スランプ物書きvs小説の神様
殺風景な部屋で男が突然大声で喚いた。
「ええい、全く! 小説を書く気が全くせんぞ! これは全て小説の神様のせいに違いない! くそ、神よ、でてきやがれ!」
「なにを抜かすか、このガキ!」
部屋の中にもやもやした物体が目の前に現れ、なんとなく人の形を取った。
しかし男は驚くこともなくまたも喚いた。
「ぬお、本当に出てくるとは! いったいどういう原理や背景で、どんな裏設定でここに小説の神様がいるのか……なんてことはどうでもいい! ええい、この野郎! とっちめてくれる!」
男はもやもやした人形に殴りかかったが、体はそのまま突き抜けて通り過ぎてしまった。
「くそ、実体がないなんて生意気な! それでも神か!」
男はまくし立てる。
「なんじゃお主は! 藪から棒に人の悪口を言いおって!」
もやもやしたものも負けじと言い返す。
「言うに決まっているだろう! ここんところ小説が全然書けていないのだ!」
「そんなもの、わしのせいにするんじゃない!」
「いや、神というからには責任は全部あんたのせいだ! このくそぉ! なんとかしやがれ! そもそも小説を書こうという気にすらならないので、ここんところエディタも開いていないんだ!」
「そりゃ完全にお主のせいじゃろうが! なんでわしを罵倒するんじゃ! 馬鹿らしい、帰るぞ!」
「神のくせに逃げるのか!?」
「なんじゃと……にげるじゃと!?」
もやもやした物体が次第に輪郭をはっきりとさせていき、ついに顔を覆い隠すほどの白髪と白ひげを蓄えたいかにも「神様」な姿の老人が現れた。
「なんとテンプレな姿……あぁ、小説の神がこのような姿とは、通りで昨今の小説はテンプレばかりになるわけだ」
「なにをぉ! わざわざ分かりやすい姿になってやったんじゃ、このくそガキ!」
「クチの悪い神様だ」
「ふん! お主にふさわしい態度を取っているだけじゃ!」
「まぁそんなことはどうでもいい! ええい、なんか小説が書けんぞなんとかしろ!」
「馬鹿を言え! 小説とはその人間の中の世界じゃ! 書こうと思えば書けるし、思わなければ書けないだけのものじゃ! お主が書こうとしておらんだけだろう!」
「だから困っているんじゃないか! 書く気がしないぞ! ええい! ヤケクソだ、やっぱり殴り倒してやる!!」
「待て、馬鹿者! お主、なぜそんなに焦っておる!」
「かつては楽しく小説を書いていたのに、最近全く書けないからだ! 無理やり書いても続かない! 何とも言えないフラストレーション! やはりお前を殴る!」
「なんじゃそれは!!」
男が殴り掛かると老人は思いがけない早さの身のこなしで男の突進を交わした。
「くそっ! 小癪な!」
「お主、無茶苦茶だぞ! 何なんじゃ一体!」
「うをおおおおおおおお、退屈だあああああああああぁぁぁぁ!!!!」
男はすごい大声で喚いた。
「た、退屈で人を殴ろうとするんじゃない!!」
「人じゃないからいいんだ!」
「人じゃないが神だ! 余計悪い!」
「そんな細かいことはどうでもいい! ええい、なんとかしろ!」
「待て、待て待て……ううむ……」
老人の目がキラリと光った。
「ん、なんだ……何だと言うんだ?」
「そのフラストレーション、その気合、わしには読めたぞ!」
「なにが!?」
「ふふふ。分かっておる、分かっておるぞ~。なにしろわしは小説の神。小説を書こうとするものの葛藤など手に取るように分かる」
「なら早くなんとかしろ!」
「待て待て……ふふふ」
「老人の姿でその笑い方かぁ……もっとこう老人らしく……」
男が一瞬だけ素面に戻って呟いた。
「うるさい! いいから聞け! お主は自らを開放することを忘れて居るのじゃ!」
「な、なんだそれは?」
「小説書きには様々なものがおるが……お主は開放タイプ!」
「開放タイプ? まるで能力タイプみたいな」
「その通りじゃ! 他にも理詰めタイプや設定マニア、萌え萌えタイプに燃焼系やらオレツエー
やらいくらでもあるわい!」
老人のテンションが上っていく。
「いや、もうちょっとちゃんと分類してくれない? そんなざっくりで適当な呼び名で並べられても説得感がないんだけど……」
「ええい、男が細かいことを気にするなっ!」
「いや、でも……」
「うるさいわい! とにかくお主は開放タイプじゃ! 自分の中のアイディア・悩み・秘めた思い・どろどろしたものやら笑えるものやら、とにかく自分の頭の中身を全部ひっくり返して小説を書くタイプじゃ!」
「ま、まぁそう言われるとそうかもしれないけど……うーん……」
「そうじゃ! そしてそれが故に収集がつかなくなってまともに完結作品など書けないタイプじゃ!」
「ああ、そうだよ! ってか、そういうのを何とかするのが神様の仕事じゃないのか!? ええい、なんでもいい、なんとかしろ!!」
「むむむ、あきらめろ!」
老人はきっぱりと言い張った。
「いや……おい……」
