93話 アーサーとレオナルド
一歩踏み出したアーサーは、部屋の中を見て大仰にため息をつく。
「二人とも、よく来たな!」
立ち止まったアーサーの後ろからひょこっと顔を出したレナリアは、そこに、本来ここにはいないはずの相手を見て目を見開く。
「レオナルド……どうして君がいるんだ」
「予想はしていただろう?」
艶のある紫がかったマホガニーのテーブルの上で両手を組んでいるのは、王太子レオナルドだ。
いたずらが成功した子供のようにニヤリと笑っている。
その横には申し訳なさそうにしているセシルがいた。
きっと、レオナルド殿下の暴走を止められなかったのね……。
仕方がないわと諦めたレナリアは、アーサーの袖を引いて食堂の中へ入ろうとうながした。
用意された席につくと、前回のようにアンナは給仕の手伝いに行ってしまった。アンナが持っていたクッキーの籠は、アーサーが受け取った。
それを目ざとく見つけたレオナルドだが、レナリアの手作りだと聞くと途端に興味をなくす。
まだ練習中で試食するだけだと言って、アーサーが何度も釘を刺したのが良かったのだろう。
レオナルドの想像よりももっと上手にできていると主張したかったが、食べたいと言われても困るのでレナリアは沈黙を貫いた。
(フィル、チャム、手作りクッキーを食べるのは後になってしまうかもしれないわ。ごめんなさいね)
「えー。チャム楽しみにしてたのにー」
(まだ部屋に残りのクッキーがあるから、それまで我慢して)
「ほんとはヤダけどー。チャムがまんするぅ」
しりすぼみになる言葉に、チャムの本心が現れている。
それを見たフィルが呆れてテーブルの上を指差した。
「別のお菓子を食べればいいだろ」
縁がレースのようになっている大きな白い丸皿の上には、綺麗な紫色のスミレの砂糖漬けが載っている。
中央にこんもりと盛られている小さなスミレの花はそのまま砂糖漬けになっているが、その周りを縁取るピンクや花弁の真ん中が白い種類のスミレは、花びらを広げて飾られていた。
「んん? お菓子―? お花じゃなくてー? あ、お花の匂いだけじゃなくてお砂糖の匂いもするー」
すぐに飛んでいこうとするチャムのしっぽを、レナリアが慌ててつかむ。
「待って!」
思わず声を出してしまうと、アーサーだけでなくレオナルドたちもレナリアに注目した。
「どうしたんだい」
アーサーが振り返って、何かをつかんでいるレナリアの手をちらりと見て何事か悟ったような表情を浮かべる。
フィルの子分としてレナリアについているサラマンダーの子供チャムが、とても食い意地の張っている精霊だというのは聞いている。
アーサーにはチャムの姿は見えず言葉も聞こえない。だがその前のフィルの一言で、なんとなく事情を察した。
おそらくレナリアがつかんでいるのは、お菓子に突進しようとしたチャムのしっぽなのだろう。
そしてその推測は見事に正解していた。だからアーサーはわざとレオナルドの注意を自分に向ける。
「大丈夫だよ、レナリア。僕がレオナルドの暴挙は阻止するからね」
「私がいつ暴挙などを――」
「レナリアに、しましたよね」
底冷えのする笑みを向けられて、レオナルドの喉がヒクリと変な音を立てる。
レオナルドが初対面でいきなりレナリアの顔を覗きこんだのは、確かに暴挙だ。しかもこの個室での出来事だ。
あの後、こってりアーサーに絞られたレオナルドは、もう決してレナリアにはちょっかいをかけないようにしようと誓った。