第88話 奴隷、手こずる
「あはははっ! 今の攻撃を避けるなんて、やっぱり人間て凄いんだね」
粉塵が舞う森の中に、風の精霊の声が響く。
そんな魔法を容赦なく放ってくる精霊は、ますます魔力を高めている。
「普通の人間なら、今の攻撃で即死だぞ」
「それじゃあ、君は当たりってことだね」
怒気を込めて叫ぶも、返ってきた声は先ほどよりも弾んでおり、さらに魔力も膨らんでゆく。
何もかもが裏目に出るが、逆に周りの物質を構成している魔力よりも格段に強くなった精霊は、視界に入れば、粉塵が立ち込める森の中でも位置が把握できる。
「確か、捕まえればいいんだったな」
「あ、逃げる選択はやめたんだね! 相手をしてくれるなんて嬉しいなっ!」
逃げる選択など、最初からないに等しい。
逃げるだけなら、サラマンダーのほうがよっぽどマシだと思えるほどに、風の精霊は素早く、そして、大気を操る感知能力はどこまでも追跡してくるだけのものを持っているはずだからだ。
風の精霊からも、同じ世界が見えているのなら、もしかすると、俺の体から発せられる魔力も周りと同化して見えづらいかもしれない。
そんな願いを込め、粉塵の中を全力で走って背後へ周り、一気に距離を詰めると思い切り叩きつけた。
「結構速いんだね。でも、そんなに大気を動かしちゃ、見えてなくても感じちゃうって」
全力の拳は空を切り、風圧で吹き飛んだ粉塵が空へと舞う。
風の精霊はそんな俺を空から見下ろし、次の魔法を何にするか、楽しんでいるようにさえ見える。
「ここでは、どうして人間は魔法を使えないんだ。使えたらもっと楽しめるんだがな」
俺は淡い期待を込め、より風の精霊が楽しめる提案をしてみた。
もし、俺に原因があるのなら、それさえクリアすれば魔法を使えることになる。
「ん~それはわからないね。君が初めての人間だし。強いて言えば、この世界では、人間は穢れそのものだからかな」と風の精霊は首をかしげながら答えた。
「穢れか……」
一瞬にして、俺の期待が打ち砕かれる。
穢れた者に魔法は使わせない、それがこの世界の絶対的なルールなのだとすれば、万事休すだ。
仮にこの風の精霊に勝てたとしても、それ以外の精霊にも、肉体のみで勝負しなければいけないということを意味している。
絶望の二文字が頭をかすめる。
その言葉を具現化するように、風の精霊は両手に暴風渦巻く竜巻を発生させた。
森の大木が悲鳴を上げ、その竜巻に飲み込まれてゆくさまは、森を焼き尽くすサラマンダーと同類にしか見えない。
「それじゃあ、続きいくよ! この面攻撃はどうかな?」
風の精霊が両手を交差させる。
それは二つの竜巻が森、俺を破壊する開始の合図でもある。
竜巻の直撃を受けた木々は粉々に砕け、それすら凶器となって俺に襲いかかってくる。
「頑張ってね、どこまでも追いかけていくから」
その言葉どおり、全力で避ける俺を竜巻は追尾し、勢いが衰えるどころか、時間が経つごとに威力を増してゆく。
竜巻の速度は俺の移動速度より遅いため、精霊を攻撃するふりをして、ギリギリで避け、竜巻を精霊にぶつける。
だが、竜巻は精霊にダメージを一切与えることなく精霊をスリ抜け、そのまま俺へと向かってきた。
「残念だったね。魔法が使えないのならいい作戦だったけど、流石に自分の魔法でやられるほどマヌケじゃないよ」
「マヌケなほうが、可愛げがあっていいんだがな」
ケラケラと笑う風の精霊は両手を前へ突き出し、魔力でもって二つの竜巻を無理やり合成してみせる。
「これなら逃げられないでしょ!」
合成された竜巻は、もはや逃げ場などないほど巨大、さらに、俺の動きを封じるように大気を吸い寄せる。
直撃すれば、人間の体などズタズタに切り裂かれ、ただ血を霧散させ消え去るだろう。
それでも、魔法さえ使えればどうにかなる規模なだけに、怖ろしさよりも悔しいという感情のほうが強くでる。
そして、無意識に、俺は右手を前へ突き出し、これを相殺できるであろう魔法を頭に浮かべていた。
――――広範囲型
風を荒れ狂う竜の如く操る、防御特化の風属性一等級魔法だ。
そしてそれは、俺の手のひらから発動し、巨大な竜巻を止め、稲光を発生させた。
「凄い凄いよッ! 魔法が使えないって言ってたのに、魔法を使っちゃうなんてッ!」
精霊の魔法と、こちらの魔法がぶつかり合い、轟音と、肌が切れるような風が渦巻く中、興奮と驚きを全身であらわす風の精霊。
その一瞬の隙は、唯一にして最後のチャンス。
魔法で周囲の魔素が乱れ、これ以上ない状況が生まれる。
俺はその隙を見逃さず、背後へ周り、精霊の体を両手にガッチリと掴んでみせた。
「え? ええっ? いつの間にぃ!?」
「これで、俺の勝ちだな」
「魔法が使えないなんて嘘を吐いて、最初からそういう作戦だったんだね」
風の精霊は怒るでもなく、してやられたとばかりに頭を掻いている。
「残念な知らせだが、さっきの魔法は俺が放ったものじゃない……」
確かに俺が思い描いた魔法であり、タイミングといい、俺が放ったと見られてもおかしくはない。
だが間違いなく、さっきの魔法に俺は一切関与していない。
誰の仕業なのか、何が目的で俺を助けたのか、わからないまま終わるのかと思ったが、その答えはすぐ側から現れた。
「……何だ?」
胸のあたりがむず痒く、ゴソゴソと何かが動く。
そこから風の精霊と同じ羽を持った、精霊らしきものが飛び出してきた。
パタパタと羽を動かし、手のひらに乗るサイズは精霊そのものだ。
だが、それは明確に精霊ではないと判断できた。
見慣れた服装、見慣れた顔がそこにあったからだ。