321.遠征夜着と服飾師
仕事始めからしばらくの日、ダリヤは今年初めて王城、魔物討伐部隊棟へやってきた。
本日は、イヴァーノとヨナスが一緒だ。
ダリヤは青みの強い紺のドレス、イヴァーノは濃灰のスーツ、ヨナスは騎士服だった。
一年最初の挨拶でもあるので、それぞれ、少しだけきちんとした装いだ。
「ようこそ、ダリヤ先生、ヨナス先生、イヴァーノ殿。本年もよろしくお願いします!」
魔物討伐部隊棟の玄関では、部屋までの案内役として、ドリノが待っていた。
その明るい声と笑顔に、緊張が薄れるのを感じる。
それぞれに挨拶を交わすと、四人で会議室へ向かうこととなった。
「今日はファーノ工房長もいらっしゃっていて、午前から『遠征夜着』の試着が始まってます」
「ルチアが……『遠征夜着』、ですか?」
「はい、遠征中の夜間によさそうだということで、あのクッションリスみたいなヤツ……いえ、動きやすく暖かい上着の試作を頂きまして。ぜひ皆さんにもご覧頂こうという話になりました」
確かに、ヴォルフは、隊長に遠征中の寝間着として提案をしに行くと言っていた。
現在の冬の遠征では『着る寝袋』を使用している。
火傷に気をつけつつ、背中か腹側に携帯温風器をつければ、より暖かく、動きやすいので、代替にできるかもしれない――そう考えてのことだ。
しかし、流石、ルチアである。
この短期間で『遠征夜着』としての試作を仕上げるとは。
サイズ違いや色違いがあるのかもしれない。見るのがとても楽しみだ。
ダリヤが感心していると、隣のイヴァーノに低く声をかけられた。
「会長、何か、俺が伺ってないもののお話でしょうか?」
「え、ええとですね……」
固めきった笑みの部下に、ルチアに動ける寝具や寝間着を知らないかと尋ね、結果、着る毛布、そして遠征夜着になったことを必死に説明する。
「ああ、昨日、フォルトがすごくいい笑顔だったのってそのせいですね。家に自分で黒エールを箱で届けに来たので、何かあるとは思ったんですが」
「フォルト様が……」
服飾ギルド長であり、子爵当主であるフォルトが手ずから運搬する黒エール。
大変に価値がありそうだ。
「まあ、遠征用の寝間着の改良なら、魔導具というより服飾でしょうし。今回はフォルトとルチアさんの出番ですね」
その言葉にうなずき、三階へと階段を上る。
進んだ先、ドリノが扉を開けてくれ、広い会議室へと足を踏み入れた。
会議室では、魔物討伐部隊長のグラート、副隊長のグリゼルダ、書記役らしく羽根ペンを持つ壮年の騎士、それに、財務部長のジルドがそろっていた。
なごやかな雰囲気の中、挨拶を交わして席につく。
「ご多忙の中、お集まり頂きありがとうございます。では、今年の魔導具と武具関連の導入計画についての話し合いを始めたいと思います」
進行役はグリゼルダだ。
やわらかな声がそれぞれに配られた書類を説明していく。
今年も五本指靴下、乾燥中敷き、遠征用コンロ、携帯温風器など、数を増して導入してもらえるようだ。
それにほっとしつつ二枚目をめくると、疾風の魔弓を追加制作し、全体で六張になるとあった。
備考欄の『魔物への遠距離攻撃を増やす』の文字に、少しだけ安心する。
隊員ができるだけ安全に戦えれば――そう思いつつ、グリゼルダの説明に聞き入った。
次に話し出したのは、ジルドだった。
「昨年後期の魔物討伐部隊予算の余剰分を、今期の魔導具と武具、食料、馬に振り分ける案を準備しました」
『余剰分』の単語に、つい顔を上げてしまった。
魔物討伐部隊の予算はゆとりがないと聞いていたが、昨年後期は魔物が少なかったのだろうか?
