草創期のゲーム業界と”やくざ”の関係を教えてください。
草創期のゲーム業界と”やくざ”の関係を教えてください。 かなり密接な関係だったそうですね。 ファミコンで急激に市場が拡大し、組織が追い付いていかない未成熟な業界で”やくざ”が活躍するのは図式の上ではわかるのですが、実際、どんな人がどんな風にかかわっていたのでしょうか? 当時の裏話でも聞けたら嬉しいです。 スー〇ーマ☆オやドラ●エの影に”やくざ”ありですか?
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ファミコン以前のアーケードゲーム市場のときに、暴力団などが関与していたことはありますが、ファミコンまで市場が育ってからはそうした人々の活躍の場はありませんでした。 インベーダーゲームのブームに乗っかろうとし、インベーダーゲームがピーク期の伸び幅の大きさとブーム終息の早さで乗れなかったことから、それ行こうのゲーム基盤のコピーとその流通にそれらが関わっていました。 要は、開発費をかけずに、基盤だけコピーできるちょっとした技術に詳しい若者を囲い込んでのビジネスです。 この時期、ゲームセンターの花形は今で言う体感ゲームにあたるようなモーターで動く大型遊具(エレメカ)が中心でしたが、そこから電子ゲームが出てきて、ゲームセンター=不良のたまり場、と言われるようになっていきました。 この時期に、完全にヤクザというわけでもなく、かつヤクザとの付き合い方を心得ていて、自身がちゃんと利益を確保できたメーカーがコピー基盤の売り上げを元に後の大企業へと躍進していく基礎を築きました。 ヤクザは、市場が巨大になりすぎると、警察に睨まれるため、1980年代初頭には手を引き始めており、1985年の風営法8号適用を最後に急速な撤退でほぼ姿を消しています。 以前も、ゴミ処理の法律が改正されたら、一斉にヤクザがゴミビジネスを初めて山林への不法投棄が問題になり、法改正されて一斉に撤退したように、ヤクザというものは、短期的にわーっと参入して、社会問題として取り上げられて法改正されたらすぐに手を引くものなのです。 任天堂、コナミ、カプコンなどが、ナムコ基盤やタイトー基盤のコピーで、技術と資金を蓄積し、残ったメーカー群です。 彼らは、こうした波を見定めて、家庭用へと移行していきました。 (家庭用ゲームは当時玩具問屋の取り扱いだったのと、対米輸出の際の措置で強固なプロテクトがあり、複製ビジネスも成り立ちませんでした) 任天堂がファミコンを出したとき、サードパーティならぬセカンドパーティと呼ばれて初期の優遇メーカー群になったこれらのメーカーは、要はこうした混乱期を生き抜いた戦友(戦犯?)としての仲間意識で結ばれていたというわけです。 (やや例外ながら、ナムコはエレメカのメーカーで、エレメカ全盛期から各メーカーに電子化の波を説くなど、正当な進化を遂げましたが、エレメカメーカーからは異端児として見られている特殊なメーカーでした) ですから、それ以降の流れの中で入社してきた宮本が作ったスーパーマリオや、その後のクリエイターに出資してプロデュースに徹してゲームを作らせていく路線を造ったエニックスのドラクエシリーズなどには、そうした影がないというのは、こうしたゲーム業界の成長過程があってのことです。
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