▼行間 ▼メニューバー
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
【web版(裏)】奴隷転生 ~その奴隷、最強の元王子につき~ 作者:カラユミ

神精界編

95/144

第95話 奴隷、唇に何かを感じる

 先頭を行くアイネスがどこに向かっているのか、走りながら森の中を見回してもわからない。

 だが、アイネスは闇雲に移動しているのではなく、確実に目的があって進んでいるのだけは感じ取れる。


「フィーエルの様子を見る限りじゃ、まだ数時間は残されてるようだけど、急いだほうがいいわね」アイネスはフィーエルの背中にある、羽の付け根辺りを確認しながら言った。


「アイネス、帰れなくなったら、俺やフィーエルはどうなるんだ」


「人間はアンタが初めてだからわからないけど、フィーエルは全ての記憶を失って、下位精霊に戻るわよ」


「アイネス、早く帰りましょう!」


 フィーエルはいつになく焦った声で叫び、訴えかけるように俺に顔を向けてきた。


「まだ時間はあるんだ、今から心配する必要はないだろう」


 俺の感覚でもまだ数時間はあり、確実に余裕はあるはずなのだ。


「ですが……」


「それよりも、一つアイネスに聞いておきたいことがある」


 フィーエルの背後で振り向いたアイネスは、とぼけた表情で俺を見つめてくる。


「何かしら?」


「精霊たちは四大竜が監視者と言っていたが、あれはどういうことだ」


「ああ、あれね。教えてあげてもいいけど、意味はないわよ。全部忘れちゃうから」


「忘れる?」


「そっ、神精界から帰還する時に、大半のことは忘れるわよ。覚えてるのは精霊であるアタシだけ」


 フィーエルと目と目が合う。

 ここまで苦労したことも、長居すると戻れなくなることも、フィーエルが精霊サイズになっていたことさえも、全て忘れるということだ。


 エルフの文献に何も残されていないのは、神精界に行ったエルフは何も覚えておらず、残せなかっただけということになる。

 それも、記憶がなくなるという事実も忘れるため、ただ思い出せないと悩むだけの日々を過ごしたのだろう。


「帰ってから教えてくれるか」


「それはお断りね――――ただ、全てを忘れてることだけは教えてあげてもいいわ」といたずらっぽい顔で答えるアイネス。


 それだけでも教えてくれるのは助かる。

 だが、たとえ忘れるとしても、このモヤモヤした気持ちをひきずったまま戻れない。


「それは助かる。それでも、監視者については教えてもらいたい。もしかしたら覚えているかもしれないしな。第一、このまま帰るのは気持ちが悪い」


「そう、だったら教えてあげるけど、四大竜は元々この世が創造された時に、七匹いたと云われているわ。禁忌を犯す人間が現れないか、監視するためにね」


「七匹だと?」


「二匹は普通に討伐されたけど、一匹は過去に禁忌を犯した者と共に果てたと伝わっているわ」


 俺と同様にフィーエルも驚いていることから、エルフの間でもこれは伝わっていないらしい。

 だが、七匹いたことが、どうして伝承されていないかがわからない。

 人間は都度争いがあり、伝承が途切れることも考えられるが、長寿でもあるエルフに、なぜこれが伝わっていないのか。


「どうしてエルフもそれを知らないんだ」


「それはね、怠惰竜イグナーウスが何かをしたからよ。それが何かは、アタシたち精霊の間にも伝わっていないの。精霊は基本、人間と距離を置くからかもしれないわね」


「……厄介なのが残ってるってことだな。イグナーウスも監視者なのだとしたら、アルスを狙ってるのか?」


「さあ? それは本人に聞かなきゃわかんないわね」


 本人に聞く。

 以前なら馬鹿な話だと思っただろうが、案外普通に話ができるのかもしれない。

 今はどこにいるかもわからないが……。


「仮にだが、全ての監視者を討伐したらどうなるんだ」


「新たな七大竜が現れるのか、終焉に向かうのか、それとも人間がより栄える世界となるのか、それは神のみぞ知る、とだけ答えておくわ。――――それじゃあ行くわよ、そろそろだから」




 再び移動を開始したアイネスに連れてこられたのは、世界が見渡せそうな崖の先端だ。

 天から大地が降ってきそうな圧迫感と、どこまでも広がる森と山があるだけで、他には特に何もない。

 それでも今までと違うことが一つだけあった。

 上質な魔素で満たされていたはずの空間が、ここには全くと言っていいほど存在していない。


「大丈夫なようね、もうすぐあちらの世界と繋がるわ」アイネスは頭上に広がる大地を見上げながら呟き、「フィーエル、このままでいいの?」とフィーエルへ振り返った。


「何がですか?」


 フィーエルはキョトンとした表情で、真剣な顔を向けるアイネスを見つめる。


「もうすぐ、ここでの記憶は失われるのよ」


「わかってますけど?」


「だ・か・ら、ここで何をしても、大丈夫っていうこと」


 アイネスはフィーエルの背中に回り込み、なぜか俺の目の前まで押してきた。

 俺の顔とフィーエルとの距離が拳一つ分、というところでそれは止まった。


「何のつもりだ?」


「そうですよ! アイネス、どういうつもりですか」とフィーエルはあたふたしながら叫んだ。


「ウォルスはこの世界で聞いても無駄なことを、意味がないとわかっていながら、わざわざアタシから聞いたのよ。自分がスッキリしたいがためにね。だったら、フィーエル、アンタも何か言うなり、するなりして、この場だけでもスッキリなさい」


 スッキリ……?

 これはあれか、完全にアルスとして話せということだろうか?

 最近の態度は、もう過去のそれに近いものがあったと思うんだが、アイネスからはそうは見えなかったのかもしれない。

 ここは礼も兼ねて、協力するほうがいいだろう。


「フィーエル、何でも言ってくれ。ここまで来られたのも、フィーエルのおかげだ」


 フィーエルは頬を紅潮させ、俯いてしまう。


「では…………目を瞑ってもらいたいんですけど」


「これでいいか?」


 正面を向いたまま目を瞑ると、アイネスのものと思われる、茶化すような口笛が聞こえてきた。


「フィーエル、アンタ大胆だね。アタシもドキドキしてきたわよ。でも、早くしたほうがいいわ、もうすぐ時間だからね」


「アイネスはこっちを見ないでください」


「決定的瞬間を見逃すわけにはいかないわよ」


 何の話をしているのか、何がしたいのか、さっぱりわからない。

 兎にも角にも、さっきからフィーエルに落ち着きがなく、一人で焦っているのだけは伝わってくる。


 刹那、そんなことを全てをかき消すように、一気に魔素の濃さが変化する。

 瞼越しにでも辺りが暗くなったのがわかり、徐々に意識が遠のいていく感覚が襲ってくる。

 これは神精界にきた時と同じ現象だ。


「フィーエル、もう時間がないぞ、早く……んっ? んん!」


 アイネスの黄色い声と同時に、下唇に何かが触れる。

 小さいが柔らかく、同時にいい香りが鼻腔をくすぐる。

 確認するために目を開けようとする、が既に五感の感覚が奪われはじめ、それが叶うことはなかった。


「……じゃあ二人とも……あとはあっちの世界でね……」


 微かに聞こえたアイネスの声が、神精界で聞こえた最後の声だった。

  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。
書籍一巻発売中!
講談社マガポケにてコミカライズ連載中です!
i000000


cont_access.php?citi_cont_id=325416815&s

感想は受け付けておりません。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。