりすぐ落ちるな」
それなりの高さまで飛んだが、カークはまっすぐ下に落ち、ヴォルフとドリノが受け止めていた。
一瞬、モモンガの被膜のように服は広がったが、人間は重い。滑空は無理だろう。
下の四人が話している中、墨色の髪の男が駆け寄り、その場に崩れ落ちた。
「あれは――カルミネ様? 大丈夫でしょうか?」
「あの者達の姿を見れば、笑って膝も抜けるだろう」
グリゼルダが心配そうに言うが、ジルドがあっさり返した。
具合が悪いのかとあせったが、ヴォルフ達の遠征夜着姿が衝撃的すぎたらしい。
「戦闘靴を任せているので、遠征夜着も見ないかと声をかけたのだが、打ち合わせと重なったと言っていた。ちょうど終わって来たところかもしれん」
グラートの言葉を聞きつつも、皆、眼下のヴォルフ達を見ている。
復活したカルミネはカークから話を聞いているようだ。時折うなずいていた。
そして、カークはクッションリスタイプの遠征夜着を脱ぎ、カルミネに手渡した。
「カルミネ様が着るおつもりでしょうか?」
「いえ、何か……魔封箱を開けておられますが」
カルミネは持って来た魔封箱を開け、丸く白い骨らしきものを取り出した。
「あれは、
ヨナスがあっさり言った。
しかし、効果は弱めで、骨そのものにもあまり強度がない。
オルディネでは竜騎士の装備に使われると聞いたことはあるが、まさか――
「何をするのかしら?」
隣のルチアが、不思議そうな顔でつま先立ちしている。
カルミネが遠征夜着を地面の上に広げ、ヴォルフ達は後ろに下がる。
袖をまくったカルミネが、
そして、今まで見たこともないほど真剣な表情の後――ふわりと笑った。
「っ!」
彼を中心にした空間が、一瞬だけ薄青く、陽炎のように揺らいだ。
ドリノがぐらりと体勢を崩し、ランドルフに支えられている。
それが気にかかったのか、グリゼルダが窓を大きく開けた。
幸い、ドリノはすぐに一人で立てた。魔力酔いはほとんどしていないらしい。
「ダリヤ先生、今のは付与魔法でしょうか?」
「はい、
ヨナスに返事をしつつも、カルミネから目が離せない。
もしかすると粉ぐらいはあるのかもしれないが、一回の付与で使いきったらしい。
どれだけの魔力を注ぎ込んだのか、どんな付与をしたのか、後でくわしく聞いてみたいところだ。
ぴょんぴょんと数回跳ねたカークは、ランドルフに近づき、両手を広げた。
うなずいた彼は、カークを再び上へ投げたが――少しだけ滞空時間が長くなった気がする。
「付与をしたところで、流石に飛ぶのは無理だろう。むしろカークは風魔法が使えるから、そちらで補助する方がいいと思うのだが」
「ああ、ドリノがハシゴを持ってきましたね……」
「二、三階から飛び降りたくらいでは怪我はしないでしょう」
止めないのかと思ってしまったが、魔物討伐部隊員は全員、運動神経がとてもいい。ダリヤを基準にして考えてはいけないのだろう。
カークはするするとハシゴを登り、棟の三階、バルコニーの手すりの上に立つ。
皆、窓を開け、そちらを見る形になった。
「飛びまーす!」
底抜けに明るい声が響く。
手すりを蹴った彼が、ひらりと宙に舞う。
右上から左、全員の視線がその姿を追った。
薄茶の毛皮をはためかせ、水色の空を滑り飛ぶ王城のクッションリス。
ただし擬態。
カークは、ヴォルフ達を飛び越して滑空したのち、鍛錬場の端にひらりと着地する。
着地前にフードは外れてしまったが、尻尾はふわふわと動いていた。
「……クッションリスに、成ったな」
「……そうですね」
グラートの低い声に、グリゼルダも低く同意する。
壮年の騎士は口を半開きに、ジルドは口をきつく結び、二人とも動かない。
「ええと……作った甲斐が、ありました……?」
「……っ!」
なぜか疑問形になっているルチアに、付き添いの男性が口を押さえ、肩を震わせて耐えている。
イヴァーノは固めきった笑顔になり、ヨナスにいたっては無表情の上、気配すら消している。
ダリヤはお腹の前できつく両手を組んだ。
誰でもいいので、とにかく話を再開してほしい。
「あははは!」
寒空の下、誰が最初に声を上げたものか、三階まで聞こえてくるほどの笑い声が響いた。
駆け戻ってきたカークの肩を叩き、皆で大笑いしている。
それにつられたかのように、会議室も笑いに包まれた。
「予想外のことになったが、うまくいけば遠征で偵察や地形把握に使えるかもしれん」
「それができれば、討伐計画が立てやすくなりますね。天候や周囲の魔物を考慮し、飛ぶ者の安全を優先させる必要がありますが」
確かに、上空からの偵察には向いていそうだ。
魔物から逃げるのにも使えそうではあるが、滑空で飛行ではないから難しいだろうか――そんなことを考えていると、視界の隅、薄茶色の毛皮が動いているのに気づいた。
窓の外では、カークが再びハシゴを登っている。
どうやら、先ほどより高い位置から飛ぶつもりらしい。
そのまぶしいほどの笑顔に、クッションリスの遠征夜着は大変似合っていた。
カルミネがハシゴを押さえ、ヴォルフ達はカークがバランスを崩したときに備えてだろう、鍛錬場で両手を広げ、笑顔で待機している。
ヴォルフは
ルチアもまた、カークにその青いまなざしを向けている。
自分が作った服が、新たな可能性を広げたことに感動しているのかもしれない。
彼女の薄緋色の唇が小さく動き、ダリヤには聞き取れぬ音が落ちる。
「……もう、森に放てばいいと思うの……」
隣のヨナスが、激しく咳き込んでいた。
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大変にうれしく、ありがたく読ませて頂いております。
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