ヴォルフ達はよく魔物との戦いに出ていたし、ワイバーンとの戦いもあったのに――疑問が顔に出てしまったらしい。ジルドが自分に視線を向ける。
「昨年後期は、魔物は例年並みに出ましたが、遠征期間が短縮しました。また、魔物討伐部隊には重傷以上が出ておりませんので、見舞金の支出がありませんでした」
遠征期間が短縮したということは、馬が足の早いものになったのかもしれない。
そして、治癒魔法やポーションの使える騎士団において、『重傷以上』とは、二度と戦えなくなった者か死者をさす。
どちらもいないということは、全員が無事だったということで――それがとてもうれしく思えた。
「それと、途中退役者もなく、有能な騎士が見習い給与で入りましたので」
「骨の折れる新人だがな……」
ベルニージ達のことなのだろう。グラートが苦笑している。
しかし、ダリヤはどんな
左に座るヨナスは無言で書類を見つめ、右のイヴァーノは予算の書類の横、計算式をメモしている。
動じているのは自分だけらしい。なんとか表情を固めて話を聞いた。
確認の質問はいくつか出たものの、会議はスムーズに進んだ。
議題分が終わると、グリゼルダが立ち上がる。
「こちらで一度休憩を。服飾ギルドより『遠征夜着』の試作が上がってきておりますので、休憩後にお披露目と致しましょう」
ルチアによる遠征用の寝間着、あのクッションリスの服が来るらしい。
すでに見たことも着たこともあるダリヤは、余裕を持ってみていられそうだ。そう思いつつ、運ばれてきた紅茶を味わった。
「会長、ルチアさんが廊下でお待ちです――」
一度部屋を出たイヴァーノが、戻ってきてそっと告げた。
ダリヤは礼を言って部屋を出る。
会議室前の廊下、アイスグリーンのドレスを着た緑髪の友がいた。
「ダリヤ……」
妙に大人しい声で、ルチアに呼ばれた。
大声で名前を呼ばれたわけでもないのに、そこはかとない不安を感じるのは何故だろう。
そろって廊下の端に寄り、声低く話し出す。
「あの歩ける寝間着、魔物討伐部隊の遠征で使えるかもって連絡が来たの。大量発注予定ってメモ付きで。原因はダリヤよね?」
「ごめんなさい。着心地が良くて冷えないから、発注はあると思ったけど、まさか大量になるとは思わなくて……」
「ダリヤの大量発注はもう定番だからいいわよ。五本指靴下と似たような流れでしょ?」
否定したいが否定できない。その通りすぎる。
「でも、せめて一言頂戴。いきなり服飾魔導工房にグリゼルダ副隊長がいらっしゃるんだもの、心臓に悪いじゃない」
「ごめんなさい」
心から再度謝罪した。
思い返せば、自分も五本指靴下と乾燥中敷きで、商業ギルドにグリゼルダが来たのにあせったのだった。ルチアにも同じ思いをさせてしまった。
「謝らなくていいわよ。この機会にがっつり売り込むから。むしろ、服飾魔導工房として、こっちがお礼を言わなきゃ――今回も良いお仕事のご紹介をありがとうございます、ロセッティ会長」
「……どういたしまして、ファーノ工房長。これからもよいお取引、よい商売をお願い致します」
真顔の挨拶に真顔で返す。
しばらく互いの顔を見つめていたが、ぷるぷると肩が震え始めた。
耐えきれず先に笑い出したルチアが、ダリヤの肩をぽんと叩く。
「だめね、二人とも、まだまだ板につかないわ」
「まだ一年にもならないのだもの、仕方ないじゃない」
「そうね、慣れるしかなさそう。あ、『遠征夜着』、暖かさはもちろん、遠征の屋外使用向けもいろいろと考えてみたの。いくつか作ったから、気に入ったのがあったら教えて。ダリヤかヴォルフ様のサイズで作るから」
「ありがとう。でも、この前のもとても気に入っているのよ」
見た目、クッションリスだろうとも、塔で一人でいるときには、あの格好が暖かくて楽である。
もっとも、急な来客があった場合はその場で全速で脱いで向かっているが。
「超えるのがあるかもしれないじゃない。あ、そろそろ時間ね。お披露目に向かうわ。試作費用に糸目はつけないってフォルト様が言ったから、工房の皆と全力を尽くしたの。楽しみにしてて!」
青い目を輝かせ、明るい笑顔でルチアが言う。
遠征夜着の仕上がりが、さらに楽しみになった。