細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日手記や日記の著者がご存命で、運よく聞き取り調査ができたとして、その手記や日記をどんな形で公開できるのか。テキストどうしの関係を読み取りうる形にするには、原日記と注釈を切り離す一方ですぐに対照できる形にする必要があるのだが。12586
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日テレビの特集番組で垣間見られる制作過程や制作日誌からすると、「ひろしまオンライン」のシュンくんの日記の場合、ご本人とチームとのやりとりで日記のリライトが行われていた。おそらくご本人の記憶や手記が足されているのではないかと思う。1720
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日また、テレビの特集番組では、ご本人から「おもしろくない」とダメだしがあり、日記執筆当時の経験や感情が立ち上がるような文章にするよう求めておられる場面もあった。ツイートはいま起こったできごとや感情に対してすぐさま反応する形を取りやすいし、そうした文章が似つかわしいと思われやすい。1520
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日このように作られるツイートでは、日記原文と間にはさまざまな不整合が生じうる。この不整合はただの「捏造」よりももっと複雑な問題を含んでいる。オリジナルの執筆者がテキストから引き剥がしがたく関わって、日記に基づく現代版のテキストが目指されているからだ。1527
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日複数の日記の書き手は、著者の当時の記憶を生々しく立ち上げることに注力して手探りで書いているだろう。それ以外のことに配慮する暇はないだろう。そもそも、当時の感情は、現代の倫理とは別のところで立ち上がっている。1920
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日この、過去のテキストと記憶が分かちがたく入り組んだ現代版「創作」を、「創作」として扱うためには、まず編集者や発行者、あるいは制作者にあたる人が表に立ち、「創作」が何を目指しているのか、そこに差別表現が含まれるときに、どのような態度で臨むのかについて語る必要があると思う。1736
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日付け加えるなら、日記から立ち上がってくるのは、書かれた内容という事実ではない。「誰かが書いた」という事実だ。そしてこの「誰かが書いた」という感覚を与えてくれるのが本という形態であり、その巻末に編集者によって添えられる「読者の皆様へ」という但し書きだ。1828
細馬宏通/かえるさん@kaerusan返信先: @kaerusanさん一方ツイッターでは、書き手が剥き出しになり、「わたしが見た」「わたしがきいた」という感覚を与える。そこには過去の作品に感じられる「誰かが書いた」という距離はない。この生々しさこそが、まさに、今回の「ひろしまタイムライン」の狙いなのだろう。午後3:43 · 2020年8月22日·Twitter Web App7 件のリツイート37 件のいいね
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日返信先: @kaerusanさんしかし、いま、制作者は一連のツイートに「誰かが書いた」という感覚を与え直すべく前面に出て、差別表現が剥き出しに使われたことにまずは謝罪し、それが本来、どのような態度で扱われ得たのかについて説明するのがよいと思う。11341
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日想起と思考、想起と感情は、簡単に切り分けられるものではない。生々しい記憶は、いままさに感情を立ち上げる。感情は思考を動かす。それらの私的な感情や思考には、過去と現在の区別も倫理もない。ただそれをことばにして広く公にするときの倫理があるだけだ。1538
細馬宏通/かえるさん@kaerusan·2020年8月22日過去の感情をできるだけ生々しく現在に立ち上げことばにすることを求められ、それを目指した著者たちに、立ち上がった感情やことばが過去のものか現在のものかと問うたり現代の倫理を求めることはできない。だからこそ、それを公にする制作者の役割がいま大事だと思う。840