「お主の根本欲求は自分の抱えている物を全部ぶちまけることじゃ! お主がお主である限り、お主の書く作品はすべてそれじゃ!」
「そんなことを言ったら……俺はまともな完結作品を書けないじゃないか。ただでさえ、書きかけで放置されている作品が溜まっているというのに! これからもまともな作品が書けないというのか!」
「そうじゃ! あきらめろい!」
「な、なんて神だ……」
「お主はそういうタイプじゃ。ぶちまけて遊ぶのが楽しいタイプじゃ。プロットを立ててその筋に沿って書くなんて出来ない人間じゃろう」
「あぁ……無理だ……プロットを書いた時点でもう先が見えて書く気がなくなる……」
「そうじゃろう。全部ぶちまけてかき混ぜるのが好きなタイプじゃ。理論整然と並べて楽しめるタイプじゃなかろう」
「そうだ……それはそうだが……しかし、作品をなんとか完結させたかっ……た……」
男は膝をついた。
「ふぅむ。まぁしかし、そう必死になることはなかろう。別にお主の小説書きは商売じゃないんだからの。これが商売であればわしも違ったことを言ったが」
「商売だとしたらどういったんだ……?」
「もちろん、『貧乏して飢えて友人親戚一同の笑いものになりたくなければ書け!書くんじゃ!ゴミでもいいからとにかく書け!』とケツを叩くだけじゃ」
「それも神としてどうなんだ……」
「別にワシが書くわけじゃないからの。本人のケツを叩く以外仕方なかろう」
「なんという適当な……」
「まぁ八百万の神などそんなものじゃ。ゆるい商売じゃよ」
「商売だったのか……うぅ、くそ~、こんな小説の神じゃ役に立つわけがなかった……」
「何を言っておるか。これでも神だぞ。お主の葛藤などお見通しだと言ったじゃろう」
「な、なにかあるのか!?」
「先程も言ったが、お主は開放タイプじゃ。全部ぶちまけるだけの物書きじゃ」
「なんだか酷い言いようだが、そうかもしれない……み、認めよう。だからどうした?」
「簡単なこと。お主が小説を書くといっているのはただぶちまけるだけの行為。お主が小説が書けないと悩んでいるのは、ぶちまけることが出来ないと言っているのと同じじゃ」
「ぶちまける……というと?」
「つまりはお主は、どこかで格好良さ……いや、まともさを取り繕うとして居るのじゃよ。それがいかんのじゃ」
「取り繕う……むぅ、そうかもしれない……」
「分かってきたか。生まれたときからお主は変人じゃった。いや、お主だけではない。誰もが変人じゃ。変人は変人故に親や社会に教育されて、他の人間となんとか折り合いをつけて生きて居るのじゃ」
「小説の神なのに変な話をするんだな……」
「それだけ小説は深いのじゃよ。わしの仕事はゆるいが」
「なんか、どういう態度で聞けばいいのかわからなくなってきた……ま、まぁいい、それで?」
「変人が折り合いをつけて社会の中で生きていく。しかし、じゃ。それでも変人の変人ゆえの変人な行動は意識的に、あるいは無意識に抑制されるんじゃ。そうすると、まぁストレスじゃろ?」
「そ、そうなんだろうな……」
「そんなストレスが高まったある日、その変人はお主のような開放ぶちまけタイプの物書きになるのじゃよ!」
「な、なるほど……馬鹿にされている気もしていろいろ思うところもあるが……そ、そうなのかもしれないな……」
「そうなのじゃよ。腐っても小説の神じゃ、そのくらいのことは分かるということよ」
「は、はぁ……そうなのか……」
「そんな人間が小説を書けなくなった。その理由など馬鹿馬鹿しいほどわかりやすいものじゃ」
「そう……なのか? そんなに簡単なのか?」
「もちろんじゃ。変人ゆえのストレスで書いている小説じゃ。第一の理由はストレスがなくなったという可能性じゃ。なにやら人生がウルトラハッピーでノンストレスでスムーズこの上なければ、まぁぶちまけるほどのこともなかろう」
「うーん……ストレス……大小はあるけれどもさすがに0ということはないと……うーん」
「悩んでおるのう。まぁ人生波があるからのう。辛い時もあればそうでないときもあろう。お主のストレスがかつて小説にのめり込んでいたときより減っておるのかもしれんのう」
「そういう意味ではいいこと……なのか? それが原因なのだろうか」
「原因の一つかもしれないのう。しかし可能性はもう一つある」
「ん……それは!?」
「お主が変人であることを忘れてしまっているんじゃよ」
「え……?」
男はぽかんと口を開けた。
「人は誰しも、人と違う部分、人に言えない部分、表現できない部分、そんなものを抱えておる。誰しも並で普通の人間などではないんじゃよ。つまり、誰しもが変人じゃ」
「そう……かもな……」
「そしてお主は割りと強めの変人じゃ」
「な、なんか酷い!」
「けなしてはおらんぞ」
「そうかもしれないが……」
「褒めてもおらんがな」
「おい!」
「そんな強めの変人が、変人であることを忘れておる。職場や日常の中で努めて普通に振る舞おうとして、それに慣れて、自分の中の変人な部分を忘れ去っておるのじゃ」
