第76話 冒険者、散る
攻撃の口火を切ったのは、一部の魔法師パーティーの一撃。
無数にいる冒険者を統率する者などいるはずもなく、功績欲しさに周りの忠告を無視し、一等級魔法をイーラに浴びせる。
「おい、なんだよありゃ……」
体に巻き付けていた頭をもたげたイーラの顔が、みるみる醜悪なものへと変わってゆく。
アイギスの竜程度なら、一撃で致命傷を与えられる一等級魔法を浴びたというのに、その傷は大したことはなく、そのうえ、その傷はみるみる塞がってゆく。
血のように赤黒い、鎧のような表皮は、さらに赤みと硬さを増し、金属が弾けるような音を発する。
イーラの咆哮は島全体に響き渡り、冒険者全員がそれを戦闘の開始と受け取った。
「何をしている、魔法師は早く次の魔法の準備をしろッ」
「お前こそイーラの動きを止めろよッ! 何のための接近特化なんだッ」
あちこちで冒険者の怒号が飛び交い、連携が取れていない、各自バラバラの攻撃が始まる。
魔法師たちは相殺する属性でも構わず使い、イーラに到達する前に威力が弱まり、本来の効果さえ見込めない。
剣士は実力に差がある者も前へ出るため、互いに干渉しあい、足を引っ張り合うことになり、イーラの攻撃を食らう的となるだけだった。
イーラの前足の一撃は一度に数十もの冒険者を押し潰し、原型を留めないミンチ状になるまで踏み潰された肉片が幾重にも重なる。
残ったわずかばかりの冒険者は、それでも斬りかかり、魔法を放ち、それなりの傷を負わせる。だが、それすらも、イーラは凄まじい自己治癒能力で回復させた。
それは、冒険者たちの心を折るには十分すぎるものだった。
この光景を前にして、誰よりも怯えている者がいた。
冒険者でも何でもない、ただの貴族にして、場違いの者。
――――リューク・ラウバンドルである。
「これは、どういうことだ……僕の計算じゃ、これだけの戦力が集まれば、もっと傷を負わせることができるはずだったのに……あんな速度で回復するなんて聞いてないぞ」
リューク・ラウバンドルは、目の前で起こっていることに全身の震えが止まらず、自然と後退をはじめていた。
残った冒険者からは戦意が失われ、絶望という二文字を前に、一部には死を受け入れている者さえいたからだ。
「こんなの勝てっこない……ただの虐殺だ……悪魔じゃないか……」
後退るリューク・ラウバンドルの背に、奴隷の女たちがぶつかる。
「そうだ、僕を守れ! このままじゃ全滅してしまう」
命令された奴隷に、拒否することは許されない。
涙目になりながら、六人の女奴隷がイーラへ向かって突進してゆく。
その姿を前に、リューク・ラウバンドルは逃げるようにイーラに背を向けた。だが、そのすぐ後ろに、従者の男女が付いてくることにその足を止めた。
「何をしてるんだ、お前たちも行け。僕を守るのが使命だろうがッ!」
「リューク様、それはあんまりですわ。私が残ったところで、何の意味もありませんもの」
「俺は金で雇われただけだ。死ぬのがわかっていて突っ込むほどバカじゃない。金ならあとで返せばいいだろ」
他にも逃げ出しはじめる者が現れるが、イーラはそんな冒険者を逃すほど甘くはなかった。
そこからは、まさに地獄絵図。
二〇〇年ぶりに荒れ狂うイーラは、それまで溜めていた鬱憤を全て解き放つように、目に映る人間を手当たり次第殺すための酸を、口から大量に、雨のように撒き散らした。
「ギャァアアアアッ!」
あちこちから、ただの絶叫だけが発せられる。
それは鋼鉄製の武具を数秒で溶かすような強力なもので、火口から散開して逃げ出していた冒険者にも容赦なく襲いかかった。
「これは何だ……」
リューク・ラウバンドルは自分の鎧を溶かし始めた液体に触れる。
「痛い、痛いッ、指が溶けるッ、どうにかしろよぉおおおッ!」
イーラから一番離れ、背を向け逃げていたリューク・ラウバンドルとその従者は、酸の攻撃に気づくのが最も遅かった。
それに気づいた時には既に手遅れとなり、降り注いだ酸により、みるみる体が溶け出した。
