朝鮮日報

19歳で捕虜になり54年間の強制労働、73歳で脱北…

KATUSA出身のイ・ギチュンさんが他界

19歳で捕虜になり54年間の強制労働、73歳で脱北…

 今月11日に他界した国軍捕虜イ・ギチュンさん(90)。イさんは15日、国立大田顕忠院に葬られた。イさんは6・25戦争が始まった直後の1950年夏に韓国軍へ入隊し、KATUSA(米軍に増援として送られた韓国軍兵士)の一員として参戦した。米第2師団38連隊K中隊のライフルマンだった。しかし同年冬、平安南道价川郡付近で中国軍の捕虜となった。当時まだ19歳だった。北朝鮮に引き渡されたイさんは停戦当時、捕虜交換の対象に含まれなかった。その後、清津建設事業所、清津製鉄所などで当局の監視を受けつつ強制労役に服した。イさんは北朝鮮で54年間国軍捕虜として過ごしつつも、故郷の釜山を忘れることはできなかったという。2004年11月、2度の失敗を経て3度目の脱北を敢行。無事韓国に入国した。73歳だった。

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 故人はその後、妻や娘、娘婿、孫など北朝鮮で共に暮らしていた一家を韓国へ連れてきた。05年6月には妻、同年9月には2番目の娘と娘婿がそれぞれ韓国入りした。05年12月には孫1人、06年1月には末娘ともう1人の孫が脱北し、06年3月にイさんと再会した。家族・親類3世代7人が5回にわたって敢行した「リレー大脱北」は06年3月に終了した。故人の脱北から17カ月間続いた事件だった。当時、イさんは「もう死んでも思い残すことはない」としつつ「北朝鮮に残してきた娘が心配で夜も眠れなかった。妻が生きていたら、もっとよかったのに」と語った。05年に脱北した妻は同年11月、慶尚南道金海で交通事故のため亡くなった。

 脱北後、故郷の釜山に定着したイさんは、08年に釜山国連公園にあるKATUSAの戦友らの墓を訪れた。イさんは「共に戦い、亡くなられた戦友たちで、この身が北から生きて戻り、今ようやく頭を下げられる」と語った。故人は毎年、国連記念公園のKATUSA墓域を訪れた。イさんは生前「生涯のほとんどを北朝鮮で過ごしたが、祖国に戻らなければならないという思いに変わりはなかった」と語っていた。

ウォン・ソンウ記者
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