第78話 皆、勝利を意識する2/2
そしてそれは、一瞬の隙を生んだ。
鼻先を天へと向け、大きく口を開くイーラ。
それは酸を吐く合図でもある。
予想よりも早い酸攻撃に、ウォルスは驚きながらも、自分とネイヤの頭上に削剥魔法を固定した。
本来、空間に固定し続ける魔法ではないものを、二つ同時に発動するため、必要以上に神経をすり減らすことになる。
酸の雨をボーグは炎属性魔法で防ぎ、後方はフィーエルが風属性魔法で完全に防いだ。
しかし、酸の雨は攻撃ではなく、単なる足止めでしかないと全員が知ることになる。
次の瞬間、動きの止まったボーグに、強く振り下ろされた尾の一撃が襲いかかる。
大地に叩きつけられた尾の下敷きになったボーグ。そこに追い打ちをかけるように酸の雨が降り注ぐ。同時に、ネイヤは巨大な翼の風圧に飛ばされ、山肌へと叩きつけられた。
「ネイヤァァアアアッッッ!!」
ウォルスの声は酸の雨によってかき消される。
ネイヤは一瞬にして酸の雨の外へと飛ばされていたため、酸の雨からは逃れた。だが、それ以上に重大な怪我を負っていた。
削剥魔法が付与された剣が右足に触れ、大腿部から下が完全が消失。
山肌に体をめり込ませたまま、完全に意識を消失していた。
ウォルスはすぐさまネイヤの下へ行き、その状態を確認する。
「大丈夫か、ネイヤ」
気を失っているネイヤを抱き起こすが、当然、返事はない。
右足と、叩きつけられた背中、後頭部から大量の血を流し続けている姿に、ウォルスは自分が取った行動が間違いだったのだと、すぐに悟った。
そんなウォルスの心を埋めるのは後悔、罪責感、自己嫌悪、そんなものばかりだ。
だが、すぐにその考えを振り払うかようにウォルスは首を振り、躊躇することなく回復魔法を発動した。
回復魔法といってもいくつか系統があり、水属性、風属性、光属性、無属性にそれぞれの回復魔法が存在する。
水属性は自己治癒能力を増強し、回復は早いが、重傷になるほど効果が薄くなる。
風属性は自然治癒力付加であり、回復には一番時間がかかるものの、植物などにも有効である。
最も有名なものは光属性であり、一番回復力があるが魔力消費が多く、難度も上だ。
しかし、今のネイヤのように完全に欠損している傷は、たとえ光属性の回復魔法でも元には戻らない。
唯一戻るのは、回復魔法に分類されるが、異端とされる無属性回復魔法である。
傷を負ってから数分以内のものならば、あらゆる傷を治すことができる。
治すとはいっても、正確には時間を戻す時間回帰系魔法だ。
唯一の問題は時間回帰系魔法のため、一度発動すると終わるまで途中でやめられないこと、魔力消費も桁が違ってくることだ。
そして、ウォルスはその無属性魔法を発動した。
「…………ぅぅ、ぅううん……」
時間回帰系回復魔法も一気に治すことには変わりはないため、気絶しているネイヤが反動で目を覚ます。
そして、本来なら目の前にあるはずの右足がなく、それがみるみる戻ってゆく姿を目の当たりにし、絶句した。
「すぐに元に戻してやるから、そのままでいろ」
「ウォルス、様……」
ウォルスはこの間、イーラからの第二攻撃に備えていたが、イーラがその思惑に勘づいたのかはわからない。イーラはウォルスとネイヤには目もくれず、その視線を後方に構えるセレティアたちへと向けていた。
そして、その山を覆いそうな巨大な翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がる。
「何をする気だ……まさか……」
ウォルスの考えを見透かしたように、大空高く舞い上がったイーラは空から大量の酸を、セレティアたちへ向けて放った。
当然、それはセレティアたちからも確認はできている。
「フィーエル、今度は酸の雨程度じゃないわよ、あれじゃあ滝よ」とセレティアは焦った声で叫んだ。
「全力で防ぎますが、これ以上は魔力が持ちません。魔力変換を行ったとしても、わたしの魔法力では追いつきません。防いでいる間にセレティアさまはお逃げください」
「そんな真似できるわけないでしょう」
焦る二人の横では、ヴィクトルを背に、リンネが炎属性魔法でフィーエルの魔法を補助していたが、こちらもフィーエル同様、表情は優れない。
「陛下お逃げください。ここは長くはもちません。リンネ・ピンネワークス、身命を賭して陛下をお守りいたします」
低く苦しい声を上げるリンネの肩に、ヴィクトルはそっと手を置き、「余は諦めぬ。必ずや、エディナ神は救いの手を差し伸べる」と力強く叫んだ。
「エディナエディナって、あなた馬鹿でしょう? 自分の力でどうにかしないといけないのよ」
セレティアは、ヴィクトルに向かって怒鳴りつけた。
そのことに愕然とするヴィクトル。
そして、さらに驚くことが起きる。
「セレティアさま! イーラがこちらに急降下してきます! 一刻も早くここから退避を」
「もう間に合わないわよ」
酸を吐きながら降下するイーラの巨躯は、辺り一帯を吹き飛ばすには十分な速度があり、それはもうセレティアたちの目の前まで迫っていた。
逃げるとしても、酸を撒き散らすイーラから逃れる術はない。
イーラが二人の魔法壁に衝突すると、鼻が曲がるほどの肉が焼けるニオイと、斬り刻まれた肉片が飛散する。
そして、魔法は数秒で完全に突き破られた。
「――――セレティアァアアアーーーーッッ!!!!」
セレティアの視線が、一瞬イーラから逸れ、視認できないウォルスのほうへ向けられた。
「……こんな時に、空耳が聞こえるなんて……まあいいわ、わたしの本気を見せてあげるわよッ」
この状況で聞こえるはずのない声。
しかし、空耳と思われた声は、セレティアにやる気を出させるには十分すぎるものだった。
「咲きなさい、大いなる四属の花弁よ!」
セレティアが突き出した両手の先、フィーエルやリンネの魔法より巨大にして華麗、その熾烈な輝きを放って現れた四つの花びらは、それぞれが四属性を司る巨大な特異魔法だ。
それは、イーラの突進を完全に防ぎ、逆に包み込むように萎むと、イーラを切り刻み、焼き尽くした。