322.遠征夜着のお披露目と夜犬
会議室の机と椅子は部屋の中央から壁際に少し寄せられ、続く隣室のドアが開けられる。
そちらで遠征夜着を着て、こちらの部屋に来る形らしい。
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございます。これから服飾魔導工房の遠征夜着の試作をご紹介させて頂きます」
空いたスペースで説明を開始したのはルチアである。
その斜め後ろ、服飾ギルド員らしい男性は、書類を配ったりメモをとったりしている。どうやら、お披露目はルチア一人に任せるようだ。
会議の参加者は椅子に座って、遠征夜着の試作品を見ることとなった。
「では、基本の遠征夜着をご覧ください」
最初に入って来たのはヴォルフだった。
先日、塔で着ていた、厚めの毛布生地による、上下つなぎのゆったりとした服だ。
首、袖口、足首部分はボタンで調整でき、携帯温風器も背負える。
眠るのにもリラックスするのにもいいのだが、ラクダ色のそれは見た目がクッションリス。
ダリヤにとっては、前世のモモンガそっくりである。
「そのまま眠れる寝袋機能はそのままに、布に余裕をもたせ、袖はドルマンスリーブ、携帯温風器の風は前後とも全体に流れます。移動の際はベルトをお使い頂くと動きやすいかと思います」
ルチアが袖に手を向けると、ヴォルフが片手を上げる。
たっぷりとした布は、袖というより前脚から後脚につながる飛膜に見える。
だが、あのゆとりがあるから動きやすいのだろう。
「どうだ、ジルド? かなり暖かいから、遠征の冷えが減りそうだ」
「……なかなか、視覚的印象が、強いな……」
グラートが真面目な顔でジルドに感想を聞いている。
笑ってはいないが、妙に区切った感想が気になる。
「次に、遠征で、森や草原で目立たぬ装いになると思われる一着です」
隣室から、同じく遠征夜着――ただし、布地はいくつかの緑と茶を細かな模様にした、前世でいうなら『迷彩』柄だ。
こちらは大きめのフードもついており、着ているドリノの紺色の髪をすっぽりと隠していた。
「この模様は隣国から入ってきたもので、緑のある場では見えにくい模様だそうです」
「ぜひ、遠征で試してみたいですね」
グリゼルダが緑がかった青の目を細める。どうやら興味がわいたらしい。
ドリノが両手を上げると布がふわりと広がる。
やはりダリヤには、モモンガのイメージが先立ってならなかった。
「次に、見た目がクッションリスにも似ているということから、この際、動物や魔物に近く擬態してみるのはどうかということで、こちらを試作してみました」
ヴォルフとドリノが隣室に戻り、入れ代わりに薄茶色と赤に近い茶の遠征夜着を着た二人が入って来た。
「っ!」
その姿に、喉からの声を口を閉じて止める。
そして、内で叫んだ――待て、ルチア。どうしてそうなった?
「こちらは、クッションリスのイメージを追求し、フードに耳付き、腹、尻尾を再現しました!」
着ているカークが、笑顔で両手を大きく広げた。
背中側は薄茶、腹は純白。フードにはかわいい耳付き、ふわふわとした大きな尻尾。
どう見てもモモンガの着ぐるみです。本当にかわいいです。
いや、そうではなく、遠征で擬態とはどういった意味があるのだろうか?
混乱しつつ横を見れば、イヴァーノの持つ手帳がふるふると揺れていた。
「そして、こちらは隊の方からお教え頂き、
ランドルフが両腕を頭上に上げた。
彼は魔物討伐部隊員で一番大柄だ。
見上げるばかりの彼が、
あと、もしかすると
ちょっと怖い。
「完璧に熊……」
ダリヤの左、ぼそりとヨナスが言う。
必死に表情を整えているときにやめて頂きたい。
「この二つとも、他の魔物が釣れるかもしれんな。一度試して見るか」
「むしろ見たら全力で逃げると思うぞ」
グラートとジルドの評価が分かれているようだ。
ダリヤには正直、どちらとも予想がつかない。
「では、次に、実際の魔物の皮を使った一着です」
「行きます!」
するすると独特な動きで出てきたのはドリノである。
笑ってはいけないを通り越して、その緑色の柄に血の気が引いた。
無駄をそぎ落とした上下のつなぎ、引きずる尻尾は他より長めだ。
「表面に
ドリノは振り返ると長い尻尾を持ち上げ、にょろりと動かす。
グラートはきつく腕組みをし、ジルドは眉間をもみ、壮年の騎士は咳き込んだ。
「……大変に、工夫された一品ですね」
横のイヴァーノの声がとても遠い。
見た目通り、
素材としては何度も見ているが、こうしてリアルに蛇独特の皮模様をみると、ちょっとだけ固まりそうになる。
しかし、これを縫うというか、加工するのは大変ではないのか、技術的なところが気になった。
「近づきたくはありませんが、こちらも
「
「
むしろ街道や人里に出てこないでくれたら、双方にとって一番いいのだが、そうもいかないのだろう。
「できるだけ小型のうちにみつけ、遠距離から疾風の魔弓か、魔槍で倒したいところです」
「副隊長なら、小型の
「刺しただけでは生きているかもしれないでしょう! 頭を水中にし、しっかり確認する方が安心です!」
カークの問いかけに、グリゼルダが珍しく語尾を強くした。その勢いにちょっと驚く。
「どうしてそんなに爬虫類がお嫌いなんですか?」
同じように驚いたのか、不思議さを隠さぬカークが尋ねた。
「いいでしょう、解説しましょう。まず、あの冷たい目。あれは慈悲なき生き物の目です」
「いや、爬虫類も魔物も慈悲はないかと……」
「冷たい身体、そしてぬめりとした皮膚か、ぬるりとしたウロコ」
