共産党が木村を除名した経過を書いています
昨日の続きです。
高砂の中西議員に触発されて、除名の経過を書くようになりました。
隣の播磨町の共産党員は「除名の経過はなにも知らされていない」という事でした。
昨日の加筆。
昨日の文書の2行目。(桜本など)と書きましたが正確には(桜本、安室、後に東播地区委員長の青手木)を追加して3人を中央委員会訴願委員会に訴えました。
地区委員長の青手木(あおてぎ)は反省を口にしました
昨日の文書の9行目。「回答は一度もありませんでした」と書きましたが、反省とお詫びの言葉はありました。
除名の手続きを進めるために通らなければならない道と考えたのでしょう。
青手木は、党兵庫県委員会の森氏を仲介人にして、加古川文化センター会議室で反省めいたことをはきました。
内容は「常任委員会として反省している。常任委員会としてお詫びしたい。委員長としての責任は重い。今後の活動に生かしたい」というものでした。
私は「何をいいたいのかまったく分からん」と突っぱねました。
すると青手木は2回同じ事を言いました。しかし肝心の、党常任委員と青手木の分派活動、反党活動、木村への誹謗中傷にはなんら触れることはありませんでした。
(青手木は円満に退職したと風の便り)
忘れないうちに
以前、「稲美町史の中でも秘話があります。時期が来れば公表します」と書きました。
時期は、次回町議選が終ってすぐにということにします。