第89話 奴隷、風の精霊と手を組む
「フィーエル……なのか?」
「はい……こんな姿になってしまってますが」
フィーエルはパタパタと羽を動かしながら飛行し、俺の顔の前で恥ずかしそうに俯いた。
何が起こっているのか混乱している中、フィーエルの姿を見た風の精霊は、「あっ! やっぱりこの人間はエルフが連れてきたんだ!」と叫び、フィーエルをジロジロと観察しだした。
「エルフだとわかるのか」
「当然だよ。だって、エルフは僕の眷属なんだから。とは言っても、他の精霊でもわかると思うけどね。だって、エルフはニオイが独特だから」
「――――で、どうしてエルフがこんな姿になっているのか、説明してもらえるんだよな」
「できるけど、その前に、この手を離してもらえるかな?」
風の精霊は自由になると伸びをし、破壊した森を修復しはじめる。
「この世界は特別な魔素で満たされていて、精霊や妖精にとっては楽園なんだ。本来の力を解放できるし、姿も本来のものへと戻る。まあ僕は人間の世界に行ってもこのままだけど、エルフは違うんだ」
「エルフの本来の姿が、この姿だと言うのか?」
「まあそんなとこ。昔は人間の世界でもその姿だったんだけどね。独自に進化したんだよ」
説明を聞いて、フィーエルは自分の羽の感覚を確かめるように、しきりに羽ばたかせている。
「進化か――――退化と捉えるかはそれぞれだな」
「退化ではないよ。だって、ここにいる時の姿が本来の姿で、ここに留まり続ければ、その子もその姿から戻れなくなるんだから。それが退化と言ってもいいかも」
目の前で羽を羽ばたかせていたフィーエルが硬直し、ピクリとも動かなくなる。
風の精霊が言っていることが本当なら、この世界に長居していること自体危険であり、一刻も早くアイネスを見つけ出して帰る必要が出てくる。
「……一つ質問するが、その姿が戻れなくなるという話は、いったいどれくらいの時間滞在すればそうなるんだ」
「ここの時間なら丸一日ってところかな。君たちの世界じゃもっと時間は進んでるだろうけど。なんたって、ここは精神体の世界だからね」
風の精霊は白い歯を見せ、優雅に宙を舞ってみせる。
それとは対照的に、フィーエルは焦った表情を俺へ向けてきた。
「すみません。ずっと気を失っていたらしく……気づいた時には戦闘の真っ最中だったので。もう少し早く起きていれば、無用な戦闘なんてしなくて済んだというのに……」
「いや、まだここへ来て数時間のはずで、手遅れということはない。この話も聞けてよかったしな」
目尻を下げ、悲しい表情を見せるフィーエルの頭を、人差し指で撫でる。
小さくなろうと、特に違和感がないことが少し可笑しく、自然と自分の口角が上がってゆくのがわかる。
「ウォルスさん、何が可笑しいんですか?」
「違和感がないな、と思っただけだ」
途端に顔を真っ赤にさせるフィーエル。
恥ずかしさと怒りが合わさったような、複雑な表情だ。
「人間と仲がいいエルフだなんて、珍しいこともあるんだね」
風の精霊は俺とフィーエルの周りをグルグル回り、興味深げに見つめてくる。
「ああ、そうだ。アイネスの居場所を教えてもらう約束だったはずだ」
「それなら、あそこの湖の、一番尖ってる部分にいるよ」風の精霊は頭上にある、俺が目指していた湖を指差す。「ただし、他の水の精霊が監視してるから、気をつけることだね」
「監視? さっきも拘束されているとか言っていたが、どういうことだ」
「言葉のままだよ。確か――――禁忌幇助の罪だったかな」
憤怒竜イーラから聞こえた言葉が、再び俺の頭の中をかき回す。
禁忌――――あの時聞こえた言葉が、ここへ来てもう一度耳にすることになるとは思わなかった。
「禁忌幇助というのは、禁忌を犯した人間がいたということなのか」
「そうだろうね。でも僕はそんなの興味ないから、詳しいことは知らないや」と風の精霊は白い歯を見せて笑う。
アイネスが俺以外の人間、それも禁忌を犯すような者と繋がりがあったとは思えない。
ともすれば、アイネスが受けている罪というのは、俺がやったことに対しての罪で間違いないはずだ。
イーラが放った言葉も、イーラが犯したというわけではなく、俺に向けて言っていたと解釈するのが妥当だろう。
俺が犯した禁忌、それが転生だとすればおかしな点がある。
アイネスは自由奔放な性格だったが、それでもルールは厳格に守る奴だった。
それなら、俺が禁忌を犯すなら止めるなり、警告なりしてもいいはずだが、何も伝えてこなかった。
死者蘇生が禁忌というのなら、完成すらしていない。
では、俺がやったことの何が禁忌だというのか。
「禁忌というのはなんだ」
「禁忌はいくつも存在してるけど、答えるつもりはないよ。賭けはアイネスの居場所だったからね。その情報も欲しいのなら、二戦目ってことになるかな。今度は眷属相手になるから手加減なしね」
それは言葉だけのものではなく、本当にさっきは遊びでやっていたのがわかるほどに、魔力が今までの何倍にも膨れ上がってゆく。
「――――それならなしだ。そんな魔力を見せつけられて、二戦目をやるほど馬鹿じゃない」
「えーーそんなぁ……」
風の精霊は落胆する姿を一瞬見せるが、すぐに何かを思いついたような、ハッとした表情を見せて立ち直る。
「まあいいや。君たちといれば面白そうだし、アイネスの所まで案内してあげる」
急に態度が変わったことも怪しいが、笑顔で協力すると言い出していることに不安しかない。
しかし、背に腹は代えられないのが実情だ。
それはフィーエルもわかっているようで、その目は受け入れたほうがいいと言っている。
風の精霊の機嫌を損ねるのも得策ではないため、受け入れるしかないか、と俺はその申し出を受け入れた。