[4a-19] 二ノ獄 道標①
「いいですか、夜に眠るのは避けるべきです。安全な昼間に休息を取るべきです。
それと、夜が来るまでに安全を確保しないと……」
「安全を確保できるんですか?」
「こいつを使うんです」
ニールは、脇に置いていた肩掛け鞄から、シンプルな魔法の杖を取り出す。
術師が魔法を使うための魔杖ではなく、それ自体に術式と
「『ノームの左手の杖』ですね。≪
「おお、ご存知ですか。うちの店に置いてたものなんです」
ギルドの受付嬢であるキャサリンは当然のこと、ウィルフレッドだってこれは知っている。
石や土を自在に操り整形するマジックアイテムで、土木工事用のアイテムとして冒険者たちの間でも割と一般的だ。
石造りのダンジョンに穴を空けて道を作ったりもできるし、洞窟が崩れて生き埋めになったときにこれを持っていたため脱出できたという話もある。
「気が付いたのは偶然でしたが、あの悪霊ども、壁を抜けるという事をしない。
窓だのバリケードは信じられない怪力で蹴散らしますがね。
なので、たとえば下水の行き止まりなんぞに壁を作って息を潜めてりゃ気が付かれないって寸法なんだ」
おお、と小さなどよめきが起こる。
ニールは『してやったり』とばかり、少し得意げだった。
昨日の悪霊の動きを思い返しても、確かに彼の対処法は有効そうだ。
「だが、こいつは魔石を使う……そろそろ他所へ探しに行かにゃならんところでした」
「わしの供の中に地の元素魔法を心得る者がある。魔石が尽きようと、道を塞ぐくらいはできよう」
「ありがたいこってすが、そうなると問題は食料ですな。なにせ、この人数だ。
俺ぁその辺の店から拝借してますが、この人数じゃ何日分になるか……」
「…………食料?」
ニールが漏らした言葉に、キャサリンがハッと息を呑む。
「いけません、異界の食物を口にすることはしばしば致命的な結果をもたらします。
物を食べてしまったばかりに脱出できなくなってしまったり……」
「えっ……?」
既に憔悴した様子だったニールの顔が、さらに血の気を無くして蒼白になった。
「そんな、よしてくださいよ。
食い物も尽きて、俺の店もどこかへ消えちまうし、もうそこらの店を探してパンだの何だの持ってくるしかなくて。
く、食わなきゃ死ぬんですよ。他にどうしろと……」
「……これは最悪の予想です。そうではない場合もありますから。
ただ、私たちは……可能なら持ち込んだ食物のみを口にすべきかと」
気休めめいたキャサリンの言葉を聞いても、ニールは置いてきぼりにされた子どものように狼狽えていた。
帝国兵たちも顔を見合わせ、己の荷物を確かめる。
「物資は?」
「ほとんど乗騎に置いてきてしまいました……一日分の食料は携帯しておりますが」
「俺はニンジャフードを持ってます。でもこの人数で分けたら長くはもたないですね」
ウィルフレッドもポーチに入れていたニンジャフードを取り出し数える。
硬めの黒ダンゴみたいなニンジャフードは、ウィルフレッドが師匠から調合法を教わった携行食糧。一粒で満腹になれる便利なアイテムだ。
だが残念ながら自分の分しか持ち歩いていなかった。
「キャサリン嬢、脱出と言いましたが、脱出にはどうすればよろしいので?」
「に、逃げ出せるんですか!?」
ニールはかぶりつくように身を乗り出す。
この異常な街で逃げ隠れし続けている彼は、大分追い詰められているようだ。
「……以前読んだ書物に記述があったのです。異界は概念が支配する世界。その世界は、持たされた『意味』によって必要な強度が異なります。
『閉じ込めるため』の異界を形成するには、『迷わせるための異界』より遥かに多くのエネルギーが必要になるのだと。
ですから異界から逃げ出す道は、大抵の場合存在するのだそうです。それがデタラメな抜け穴であったとしても」
キャサリンの説明は雲を掴むような話で、皆、是とも否とも言いがたく黙りこくる。
そもそも異界を形成するような『神秘』の力は人の領分を超えたもの。説明しているキャサリン自身、何かの確信を持っているわけではない様子だ。
「ともかく……まずは休みましょう。
安全なのであれば明るいうちに眠り、その後、今夜の隠れ場所の準備と、可能な限りの探索を」
冬黎が場の空気を変えるかのように締めくくり、提案する。
それは名案とは言えなかったが、しかし他にやりようが無いのも事実だった。
* * *
やがてまた、無慈悲にも夜は訪れた。
重い雪雲が垂れ込めて、魔の夜を照らす神々の威光……月明かりや星明かりも届かぬ街は、冷たく凍てついた闇の中に沈む。
