● 生きている体
● 生物としての快や向上とは違う
● 形状・物理・化学
性別で形状はもちろん違う。
第一に骨格が違う。
第二に器官が違う。
でも
骨格の物理が肺活量の機能に直結する
器官の機序が生理機能に直結する
そういう
機能、機序、生理、代謝、ほか、
【生体としてのあらゆるはたらき】が、
軽視されている気がする。
医療において
身体=男性の身体
でずっと来ていることは指摘されていて、
薬品の治験で男性のみを被験者とし、
女性の治験がないままに女性が使用して問題が起きる、
ということがままあるらしい。
結局のところ、
女性の体を男の肋骨一本程度に軽視している
これが男支配社会の男の意識で、社会に蔓延しているのだろう。
● 生きている体
今言っているのは
性別よりもっとずっと高次の、
生きている体とは何か、という話。
このこと。
私の本 第2回 福岡伸一さん 01
https://www.shosetsu-maru.com/hontowatashi/2-1
機械論的生物学に、疑問を抱く
分子生物学はこれまで、生物を細かく、パーツや部品にわけることによって、機械論的に生命の謎に迫ろうとしてきました。それは、生物の死んだ状態を調べるようなものです。
でも生命のあり方というのは、じつはもっと動的なものなのではないか。
そう私は考えるようになりました。
蝶の標本が「死んだ蝶の状態」を見せていることを、福岡さんの話で初めて知った。
生きている蝶は、羽を広げてもあの状態にならない。上下の羽が重なりあっている。
見て触れることができる物体としてすら、
生きている体はただの物体ではないのだ。
人間の性別を、人為で変えることができるのか?
否。
「違和を和らげるのが目的だ」
医療の処置としてはそうだろう。
生きている人間の体の、
形状を一部変えることで和らぐ性別違和とは?
性別違和とは形状違和?
性別とは形状?
一部の形状を変えて身体性別を変えたとするのは
人体模型の女性形を人間の女性と言うような、
本質的な部分での錯誤を感じる。
● 生物としての快や向上とは違う
運動機能や
健康状態や
健康状態を反映する美や
そういうのを求めるのは自然だと思う。
それ以外での身体への改変願望は
社会的な価値観だと思う。
GIDを身体性別違和としているが、
社会と無関係に存在している人などいないので、
GIDを100%内因とする根拠はない。
GIDもまた社会が作る病だと思う。