第80話 奴隷、無慈悲に葬る
しばらくすると、リンネが片腕を失ったボーグを抱え、戦場から離脱してゆく姿が見えた。
今から光属性の回復魔法をかけようと、あの片腕が戻ることはない。
たとえ無属性であっても、負傷から時間が経過しすぎだ。
そんなことを考えていると、俺に狙いを定めたと思われるイーラが立ち上がる。
「いい殺気を放つじゃないか」
俺もそれに応えるように、殺気をイーラへと向ける。
人の背丈の二倍はあろうかという牙をむき出しにし、涎を大量に流す姿はおぞましく醜い。
今まで獲物とすら認識してなかった俺を、獲物と認識したのかはわからない。
だが、その顔は凶暴でありながら、笑っているようにさえ見える。
イーラの咆哮はベルポソイ火山を越え、海へと抜けてゆく。
それを開始の合図とばかりに、イーラはその巨躯を俺へと突進させてきた。
小さな町くらいなら、それだけで崩壊させられるレベルのものだ。
――――だが、俺にとっては、所詮その程度のものだ。
右手を掲げ、光剣式聖縛魔法を発動する。
光属性一等級魔法であり、通常なら中サイズの魔物一匹の動きを封じる魔法だ。
しかし、俺が魔法力を全開にして放てば、威力も規模もそれとは全くの別物となる。
空中に、イーラにも負けない巨大な光剣が数十本現れ、それらが一斉にイーラの足、胴体、尾、顎へ次々に突き刺さる。
絶叫するイーラ、されどダメージは一切ない。
光剣はイーラに突き刺さったまま空間に固定され、イーラの動きを完全に封じるだけの力だ。
狂気に染まったイーラの瞳は、それでも自分は殺せないだろうと、俺を見下ろしている。
「お前を一撃で葬りさるような魔法は存在しない。それなら、お前を殺せる魔法を創造するだけだ」
淀んだ魔素を変換しようと、まだ体に異常は認められない。
脈も落ち着いたもので、イーラを目の前にしてるとは思えないほどゆっくりと打っている。
それを確かめたうえで、両手を合わせ、意識を集中した。
創造するのは、無属性魔法と火属性魔法による複合魔法。
俺にしか扱えないほど練り上げた魔力を、特異魔法として具現化する。
両腕から指先まで、熱を持たない黒炎がほとばしり、重炎虚空魔法ができあがった。
イーラを拘束している光剣式聖縛魔法、それ自体はそう長くはもたない。
既にいくつもの光剣にヒビが入り、今にも砕け散りそうな悲鳴をあげている。
「それじゃあ、物理的に動けなくしてやろう」
剣技で切断できなかった足首に向けて大地を蹴り上げ、今度は全力の拳をめり込ませる。
その衝撃で黒炎が前方に向かって解き放たれ、この魔法の真の力が発動した。
咆哮とは明らかに違う、イーラによる絶叫。
目は血走り、強引に動こうとすることで、さらに光剣に亀裂が走る。
黒炎は足首から下を全て飲み込み、一瞬にして圧縮、消滅させ、傷口を常に燃やして治癒を無効化させる。
「残り三本、光剣がなくなるまでにいただく」
イーラは俺の言葉に反応するように、激しく身悶え、光剣の何本かを砕いてゆく。
一本、また一本と足を消滅させるたびに、加速度的に光剣が砕け、最後の前足を砕く時には自由を手に入れたイーラは空へと舞い、俺を見下ろしていた。
しかし、イーラは逃げ出すような真似はしない。
あくまでもイーラは憤怒竜であり、空を旋回しながらも、俺への殺意は消えておらず、その目は常に怒りに染まっている。
だが、この怒りの矛先を変える愚行を犯す声が響きわたった。
「やはりそなたは、エディナ神の使いで間違いない。四大竜にここまで圧倒的な力を見せるとは、かのアルス・ディットランドと同等、いやそれすら超える偉業ではないか。余は今、神の御使いとともにいるのだ。エディナ神の加護があらんことを」
遠くから、静まり返った戦場にヴィクトルの演説だけが響く。
何のために避難したか理解していないのか、それとも、命がかかるこの状況に興奮し、自制できないでいるのか。
何にしても、今の行為は自殺行為そのものだ。
俺に向けられていたイーラの視線が、ゆっくりとヴィクトルへ移る。
このまま死んでもらっても構わないが、近くにはフィーエルとセレティアがいるためそうはいかない。
それに見殺しにすれば、セレティアがやったことを全て無駄にしてしまう。
そんなことは決して許されない。
「どこを見ている、お前の相手は俺だろう」と俺はイーラへ向かって叫び、飛行魔法を行使した。
再びイーラの眼球が俺へと向き直り、急速にその距離が縮まる。
もう油断することも、手加減することもない。
完全に消滅させるために、重炎虚空魔法を付与した拳を全力で振り抜いた。
高速で飛んでゆく無数の黒炎は、容赦なくイーラを襲う。
それを防ぐ術がないイーラは、体に無数の穴を開け、翼を失い、ただ墜落するだけの姿となった。
あとはその大きな頭部さえ燃やせば、四大竜の一角はこの世から姿を消す。
そう思い、最後の一撃を放った瞬間、その声が響いた。
「……キンキ……オカス……キンキ……」
魔物が言葉を話すわけがない。
だが、太く低い声は、はっきりと人の言葉を発した。
「キンキ……禁忌? なんだ今の声は……」
大きく開かれた醜い口から放たれたものなのか、それとも直接頭に響いたものなのか。
もしかすると、ただの錯覚だったのかもしれない。
黒炎を食らったイーラの頭部の大半はこの世から消滅し、その答えを知る術はなくなってしまった。
◆ ◇ ◆
地上には無数に散らばったイーラの肉塊が転がっている。
これを全て消滅させれば、今回のイーラ討伐は成功とみていいだろう。
一つでも残せば、偽アルスに利用される恐れがある。
魔法で消し去っている中、全てを見届けたヴィクトルとリンネが近づいてきた。
恍惚とした表情を見せるヴィクトルとは違い、リンネには俺を人として見ていないような、恐怖に近い何かを抱いているように感じる。
「見事であった。素晴らしい力を目の当たりにし、どうしてもそなたが欲しくなったぞ」
ヴィクトルは俺に触れる勢いで詰めてくる。
しかし、俺が睨みつけることで、その足もピタリと止まった。
「約束どおり、この偉業はお前たちにくれてやる。その代わり、セレティアとの約束は守ってもらうぞ。反故にしたり、俺のことを誰かに喋ることがあれば、セオリニング王国は消滅すると思っておくがいい」
今の俺の力を見て、冗談だと受け取ることはないだろう。
セレティアがあんなことになった以上、多少強硬な手段に出てでも実行させなければならない。
「余のセオリニング王国にここまで靡かぬとは……大した忠義心だ。約束の件は心配しなくとも、こちらも守るつもりだ」
「……俺が恐ろしくはないのか? セオリニング王国を滅ぼすと言っているんだぞ」
俺の言葉にもヴィクトルは臆することなく、「反故にするつもりはないのでな、その心配はいらぬであろう。それに、そなたが何と言おうと、その人智を超えた力、エディナ神の御使いのものと確信している」と胸を張って宣言した。
「――――思うのは勝手だ、好きにすればいい」
俺は話を打ち切り、イーラの肉塊を消滅させることに集中することにした。
これで、錬金人形にすることも、ヘルアーティアの魔力源にすることもできないはずだ。
全ての肉塊を消滅させたあと、俺は最後の仕事をするために、周りに点在する死体へと目をやった。