生存者たちはニールに習い、凍り付く下水の奥の一角を封鎖して立てこもった。
下水道の行き止まりを即席の石壁で塞いだその場所は、よほど用心深いか元々下水道の形を頭に叩き込んでいる者でもなければ、本来存在する通路が埋め立てられて塞がれているなど気づきもしないだろう。
『生活排水』というものが一切無くなった下水道は、どこか染みついたような悪臭を醸してはいたが、一晩の滞在に耐えられる程度の環境にはなっていた。
街から持ってきた毛布などを、水路脇の細い通路に敷いて、人々はじっと座っていた。地上に繋げた空気穴から冷たい死の風が吹き込んで辺りを冷やしていく。ただ、それでも地下は地上ほど冷えないものだ。ウィルフレッドに言わせれば、昨晩よりは幾分マシだ。
石の洞窟めいた下水道は、ごんごんごんごんと微かに震え、どこからか音が響いている。下水道の機構が駆動する音だ。お陰で息を殺す必要は無さそうだったが、外の音を聞くことも難しい。
外の様子を探ったところでどうしようもない状況ではあるのだが、何も分からないというのは恐怖を加速する。
サムライとして厳しい修行を積んだウィルフレッドさえ、この音に紛れて迫り来る悪霊たちのうめき声を幻聴してしまいそうだった。
ニールは『壁を塞いでいれば悪霊は入ってこない』と言ったが、それが確定的であるとは限らない。悪霊と言えば壁を突き抜けて襲ってくるものだ。そこで、用心のため下水道の一角で通路を二箇所塞いで、片方から敵がやってきてももう片方の壁を崩して逃げられる態勢を組んだ。
三つ叉の槍のような通路の片端には、元素魔法の使い手を含む帝国兵の半分と冬黎。もう片方の端には『ノームの左手の杖』を持ったニール(これを他人に預けることを彼は渋った)と残りの帝国兵。
ウィルフレッドはキャサリンと共に、通路の交差点に陣取っていた。
「……キャサリンさん、大丈夫です?
俺は鍛えてるんで、最悪裸でも簡単には死なないくらいなんですが、キャサリンさんは……」
騒々しい静寂の中でウィルフレッドは、白い息を吐きながらキャサリンに問う。
傍らのキャサリンは鎧のように重厚な防寒具に身を包んでいたが、非戦闘員である彼女は肉体的にも脆弱だ。
ウィルフレッドは声を掛けて初めて、キャサリンが集中して何か考えていたいたことに気付く。
彼女は寒さも恐怖も感じないかのような顔で、鋭く重い眼差しを床に投げかけていた。
「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。
私も野外活動の備えは整えております」
白い息を吐きながらも彼女はハッキリと答えた。
痩せ我慢をしている様子でもなく、どうやら彼女の防寒具は、北国の夜の寒さを防いで余りある逸品であるらしい。おそらく何らかのマジックアイテムだ。
実際キャサリンは彼女自身が言う通り、高位の冒険者でもちょっと見ないほど装備に金を掛けている。
探索の役に立ちそうなアイテムを種々取りそろえ、携行しているのだ。
まるで今のような異常事態を想定していたかのように。
あるいは……いつ如何なる時、異常事態に巻き込まれても最適な行動が取れるよう備えていたかのように。
「……この状況。“怨獄の薔薇姫”が関わっていると思いますか」
「はい。私はそう思っています」
ウィルフレッドはちょっと思い切って聞いたつもりだった。
キャサリンは思ったより事も無げに答えた。
当然のように。打てば響くように。
キャサリンは、絶望していなかった。
奇妙な異界に閉じ込められ、恐るべき敵に脅かされている状況だというのに、絶望していなかった。
むしろ彼女の目には真摯な高揚があった。免許皆伝の試練を受ける朝、ウィルフレッドが鏡の中に認めた己の目とよく似ていた。
積み上げてきたもの全てを出し切れるだろうかという、微かな不安と緊張を滲ませて。
「教えてくれませんか、キャサリンさん。
あなたにとって“怨獄の薔薇姫”……
ルネ・“
問うた瞬間、ウィルフレッドは、キャサリンの目の中に七色の感情が流れ去るのを見て取った。
キャサリンは寸の間、口ごもる。
それは答えに窮したからでも、答えたくなかったからでもなくて。
ただその問いの答えに値する言葉を、聡明な彼女でも即座にひねり出すことはできなかったのだとウィルフレッドは感じた。
割烹に書きましたとおりの事情とかで、今後ちょっと更新頻度が落ちるかも知れません。
が、更新そのものは止まりませんのでご了承ください。
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