「そうか……まぁ、そうなのかもしれない。いろんなものが上手く行かないとき、自分のダメさ、人との違い、そんなものを強く意識した。だが、ある程度物事がうまく行っていると、そんなこと……考えなくなったな。まるで自分が普通の……何の問題もない人間であるかのように思っていたのかもしれない……」
「そうじゃ。思い出せ! お主は変人じゃ!」
「やっぱりなんか酷い言いような気がする!」
「気のせいじゃ! とにかく変人じゃ! そもそも小説を書こうなどとするやつが変人でないわけがなかろう!」
「ま、まぁ……そうなんだろうけど……」
「程度の差こそあれ、変人でない人間などおらん! 自分を変人だと思っていない人間ほど不健康な人間はおらん! さぁ、思い出せ、お主は変人じゃ!」
「う、うぅ……そ、そうだな……」
「そうじゃ。変人じゃ。変人だということを思い出して、もう一度考え直してみるがいい。お主の変人アンテナが感じたはずなのに、無意識に無視してきた物事がお主の頭のなかにたくさん溜まっているはずじゃ!」
「う、うぅ……うぅ……そ、そういえば……なんかいろいろある気がしてきた……。ふとなにかを感じても、『役に立たない』『必要じゃない』と無視してきた何かが……数え切れない何かが……」
「仕事やら日常のことやら、実用的なことに適応しすぎたんじゃな。やるべきことだけを見据え、不必要なものを無視して正しく行動する。なるほど、生きていく上で立派な態度じゃ。しかし、それでは小説は書けないのう」
「お、教えてくれ、小説は仕事や生活の役に立たないものなのか!? それなら、なおさら小説を書いていいのかわからなくなってきた……」
「根本的に勘違いしておるのう。小説はそのような狭いものではない。仕事に役に立つこともできれば、生活の役に立つことも出来る。落ち込んだ人間を立ち直らせることもできれば、袋小路に落ち込んだ人間に新しい人生を教えることも出来る。なんでも出来るわい」
「なら……」
「まぁ、待て。しかし、小説というものはとてつもなく大きいものでな。爪の先の垢ほども仕事の役にも立たず、生活の向上にも繋がらず、落ち込んだ人間を立ち直らせることなどできるはずもなく、新しい人生を提示することなどちゃんちゃらおかしいような小説だって簡単に作れるんじゃ。というかそういうもののほうが多かろう」
「そ、それじゃあ意味が……」
「しかしお主が本当に求めているのは、お主がお主の変人の部分をぶちまけて作り出したいのは、そういうもんじゃろう? 『役に立つ』の対極にあるものじゃろう?」
男は思い込むように視線を落とした。
「そう言われると……そう、小説を書くことを楽しんでいたときは……ただ楽しいことを考えていた気がする……役に立つなんてなにも考えず……」
「そうじゃ。お主にとって小説とはそういうものじゃ。普段の生活で役に立つこと、意味のあることを考えておるのはよいことじゃ。しかしお主の小説はそこからできておらんのじゃ。役に立つこと、意味のあることをするなかで切り捨ててきたお主の変人な部分、いわば無駄な部分たちの反乱じゃ」
「無駄な部分……」
「勘違いするでないぞ。仕事やら買い物やら洗濯やら、なんでもいい、そういう日々の生活で役に立たんかもしれんが、その無駄な部分はお主そのものじゃぞ?」
「そう……だな……たしかにただ必要なことをこなすだけ……それだけじゃ俺じゃないし、俺の人生じゃない……」
「そういうことじゃ。小説を書くときは、普段切り捨てているその無駄な部分で書くんじゃ。しかし、それは本当の無駄な部分ではない。それこそがお主そのものじゃ」
「イメージは分かるが……だが具体的にどうすれば……」
「簡単じゃよ。プライドを捨てるんじゃ。殻を捨てるんじゃ。役に立つ、立たないを考えている部分を捨てるんじゃ。常識を捨てるんじゃ。全部を捨てて、人に見せたくないと思っているもの、無駄だと思っているもの、でも気になるものを全部吐き出すんじゃ。それこそがお主の小説じゃ!」
「なるほど……捨てるんだな。普段背負っているいろんなものを……」
「そうじゃ」
男は顔を上げた。
「そうすれば、自分で納得行く作品が書けて、未完結の作品の完結編も……よし……」
「いや、そうじゃない」
「へ?」
男は呆けた顔で老人を見上げた。
「何度も行ったが、お主は開放型で全部ぶちまけるタイプの書き手じゃ」
「あ、あぁ」
「だからのぉ、普段背負っているものを全部捨てて思う存分書くのがお主の幸せではあるが……」
「あるが……?」
「……まぁ、それでできる作品は全部、まとまりがつかんものになるじゃろうなぁ」
「え?」
「まぁ、書けるだけ、いいと思うんじゃ」
老人は男の肩をポンと叩くと、空気の中に溶けて消えていった。
「え……?」
後には、なんだか納得しない表情をした男が一人佇んでいるだけだった。