「どうして私がこんな所で死ななきゃいけないのよ! こんなはずじゃなかったのに! 痛い痛い痛いッ! 回復薬、回復薬をかければ」
女は背負っていた袋を下ろし、回復薬を取り出そうと弄り始める。だが、そのその手をリューク・ラウバンドルが掴んだ。
「それは僕のものだッ! 早くこちらに渡せッ」
リューク・ラウバンドルと従者の女が、回復薬の入った袋を取り合いしていると、二人の腕を、従者の男が斬り落とした。
「あぎゃぁあああッ」
「私の腕が、腕があぁぁあああああああッ……」
リューク・ラウバンドルと従者の女の絶叫が響くが、男はそんなものなど聞こえないかのように、腕とともに地面に落ちた袋を漁り、回復薬を探しだした。
中には回復薬以外にも、食料やら金目のものやら入っているが、そんなものには目もくれない。
「あった」
そう口にした男の顔は、この世の楽園を見つけたように輝いていたが、それもすぐに消え去った。男が手にした回復薬が入った小瓶を、リューク・ラウバンドルが蹴り上げ、儚くも砕け散ったからだ。
「お前だけ助からせるわけないだろッ。僕をこんな目に遭わせ――」
そこまで言ったリューク・ラウバンドルの上顎から横一閃、振り抜かれた剣によって綺麗に切断された頭部が地面へ転がった。
男は動かなくなったリューク・ラウバンドルの頭を、思い切り蹴り飛ばし息を荒くする。
「糞デブガァアアアッ! てめえのせいで回復薬がなくなっちまったじゃねえかよ」
叫ぶ男の頭上に、今度は大量の酸が降り注ぎ、絶叫とともにその体も動かなくなった。
◆ ◇ ◆
ウォルスたち一行は、冒険者たちと戦う意思は最初からなかった。
ゆえに、山へ向かったのは冒険者が出発してから、かなりの時間が経過してからだった。
それでも、暴れだしたイーラは視界に入り、冒険者たちが何もできず、ただ殺されてゆくのだけは魔力の消失で確認できた。
「なんだ、あの酸は……」
ウォルスは自分の知識にないイーラの攻撃に、思わずフィーエルに目を向けていた。
フィーエルに確認をした時には、こんな話は出なかったはずだと。
「私も知りません。おそらく誰も知らないと思います。ですから、あのように冒険者が瓦解しているのではないかと」
フィーエルの言葉を補強するように、すぐさまネイヤが続ける。
「あの酸は厄介ですね……私も文献で確認した限りでは、イーラにあのような力はなかったと思います」
フィーエル、ネイヤともに、イーラの力を否定していることに、ウォルスの眉間にシワがよる。
「俺だけじゃないのか……」
「当然でしょ。だから冒険者は何もできず、あんな無様にやられてるんだから。それよりどうするのよ、あんな酸の雨を吐かれたら近づけないわよ」
イーラを凝視し、その挙動をじっくりと確認するウォルス。
その口角が、何も問題はないと言いたげに持ち上がる。
「あれは魔法でも何でもない、物理的なものだ。出す動作は大きいし、魔法で遮断もできるだろう。何より連射はできないようだ。二発目の量が明らかに少ない」
「それじゃあ、今やるのがベストってことね」
「そういうことだ。それに、動き出したヤツをこのまま放置すれば、近隣の国は壊滅するだろう」
そうなれば、大国であるセオリニング王国も無事では済まない。
今あの国に何かあれば、好機と捉え、攻める国も出てくるだろう。
それは俺たちに不利になり、偽アルスにとっては動きやすい環境になるということだ。
それだけは回避しておきたい。
「作戦の変更はない。ネイヤは俺と、フィーエルはセレティアから離れず、後方から魔法で攻撃だ」
言葉を発せず、首を縦に振るネイヤとフィーエルだが、セレティアは不満な顔をウォルスへと向ける。
「それなんだけど、わたしは攻撃魔法なんてないわよ」
「セレティアは攻撃しなくていい。いざという時のために魔力を温存しておいてくれ。防御魔法は完璧だろ?」
「当然よ。防御魔法だけなら、フィーエルよりも上の自信はあるわよ」
ウォルスは半信半疑になった顔を、セレティアから逸して作ると、ネイヤとともにイーラへ向かって走りだした。