「既にある」が、ようやく完璧にわかったような気がしています。
おしっこをしようと思った時点で、もうトイレでおしっこをしている、水を飲もうと思った時点で、もう水を飲んでいるという例えが、私には一番わかりやすいです。
何故ならそこに充足があることを知っているから、あると知っているから、欲しいと思っていないんです。
全ての充足は、私の足元に既にあるのだから、安心・安全の領域にいれば、それは勝手に起きてくるということだと思います。
探すかぎり見つからない、探すということは、「ない」が前提だからです。
おしっこしたいと思った時点では、膀胱の中には、まだおしっこがいっぱいですよね。
「おしっこをしたい」というのでは、願望になってしまうと思うので、「おしっこをしよう」という表現にしました。
たしかに、膀胱にはまだ尿がいっぱいでしょうが、おしっこは「できる」とわかっているので、安心してトイレに行きますよね。
108さんも言っていますが、結果が先で、原因、プロセスが起きてきます。
トイレに行くという作業は、プロセスであり、結果から逆再生しているだけなんです。
理解するまでに、なにか心掛けたこととか、実践したことはありますか?
「既にある」は、もう理解できたので、何かを欲しいと思う気持ちはなくなりましたが、心配や不快な気持ちなどは、長年の習性で、まだまだクレンジングが必要ですが、わりと簡単な方法を、自分なりに見つけました。
その方法は、まず、布団をかぶって、外側の自分と内側の自分を作ります。
そうすると、胎児になった気分になります。
例えば、支払いのことで、お金の心配をしていたとしたら、それは外側の自分が経験してることで、内側の本当の私は、安心・安全の領域にいる、みたいな感じになります。
108さんも、自分の悩みを「他人事だと思ってみる」というようなことを言っていました。
本当の私は、妻でもなければ、母でもない、女でさえもありません。
なんの悩みもなく、外側の自分の願望もなくなり、本当の私にとっての充足が見えてきます。
というより、「起きてくる」という感じです。
108式成功体験談・その2
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/10211/1288174368/
736: もぎりの名無しさん :2011/02/11(金) 14:36:47 ID:RLbN5i6o0