第97話 奴隷、王女、精霊
里に着くと、既に俺たちの帰還に気づいていた里の者たちが待っていた。
意外だったのは、一番最初に駆け寄ってきたのが、マリエルだったということだ。
「よく無事に帰ってきたね、フィーエル」
「マリエルさま、ただいま戻りました」
「ヴィーオからは、行ったら半数以上帰ってこられないって聞かされていたからさ、心配してたんだよ」
そう言うと、マリエルは有無を言わせず、フィーエルをその胸に抱きしめる。
帰ってこない者もいる、とは聞かされていたが、半数以上帰ってこられない、なんて情報は聞かされていなかった。
どういうことかとヴィーオに目をやると、笑顔で軽く手を振られた。
「情報は全て出すものだと思うんだが? 半数以上帰ってこられないなんて教えてもらってないぞ」
ヴィーオに詰め寄り、その無邪気な顔に顔を近づけて言うが、全く気にする様子はない。
「誤解してもらいたくないんだけど、これは僕の優しさでもあるんだよ。そんなことを教えて、萎縮しても困るでしょ? 背中を押してあげようかなって」
「全て順調に事が運んだからいいが」
「でしょ? それで、向こうの世界はどうだった?」
「それなんだが、思い出せないんだよ」
俺が口にした瞬間、今まで余裕の表情を見せていたヴィーオが、明らかにショックを受けたものへと変わる。
本当は記憶がなくなる、というのもアイネスから聞いてわかっているが、教えないでおくほうが溜飲が下がるため、教えないでおくことにした。
「そんな話はいいから、さっさと王女の所に連れていってくれないかしら?」と俺の背から姿を現したアイネスが、ヴィーオに向かって喧嘩腰で尋ねる。
「やあアイネス、久しぶりだね」
「アタシはアンタの顔なんて見たくもないのよ。アタシが好きじゃない奴にそっくりだから」
俺の記憶に、ヴィーオのように
「それは酷いなぁ。僕が何をしたっていうんだい?」
「騙すような真似をして、ウォルスとフィーエルを神精界によこすなんて、アタシに殺されたいのかしら?」
「はははっ……それは物騒だね。君を捜すためなんだから、行かせるしかなかったんだよ。一応危険だというのは伝えておいたけどね」
「フィーエルよりも、アンタが来るほうが、安全にアタシの下に来られたと思うんだけど」
「仮定の話は好きじゃないな。現にこうして、君たちは無事に帰ってこられたんだから、僕の目に狂いはなかったという証左だよ」
記憶に何も残っていない以上、どんな酷い目に遭っていたかもわからず、俺とフィーエルはお互いの顔を見るだけで、何も言うことはない。
だが、アイネスは違うらしく、ブツブツと不満を漏らしている。
いったいどんな目に遭っていたのか聞きたいところだが、聞いたら最後、ヴィーオを殴りたくなるかもしれないため、やめておくことにした。
「――――で、セレティアはどうなっている」
「一切魔法を使わせず、安静にさせてるから今のところは大丈夫だよ」
「早速で悪いんだが、アイネスに診てもらいたい」
「それがいいね、きっと喜ぶよ」
◆ ◇ ◆
以前と同じ部屋で、ベッドに腰掛けているセレティア。
気のせいか、少しやつれているように見える。
フィーエルとアイネスを連れて入ったが、気づいているのかもわからない。
「遅かったのね」とセレティアはこちらに顔を向けず、窓の外に目をやったまま答えた。
「遅かったか……少し旅の記憶が抜けていてわからないんだ」
「もうあれから十日以上は経ったわよ」
そんな長期間の記憶を失ったとは思っていなかったため、アイネスに顔を向けると、やれやれといった反応を返される。
「神精界は時間の流れが均一じゃないから、今回はそのくらいの時間差だったのね」と平然と言ってのけた。
聞き慣れない声だったためか、外を見ていたセレティアの顔がこちらに向けられる。
そして、その瞳がアイネスに固定されて動かなくなった。
「どうした?」
「その肩のものは……何?」
「ああ、こいつは『モノって何? アタシを誰だと思ってんのかしら』霊だ」
モノ扱いされ、突然キレだしたアイネスによって、俺の声がかき消される。
アイネスはセレティアの顔の前まで飛んで行くと、その鼻先に指先を押し当てた。
「アタシは水の精霊アイネスよ。アンタがウォルスを奴隷にしている王女ね」
「これが精霊……それにしても、精霊って随分元気なのね。もう少し大人しく品があると思っていたわ」
セレティアとアイネスが睨み合い、意外にセレティアも元気があるな、と安堵する。
だが、フィーエルは違ったらしく、二人が飛ばす火花にオロオロと狼狽えだした。
「このアイネスは、アルス・ディットランドの症状を緩和させた実績がある精霊だ。アイネスに任せれば大丈夫だ」
「そうよ、アタシじゃなきゃ魔力のコントロール、魔法力の微調整、その他諸々を同時にして症状を抑えるのは難しいのよ。少しは驚きなさいよ」
「それは凄いわね――――それじゃあ、早速頼もうかしら」
アイネスの言葉を受け流し、大人な対応を見せるセレティアだが、それが逆に、アイネスを傍目にもキレているのがわかるほどにキレさせた。
アイネスは水でできた髪を逆立て、セレティアとの距離を顔と顔が引っ付くほどに詰めた。
「王女か何だか知らないけど、澄ましちゃってどういうつもり! ウォルスとフィーエルが、どんな思いでアタシのところに来たと思ってんのよ。礼の一言くらいないのっ!」
「アイネス、落ち着いてください。セレティアさまは――――」
「フィーエルは黙っててっ!」
「ひっ!」
懸念していたことが、思ったより早く、それも激流のように押し寄せたようだ……。