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「では次回は火曜日13時からでいかがですか?」
「大丈夫です、あの、ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をして席を立つたクライエントに微笑み返し、扉が閉まるまで見送る。
パタン、と閉じた扉を確認して深く息を吐いた。
「通常勤務については保留‥‥と、」
机の上に置かれたカルテに書き込み、自分のノートにも今日のカウンセリング内容をまとめ始める。
"呪術師"という仕事は肉体的苦痛を伴うが、それと同じくらい、いや、下手をしたらそれより大きく精神的苦痛が残る。
上司、同僚、部活、家族、友人、恋人、呪術師になった瞬間死が急激に近づく事はいうまでもなく、他の人には見えない呪霊を見続ける苦痛も、呪霊を祓うという行為も、常人には理解できないことが多い。
それが仕事だと割り切れる人は大丈夫なことが多いが、割り切れない人がほとんどで、少しずつ歪みが蓄積し爆発してしまう人が多いのが現実だ。
私の仕事はその歪みの蓄積を少しでも和らげる事、つまるところ呪術師特化型の"カウンセラー"だ。窓所属の人も補助監督も呪術師も、呪術、呪霊に関わる悩みに関して、私に一任されている。
私の術式は反転術式を使用し、少しの体の治癒と心の治癒を行えるサポート型であり、逆に攻撃にはとても不向きという振り切った能力値だった。それに心の傷は目に見えないため、それが本当に私の術式での回復なのかも分からず、だったら本当にカウンセラーとしての免許を取ればいいと同級生言われて今に至る。同級生様々だ。
「お腹減った‥‥」
ピッタリ1時間、クライエントの話を聞いた。今日のクライエントは補助監督の人で、1週間前の任務で部下の男性を失った。まだ20歳だったと言う。突如湧いた呪霊に交戦したが、気づいた時には後輩は呪霊に掴まれ、目が合い死んだ。最後の言葉は「先輩」だったらしい。想像しただけで過酷な状況だが、呪術界はこんな過酷さが当たり前だった。
「自分が生き残っただけマシ」だと考えろと言われてさらに気を病んだらしく、職場に向かう事ができなくなり、私のところに来たのだ。
カウンセリングで、心の病気を「治す」事はできない、「治る」ための援助をするだけ。
もっと、もっと‥‥
「"私に力があったらな"」
「び、びっくりした~いきなり背後に立たないでよ!」
「正解?」
「‥‥正解だよ」
後ろから聞こえた声に飛び上がり、振り返るとミルクティーとコーヒーの缶を持った家入硝子が立っていた。
硝子と私は高専の同期であり、酸いも甘いも一緒に噛み分けた戦友だった。同じ反転術式を得意とし、非戦闘型、しかも4人しかいない同級生で同性となれば仲良くならないはずがなかった。卒業後も同じ高専で務め、暇さえあれば一緒に過ごしているくらい仲がいい、お互い暇はないけど。
「硝子はいつからテレパシーを身につけたの?」
「
の昔からの口癖じゃん。"もっと私に力があれば~"って、伊地知でも知ってると思うけど」
「そんなに言ってた覚えはないけどなぁ‥‥」
言ってた言ってた、と笑いながらさっきまでクライエントが座っていた椅子に座り、「ほら休憩」とミルクティーを差し出してくれた。高専生の時からお気に入りの砂糖の甘さが8割のミルクティー、私ともう1人の同級生の需要だけで成り立っている品だ。
「そんな言葉吐く奴は早々に潰れるって言われたけど、なかなか死なないもんだよね」
「あー覚えてる覚えてる、初めての任務で先輩が怪我した時の事でしょ?クズ達怒ってたよね」
「不甲斐ない‥‥」
「(怒ってたのは"先輩に"だけど)」
