第93話 奴隷、正体がバレる
「もういい、放してやれ」
「ですが……」
「アイネスも、そこまで馬鹿じゃない」
俺の言葉を受けて、フィーエルは渋々アイネスの口から手を離した。
自由になったアイネスは、ふーん、ふーんと一人納得するように、俺を凝視したまま顔の周りを何周も飛び回る。
「怪しまれるからそのくらいにしろ」
「ウォルス、ねぇ……フィーエルがここまでする理由がわかったわ」とアイネスは顎に手をやり、ニヤリと笑う。
「何がおかしいんだ」
「別に何もないわよ?
アイネスはニヤニヤと笑い、今度はフィーエルの顔を確認するように、フィーエルの周りを飛んでみせる。
そんなアイネスからフィーエルは顔を逸し、チラチラと俺に助けを求める視線を投げかけてきた。
「こっちは、とはどういうことだ? 禁忌を犯したというのはアルスなのか」
俺の言葉を聞いたアイネスの動きが止まり、急に真面目な顔つきへと変わった。
「そうね。それは間違いないわ」
「だが、王宮にいる生き返ったというアルスは、アルスじゃないんだろう」と俺は水の精霊に聞こえないよう、囁くように質問した。
「正確ではないわね。アルスであってアルスでない、これがアタシが出した答えよ。だからアタシはアルスを認めなかったの」
「どういうことだ、アルスが禁忌を犯したのなら、俺がそうじゃないのか」
「……少なくとも、それは違うわね。アンタは犯していない。それに、アンタはウォルスなんでしょ」とアイネスはいたずらっぽい笑みを浮かべ、俺の鼻先をつついてきた。
「意味がわからないぞ。王宮のアルスは何者なんだ」
「アタシも確認したわけじゃないし、答えられないわね。ある程度の予想はついてるけど、アタシ自身のケジメとして、それを教えることはできないわ。アタシが立てた誓いを破ることになるから。アルスの下を離れる、それだけがアタシに唯一許された抵抗なの」
アイネスは全てを知っている。
いや、全てとは言わなくとも、核心に触れる部分に関しては知っているような素振りだ。
しかし、俺がここでいくら聞き出そうとしても、答えてはくれないだろう。
それなら、違うアプローチをかけるだけだ。
「――――ところで、精霊は魂が見えるのか? 俺は白ではないと言われたが」
アイネスは俺の胸を注視して、白ではないはね、と少し悲しそうな顔をしながら呟く。
それが何を意味するのか、それはわからない。
だが、俺の魂が見えるということは、アルスの魂も見えているということになる。
「王宮のアルスの魂は、俺と違うんだな?」
「さあ? 人間の世界じゃ力は制限されるから、魂の色は見えやしないわ」
「そうか……」
アイネスは答えはしないものの、偽アルスが禁忌を犯した者で間違いないはずで、魂も黒でほぼ確定だ。
だが、アルスであってアルスでなく、俺と魂の色が違うのは合点がいかない。
この謎掛けのような答えに、しばし頭を悩ませる。
すると、アイネスがフィーエルの腕にしがみつき、コソコソと話しはじめた。
「ねえ、アンタとアル、いえ、ウォルスはこんなことを聞くためだけに、神精界に来たわけ?」
「い、いえ違います。それは、その……」
フィーエルが答えていいのか、という目を俺に向けてくる。
これはケジメとして、俺の口から言わなくてはいけない。
そう思った俺は、軽く首を横に振った。
「アイネス、それは俺が答える」
「いい答えが返ってくることを願うわ」
いくら友好的且つ、元俺に従った精霊だとはいっても、俺の言うことを何でも受け入れてくれるわけではない。
自己主張の強い精霊だ、断られたあとのことも考えておかなくてはいけない。
「俺たちがやってきたのは、ある王女が魔法力に体が侵食されはじめているのを、お前の力で制御してほしいからだ」
「イヤよ」
即答だった。
断られることも選択肢にはあったが、ここまではっきりと即答されるとは思わなかった。
「どうしてだ」
「それはこっちのセリフよ。どうしてアタシが、そんなわけのわからない王女を助けなきゃいけないのよ」とアイネスは明らかに不機嫌になり、「フィーエルもそれでいいわけ? この男は、アンタを差し置いて、他の女を助けるために、こんなところまでやってきてんのよ」とフィーエルへ詰め寄った。
「……私は構いません。セレティアさまには命を助けていただきましたし、そして何より、セレティア様の身に何かあれば、ウォルスさんの命もありませんから」
一瞬の沈黙、しかし、次の瞬間にそれは消し飛んでいた。
「どぉおおいうことよぉっ! まさかとは思うけど、命の共有じゃないでしょうねっ!」
「俺は奴隷だからな。王女の所有物だ」
「なんてことなの……こんなことってありえるの?……それなら凄くイヤだけど、協力してあげるしかないじゃない! もうなんなのよっ!」
半ば狂乱したように見えるアイネスを、遠くから見守る精霊たち。
その中に風の精霊ピットの姿もまだあるが、あのピットでさえも、アイネスには近づきたくないといった表情を浮かべている。
それほどまでに、アイネスの狂乱ぶりは突出しており、俺もフィーエルも、ただ見守るしかできない。
「はぁはぁ……ふぅふぅ……ちょっと取り乱しちゃったじゃない。そんな理由なら、最初から自分の命に関わるって言ってくれてもいいじゃない。王女を救いたいような口ぶりだったから、ちょっと焦ったわよ」
「一番の理由はセレティアを助けるためだ。それは、アイネスの考えで間違いない」
「ちょっと、アンタねぇ……」
「俺の過ちでこんなことになったんだ……何としてでも助けたい。頼む、アイネス」
俺はアイネスの言葉を遮るように、頭を下げた。
「…………もう、わかったわよ。頭を上げてちょうだい」
アイネスはやれやれといった風に両肩を上げると、慈愛に満ちた、優しげな眼差しへと変わる。
だが、それをよしとしない者が声をあげた。
「何の話をしているのか知らないけど、アイネスを行かせるわけにはいかないわよ」
「そうよそうよ。今は禁忌に関して、アイネスに喋ってもらわないといけないんだから」
「イーラを倒したというその人間と顔見知りのようだし、話を聞かせてもらわないと」
「え? ええ? ウォルス、アンタ、イーラまで倒したの!?」
イーラの件を聞いていなかったアイネスが、凄い勢いで俺の顔に迫り尋ねてくる。
面倒臭いことになった……と俺は頭を掻くしかなかった。