第79話 奴隷、黒い感情を解放する
俺は思わず、セレティアの名を叫んでいた。
どうして叫んでいたのか、なぜフィーエルではなく、セレティアだったのか。
セレティアが弱いためか、命を共有しているためか、それ以外の理由か。
ただ、口が勝手に動いていた、それだけが事実だ。
そして同時に、ここからでは間に合わないということも瞬時に理解した。
仮に間に合ったとしても、ネイヤの魔法は途中で切ることはできない、できたとしてもしてはいけない。
「ウォルス様、あれは……」
「特異魔法だと……」
四属性同時発動による特異魔法。
あれがヴィーオが言っていた、特殊なもの、で間違いないことはすぐに理解できた。
セレティアの魔力からでは、信じられないほどの規模の魔法。
イーラを一時的にとはいえ押し返し、それなりのダメージを与えている。
しかし、それでもなお、問題が二つ存在している。
一つはあの魔法は魔素変換を同時に、それもセレティアなら全力でやらなければ維持できないもので、それはつまり、セレティアの体が無事では済まないということ。
二つ目は押し返されたイーラは大地に背中から叩きつけられ、表皮全体が焼けただれてたうちまわっているが、これも元に戻るのは時間の問題だということだ。
「ウォルス様、もう足は治りましたので、早くセレティア様の下へ」
ネイヤの足はしっかり指先まで復元され、感覚も問題ないと見せつけるようにその指を動かしている。
昔の古傷と思われるものも相当数あり、ネイヤ自身も男の俺に見られたくはないだろう、と俺はすぐに視線を外し、後方へと向けた。
「ネイヤはここで待機だ。体力が戻ったらここから離れておいてくれ」
「……はい」
ネイヤから苦しい声が漏れる。
ネイヤには悪いが、誰かを庇いながら戦うより、やはり一人でやるほうが勝手が利く。
立ち上がるネイヤを見届けた俺は、急いでフィーエルとセレティアの下へ向かった。
◆ ◇ ◆
「セレティアさま、しっかりしてください」
フィーエルが大地に横たわるセレティアを抱え、必死に叫ぶ。
リンネとヴィクトルは心配そうな表情を浮かべ、ただその様子を見守っていた。
「リンネ、これはどういうことだ」
「わかりません……魔力枯渇でしょうか……」
二人がわからないのも無理はない。
初めて目にしたのなら、真っ先に魔力枯渇を疑うのは当然のことだ。
これがわかるのは、相手の魔法力が限界を突破したことを理解していないといけない。
「ウォルスさん……セレティアさんが、目を覚まさないんです」
フィーエルはわかっているだろう。
セレティアが魔力枯渇でもない状態で、なぜ目を覚まさないのか。
フィーエルがプレゼントした魔導具のネックレスは砕け散り、ただの破片になっている。
セレティアの体を、ある程度守ったと思いたい。
これは今回、最も注意しておかなければいけなかったことだ
セレティアにあのクラスの魔法を使わせた、俺に全責任がある。
「セレティアは、魔法力に負けたんだ」
そう口にした瞬間、フィーエルは顔を伏せた。
魔法力に体が侵されはじめたからといって、直ちに命に別状はない。
ただ、これから確実に命が削られてゆく。
それは人によって様々で、俺のように尋常ではない魔法力と魔力を持った者と、ただ体が弱く魔法力に負けた者が同じはずはない。
それでもセレティアがどちら側に入るかといえば、その高い魔法力に、この淀んだ魔素を大量に魔素変換したことから、軽い症状ではないことだけは確かだ……。
「ウォルスさん……申し訳ありません。私がついていながら、こんなことに……」
固まっていた俺に、フィーエルが震える声をかけてきた。
フィーエルの魔法力、魔素変換能力はそこまで高くない。
あそこまで攻撃に魔力を使い、さらに防御魔法を行使しながら魔素変換を同時にするのは無理だ。
この状況でフィーエルが謝ることは、何一つ存在しない。
「フィーエルじゃない、俺が悪いんだ。セレティアの力を見誤り、こんな状況を招いたのも、全ては俺の我儘のせいだ」
「ウォルスさんが謝ることではないです」
「いいや、俺だ。イーラに未知の力が加わっていた時点で、一度引くか、俺一人でやる決心をつけていれば済んだことなんだ」
フィーエルは何も口にしない。
俺が何を言いたいかをわかっているかのように。
俺が力を隠すことに優先したこと、これが失敗だったのだ。
四大竜との戦いだというのに、セオリニング王国の魔法師と共闘することで、知らず識らずのうちに油断していたのは否めない。
「ウォルス殿、さっきから何を言っているのですか?」
俺とフィーエルのやりとりを、怪訝な表情で聞いていたリンネが口を開く。
リンネは今すぐにでも避難したいようで、しきりにイーラに顔を向けて気にしている。
「イーラは、俺一人で始末するということだ」
「何をおっしゃっているのです! 今はイーラもすぐには動けず、逃げるには今しかありません。いくらダメージを負っているからといっても、ウォルス殿一人でどうにかなる相手ではありません。直ちに引き、立て直すべきです」
正論のように吐くリンネが、煩わしく、羨ましくも感じる。
普通なら、これが正しい選択なのはわかるが、全力を出さなかった俺には、最悪の選択に見えてならない。
このままリンネの言うとおりに行動をすれば、セレティアをこんな姿にしてしまった、俺自身の行動を肯定することになってしまう。
それは底が見えない沼に入ってゆくように、一度入れば二度と抜け出せないような錯覚に陥らせた。
イーラはこの場で、俺の手で殺らなければいけない。
それだけが、唯一俺に残された答えだと、本能が命じる。
ただ、自分を許すことができない感情を、イーラへ向けたいだけなのかもしれない。
それでもこの答えこそが、正しい道なのだと確信した。
「――――黙れ」
低く、殺意を込めた声で言うと、リンネが硬直し、警戒にも似た態勢を取る。
ヴィクトルを守ることが最優先のリンネは、共闘関係であっても俺を仲間としては見ていない。
それは俺も同じで、邪魔をするのなら、排除もいとわない。
「フィーエル、セレティアをここから離れた所まで移動させろ。セレティアが万一目を覚まさないように魔法もかけておけ」
「承知しました」
フィーエルは俺が言ったことを、黙って実行するだけだ。
魔法でセレティアを浮かせ、すぐに後方へと移動を始める。
今はとにかく安静にさせておくのが一番であり、目を覚まして無茶をされるのが一番困る。
「ボーグも死んではいないようだ、助けるなら今しかないぞ」
殺意を抑えて答えると、微かに残る魔力を頼りに、リンネがボーグの救出へと向かう。
その間にもイーラは凄まじい速度で回復し、黒く焦げていた皮膚の大半が元の赤い皮膚へと戻っていた。
「――――いくらでも回復しろ……すぐに殺してやる」
フツフツと沸き起こる黒い感情が、俺から甘さを消してゆくのがわかる。
セレティアがこうなった以上、俺の体がどうなろうと関係ない。
今は限界まで魔素変換をして、イーラの肉片の一辺さえ残さず、完全にこの世から消し去ることだけ考えればいい。
俺の中で、自制という名で縛り付けていた感情が、清々しいほどに、綺麗に崩れていった。