井沼清七が五輪レース前夜、恩師に宛ててしたためた直筆の手紙。決戦を翌日に控え、決意と興奮が伝わってくる
1928年、五輪会場で織田幹雄(左から3人目)や人見絹枝(右)と共に練習する井沼清七(左から2人目)=中泊町博物館提供
井沼 清七

 旧中里町(現中泊町)出身で、青森県初の五輪選手として知られる陸上短距離の井沼清七(1907~73年)がオランダ・アムステルダム五輪出場前夜、恩師宛てにつづった直筆の手紙が青森市内で見つかった。「一生のうちの最も重大なレース」「日本のために闘う」。憧れの舞台に立つ決意とともに胸の高ぶりが抑えきれない様子が伝わる。井沼の五輪に関わる手紙が見つかったのは初めてとみられ、関係者は「青森県が生んだ『いだてん』の素顔に迫る貴重な資料」と話す。