森喜朗失言辞任 お笑い評論家が斬る「森氏に致命的に足りないのはボケる覚悟」
連載「道理で笑える ラリー遠田」
私が思うに、森氏に足りないのは「ボケる覚悟」である。本来、ボケることには決死の覚悟が必要だ。ボケという道に一歩踏み出した瞬間に、ウケるかスベるかが決まる。ボケていない人間はそもそもスベることがない。
実際のところ、プロの芸人ではないほとんどの人はまともにスベることもなく一生を終える。「スベる」とは、ボケた人間にだけ与えられる勲章だ。きちんとスベるためにには、きちんとボケなくてはいけない。
いわば、ボケるとは深い谷底に向かってバンジージャンプをするようなものだ。無事にウケれば救われるが、スベってしまえば大きなダメージを受ける。
ボケることには本来それだけの覚悟が要る。プロの芸人はその覚悟を背負って人前に立ち、必死でボケ続けている。命を張っているからこそ、芸人の芸は称賛に値するのだ。
有吉弘行が品川祐に対して「おしゃべりクソ野郎」と言う。あるいは、千鳥の大悟が西野亮廣に対して「捕まってないだけの詐欺師」と言う。これらはスベってしまえばただの悪口である。ただ、彼らはその発言で笑いを取った。批評性のある毒舌によって、本質を射抜いて笑いを起こした。だからこそ、彼らの言葉は失言ではなく、歴史的な名言として語り継がれることになる。
スベったボケは失言と呼ばれ、刺さったボケは名言と呼ばれる。長年にわたって権力の座にあぐらをかき、目の前の人々から笑ってもらえる立場にあった森氏には、本当の意味でのボケる覚悟がない。彼にきちんとボケる勇気があったのなら、たとえスベっていたとしても事態は変わっていただろう。
しかし、残念ながら、森氏にはボケる覚悟もないし、彼を権力の座に就かせている仕組みそのものにも自浄作用は期待できない。こうして政治家たちは何度でもスベり続けるし、何度でも失言を放ち続ける。心ある者は、どうかきちんとボケてほしい。そして、きちんとスベってほしいのだ。
自身の運転技術を過信して、ブレーキとアクセルを踏み間違えた老人の交通事故は目も当てられない。事故を起こした責任を取れないのなら、軽口の免許を返納すべきだろう。(お笑い評論家・ラリー遠田)
ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・ライター、お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)など著書多数。近著は『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)。http://owa-writer.com/