「つぶらな目でかわいいですし、冷たいのは特性ですし、トカゲなんか、皮膚の触り心地はなかなかいいと思うんですけ……ど……」
カークは途中で声を途切れさせる。
グリゼルダがその碧眼で、じっと彼を見ていた。
蛇に睨まれたカエルというわけではないが、カークはクッションリス姿なので、なんだかかわいそうさが上がっている気がする。
「――個人の趣向としてはわかりますが、同意しかねます」
「グリゼルダは、子供の頃から爬虫類が嫌いなのか?」
「……そうですね、初等学院のあたりから大嫌いですね」
「蛇に噛まれたとか、蛙に顔にくっつかれたとか、そういった思い出でも?」
周囲の問いかけに、魔物討伐部隊の副隊長は、はかなく笑った。
「ええ、忘れがたい思い出です。山越えの途中、大雨で馬車が谷に落ち、護衛達と大量の
苦さを隠さぬ声に、周囲が完全に沈黙する。
ダリヤも尋ねることはできなかった。
「それで、ご一緒の皆さんが……」
嘆きを込めたカークのつぶやきに、グリゼルダは首を横に振る。
「いえ、皆は無事でした。まだ成長途中の個体でしたので、子供の私がちょうどよかったようで」
「もしや、副隊長が?」
最初に想像がついたらしいランドルフが、その赤茶の目を痛ましげに向ける。
「はい。一呑みにされたので、中から剣で斬って倒しました。多数骨折の上、窒息しかけたせいか、後発魔力も出ました。それまでの四割増しで。そこはあの蛇に感謝すべきかもしれませんが――
想像したくないというのに、つい考えてしまい、ふるりとする。
周囲も同じように考えてしまったらしい。
ひどく厳しい顔の隊員に、同情を隠せぬ隊員、目元を抑えるイヴァーノ。ルチアにいたっては、両手で我が身を押さえていた。
「副隊長、お尋ねして申し訳ありません」
「それは嫌いになって当然だろう。グリゼルダ、次から蛇のときは後ろに下がってもかまわんぞ」
「そういうわけにはいきません、グラート隊長。魔物討伐部隊員として、一匹でも多く殲滅しないと――」
グリゼルダの爬虫類嫌いにそれぞれが納得し、話を続けている。
その向かい、ドリノが
「蛇に喰われて後発魔力か……四割は凄いな……」
「ドリノ、絶対に試すな。忘れろ」
「そんなん試せるか! そもそも喰われた時点で普通終わるわ!」
ランドルフの言葉に、ドリノが強く抗議している。
後発魔力に関する話のようだが、確かに、絶対に真似できない上げ方である。
「ええと、続けていいでしょうか……?」
「ああ、すまぬ、ファーノ工房長。続けてくれ」
話の脱線しまくったお披露目が、ようやくに戻された。
ルチアは大きく息を吸うと、隣室に呼びかける。
「では、最後の一枚です! ヴォルフ様、お願いします!」
隣室から出てきたヴォルフは、クッションリスタイプの遠征夜着を着ていた。
ただし、毛皮は毛足の長い艶やかな黒。ちょっと撫でたくなるようなふさふさ感だ。
「本物の
打ち合わせをしていたのか、ヴォルフがくるりと後ろに一回転する。
音もない着地に、服ではなく、彼自身の身体能力ではないのかと思えてしまった。
「なかなかいいかもしれん。真冬と雪山は肩にくるようになったからな……」
「予算的には少し厳しそうだがな」
隊長と財務部長が世知辛い話をなさっている。
実際あれだけふさふさときれいな毛皮であれば、高級なコートにされる方が多そうだ。
「ヴォルフ先輩、かっこいいです!」
「ヴォルフ、大変似合っている」
「あー、かっこいいかっこいい。もうお前、ずっとそのままでいいよ」
「ありがとう。でもドリノだけ、なんかひどくない?」
隊員同士でじゃれ合うように話すのを、ダリヤは微笑ましく見ていた。
「ルチア殿、これは大変暖かそうですね。目立たぬ色合いですし、夜間警備にもいいのではないかと思います」
「ありがとうございます! 実際、とても暖かいんです」
ヨナスの褒め言葉に、ルチアが満面の笑顔になっている。
一方、ダリヤはつい前世の狼男の話などを思い出し、ちょっとなつかしくなっていた。
今世、ファンタジーにも思える世界ではあるが、月で変身する狼男の話はない。
魔物でも狼男は聞いたことがなく――
「どうかな、ダリヤ?」
いつ近づいて来ていたのか、屈託ない
黒いふさふさの毛並み。大きめのフードの先には尖った耳。耳の内側には一段白い毛皮を縫い込み、細部までリアルである。
黒いフードの中には、美麗な白い
またも狼男の単語がちらつき、ダリヤは膝の上の手をきつく握る。
そんなことを考えたら、ヴォルフに失礼ではないか。
実際、かっこいいのは確かなのだ。
「……ざ、斬新で、かっこいいと思います」
「ありがとう!」
ヴォルフが微笑むと同時、隊長に名を呼ばれた。返事をした彼は、すぐそちらへ向かっていく。
ダリヤは大きく深呼吸する。
よく耐えた私の表情筋。
口を閉じて表情を整え直していると、隣に座るヨナスがこちらに少し身を傾けた。
「ヴォルフ様は、まるで
「なるほど……そうですね」
低いささやきに納得する。
狼男よりそちらを思い付けばよかった。
毛足はちょっと長いが、見ようによっては
ヨナスも同じだったのだろう。いい笑顔が自分に向いた。
「どうです、塔の番犬に一匹?」
ダリヤは耐えきれずに咳き込んだ。
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大変にうれしく、ありがたく読ませて頂いております。
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