初めての任務は先輩に同行して二級呪霊を祓う、というそこまで難しくはない内容だった。サポート型は総力戦になった時に確実に狙われるポジションだから自分の身くらいは守れるように、と思って先生に直談判しに行ったのは懐かしい。足手纏いにならないくら位に頑張ろうと呪具を片手に意気込んでいたにも関わらず、あと少しと言うところで先輩が戦線離脱、差し違える形で私が呪霊を祓った、戦術的敗北というに相応しい結果だった。目を覚ました時は高専のベッドの上で、結果を聞かされて、つい口から「もっと私に‥‥」なんて言葉が出たのだ。
「あの時からだよね、五条君が呪術師辞めろって言い始めたの」
「あー、あぁ?そうだっけ?」
「そうそう、向いてない弱い足手纏い一般人のがマシとかめちゃくちゃ言われたの覚えてる」
マジかよ、と苦笑いをこぼす硝子。
私と硝子と夏油君と五条君、この4人が高専の小さな箱庭での住人だった。私を除いた3人は秀でた才能の持ち主で特に、五条君なんかは特級術師で今後の呪術界を動かす、なんて在学中から言われていて、とても私に厳しかった。
「思えばあの辛辣さがあったから私のメンタルが鍛えられたのかも」
「ウケる、何気名前って図太いよね」
「褒めてる?」
その問いについて答える事なく缶コーヒーに口をつけ、足を組み替える硝子に私もつられてミルクティーを飲む。
「そういえば何か用だった?昼過ぎに来るの珍しいよね」
硝子が来るのは朝一かお昼時が多いので、昼過ぎのこの時間帯に来る事はほとんどない。そう言うと、硝子は何か思い出したようにバインダーを差し出した。
「?」
「新入生のデータ、ほら入学前の検診。カウンセリングも含まれてるから」
「あ~!もうそんな時期か」
新学期、新入生、身体測定と一緒にカウンセリングも行うのが通例になっている。去年はパンダ君に狗巻君、真希ちゃん(苗字で呼ぶなと釘を刺され名前呼び)とイレギュラー転入の乙骨君と入学前に話した。
家の話、術式の話、勉強の話、恋の話、重要な事から世間話まで何でも話す。普通の高校生活を送るわけではないが、中身は15.16の少年少女だ。全寮制のため、家に帰ることも少なく身近に話せる人が少ない場合もあるため、相談役としてこういう人間がいるんだよ~と言う宣伝も兼ねてカウンセリングを行なっているのだ。
真希ちゃんなんかは女子が1人ということもあって、この相談室に入り浸る時もあるし狗巻君も話しに来てくれる(おかげで最近は滞りなく会話ができる)
そんな私の新たな出会いの場としての入学前検診がやってくるなんて、時間が経つのは早いなぁとしみじみ感じた。
「え、今年1人‥?」
「そう、1人」
「しかも恵君か、もうそんな歳か‥‥」
「あ、知り合い?」
伏黒恵、呪術師界御三家のひとつ・禪院家の血筋で、本家本流の子女たちには発現していない禪院家固有の術式を受け継いでおり、才能ある呪術師として将来を見込まれている。
そのせいで、多額の金銭と引き換えに、才能ある呪術師を求める禪院家に売られる筈だったが、同じく御三家で呪術界で発言力を持つ五条君がその計画を阻止し、恵君が将来呪術師として働くことを担保に高専からの金銭援助を通した。 そこから恵君は五条君の保護下
にある。
そんな彼をなぜ知っているのかといえばこれもまた、五条君の差金である。
恵君だけなら五条君1人で何とかしたかもしれないが、津美紀ちゃんという姉がいた。「女の扱いは慣れてるけど中学生は難しいからお前に任せるわ」と言われた時は開いた口が塞がらなかったが、彼なりの気遣いだったのだろう、私は恵君と津美紀ちゃんに出会ったのだ。それからの話は長くなるので割愛するが、2人ともとても真面目で素直で可愛いい子達だった。私の中ではまだまだ子供だと思っていたのにもう高校生だなんて。
「私たち大人になったね‥‥」
「今更?もうアラサーだけど?」
「うぇ、鳩尾クリティカルヒット」
じゃ、まだ仕事残ってるから帰るわ、と言って去っていった硝子に手を振り、貰ったバインダーを見る。最近会っていなかった恵君の顔写真、心なしか成長していて感慨深い。
名前、生年月日、小中の履歴、そして
「姉、津美紀が呪いを受け寝たきり‥‥」
その一文を人差し指の腹でなぞる。
どうか、恵君が高専で頑張れますようにと静かにバインダーを置いた。