第3章 始まる社会人
さて、卒業研究も間近に控えたある日、宮城県の白石のとある大手電気会社の子会社の会社説明会の招待を受けた。
仙台オフィスセンター長の大野さんからのメールである。
1回は卒業研究の兼ね合いでキャンセルしたが、再びメールが届き、偶然日にちが空いていたので、その日に参加し、受ける事になった。
どうやら、携帯端末の通信関係のSE業務に携われるらしい。
多分履歴書の安田で受けた二陸技で底を選定したのだろう。
言うて偶然受かっただけだから何の頭にも入ってないが。
そもそも資格を取ったところで働く事が楽になるとは思えなかった為資格を取るやる気が起きなかった。
つまり勉強の知識を高めるのと、仕事を難なくこなせる事は別だと言う事を言いたい。
ならなぜ大学に入ったかと言うと、社会的人権を得る為である。
未だにこの文化の雰囲気は高卒以下の学歴はヤンキー的な意味で軽く見られる傾向が強い、
そして、父親も高卒で尊敬できない人だった。
なので大学に進学をしたといったところだ。
そもそも大学に入ってなかったらこんな文句は言ってない。
そして、なんやかんやで卒業研究も終え、言山、岡田、杭瀬の4人と卒業旅行も行き、
学生生活最後を満喫した。
余談だが、岡田は就職先は決まったものの、単位を過信してか、まだ卒業できていない状況である。
さて、就職するにあたって必要書類を準備しなくてはならない。
因みに私は入学必要書類を忘れ、一浪している。
今回、そのような事がないように、耳を揃えて提出をした。
また、私は発達障害を有しており、障がい者手帳を有している。
それも提出しなければならないと言うところでコピーを提出した。
因みに、障がい者認定を受けたのは幼少期からであるが、
中学時代に発達障害は福祉の対象にならないといったところで、
父親が手帳を返納してしまったらしいので、卒業間近に病院に行き手続きを終え、
それを取得したのである。
さて、話は戻り、卒業旅行も終え、赴任先が決定した旨の電話が届いたのである。
何と、説明を受けた仙台である。
周りが東京や、地元に就職する中で、田舎に1人で赴任するのは、絶望を感じた。
だが、金を稼ぐためには仕方がない。
人と関わりたくなくても、それでしか金を得れないのだから仕方がない。
私はその後、中学の友達である、仁賀保、岡田、長島とお別れ会を開く事となった。
私は、消極性を感じながら、初の正社員になる事になった。
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