建物と人 : [箱崎九大記憶保存会]
あかし果物店
大学通りに面する、大きな赤い看板が目印の小さなアーケード街「はとマーケット」。その一角の「あかし果物店」には、いつでも色鮮やかな果物と野菜が並んでいます。今回は、50年以上この果物店を営んでこられた明石ユリ子さんにお話をうかがいました。
「はとマーケット」の「あかし果物店」
「あかし果物店」のはじまりは1957年、ユリ子さんの夫のご両親が開業されました。当時はまだ「はとマーケット」はなく、民家の軒先で営業をされていたそうです。ユリ子さんがご結婚されてお店に入るようになった頃には、商店が集まるアーケードとして「はとマーケット」が整備され、「あかし果物店」は大学通りに面した一角に位置するようになりました。
今でこそ大学通り側の3軒のみの営業で、裏路地に抜けるアーケードの奥手には空き店舗が目立ちますが、当時は毎日が大賑わいでした。
昔はですね、ここの通りがお客さんでいっぱいで通られなかったくらい。
――にぎやかだったんですね。
お母さんが子供の手を二人三人とつないで、買い物かごを持って歩いてありました。ここいらでパン屋さんもあったし、本屋さんもあった。お店屋さんが何軒も。
――必要なもの何でも揃うような。
この通りでも、医療品屋さんからなんから、いろんなお店がありましたよ。香椎の方からここまで買い物に来てあったりね。バスに乗って、そこの網屋町のバス停で降りて。土井とか香椎から来てありました。…本当に、お漬物屋さんもお惣菜屋さんもあって。
そんな活気ある箱崎の風景のなかで、ユリ子さんはご家族でお店に立ちながら子育てを経験してきました。箱崎で過ごした50年間は「無我夢中」で「あっという間」だったと、ユリ子さんは振り返ります。
無我夢中で来たらあっという間に50年ですよ。
――お店のことをですか?
そう。子どもたちも学校にやらないかん。それもね、会社勤めしてあるのとも違うし。
――お母さんも店頭に出ていらっしゃったんですか。
そうです。幼稚園から小学校中学校、高校大学と、子どもが成長していくまで長いこと。今の若い人もみんな一生懸命でね、偉いなあと思います。
――お母さんの子育てされてた時代(1970-80年代)は、専業主婦の方が多かったですかね?
多かったですね。私は一回、言ったことがありますよ。「買い物カゴ持って、子どもの手を引いて、そんなして買い物に行くともいいねえ」って、主人に。ゆっくり買い物してみたいね、って。ほんとにバタバタして、ゆっくりここらを買い物したこともなかった。…まあ、それも良かったって今は思うけど…それでも専業主婦が羨ましかったかな、あの頃は。品定めしながら、ゆっくり買い物…あれは味わったことがないからですね。
――ご主人と一緒にお店に立って、営んでおられたんですね。
そうね、うちは喧嘩しながらね(笑)。必死で売らないかんし。そげんしてバタバタしよった頃は、若さがあって、頑張るしかなかったとよね。
変化する街について
50年以上、「はとマーケット」の入り口から大学通りの往来を見つめてこられたユリ子さんは、そこを行き交う人々の移り変わりから街の変化を教えてくださいました。
――50年住んでると、街の変化は目に見えて分かりますか。
街も変わったし。…昔はどこもでしたけど、九大生たちが、全学連やらで。
――1960年代、70年代ですね。
私も当時は若くて、「また来よるね」とか言って。すぐその辺を通ってたんですよ、反対だとか叫んで、そんな集団がしょっちゅう。学生さんたちもあの頃は元気でね。今とは元気が全然、違うね。みるみるお年寄りの姿が多くなった。…お年寄りがね、自分もそうだけど、「あっちもこっちもお年寄りばっかやね」て言うてですね。
――若い人ももちろん住んでるはずなんですけどね。
昔は、九大があったころは、昼間は職員さんたちもね、買い物に出てこらっしゃって。お昼休みやらちょっと出て来てね。学生ももちろんうろうろ。そういうことがあったけどね。今はもう、パタッと止みましたね。…九大の新しい校舎のほう、伊都の方に学生さんが行ってあるからねやっぱり。だんだんと人が集まらんしね。
車を運転するのは「性格的にダメ」というユリ子さんですが、以前は自転車に乗って、九大構内まで配達に来てくださることもあったそうです。
――学生さんも買い物には来てましたか?
そうですね。それに、九大の中にも配達してましたよ。
――生協とかに?
いや、生協じゃなくてね、図書館とか本部とか、注文を受けて。あのレンガ造りの九大の本部ね。それに応用力学の教室は何回も、夏はスイカを持ってってましたね。そのころはまだ主人の母がおるころやったけん、「分からんやったらもう、正門のところにおる守衛のおじさんに聞きなさい」って言うてから。
――果物は、飲み会の時なんかに頼むんでしょうかね?
どうなんですかね?おやつとかだったり…景気が良かったじゃないですか、やっぱり。当時は何回も行ってましたよ。
次第に時代は移り変わり、お店をめぐる状況も、そこに集う人々も変化を続けています。
――(はとマーケットの)奥の方のお店が閉まっていったのは、どうしてだったんでしょう?
私の義母と同年代の人たちがお店をされていて、跡継ぎがなくて、すたれる形で。それと周りにスーパーなんかができてですね。スーパーができだしたから、だんだんと客足が減ってですね。10年単位くらいで世代も交代して、お客さんの層も変わってきましたね。
――今の私たちの世代なんかは、こういう個人商店で買い物する経験はないかもしれないですね。
若い方で買われるのは外国の方ばっかりですね。
――結構アジアの留学生とかですか?
そうそう、就労の人や、ネパール人とか中国から来た人とかですね。近辺にアパートやマンションを借りてある人が多いじゃないですか、だからですね。お昼ご飯を走りこんで買いに来たりですね。最近はほとんどそういう外国人の方がいらっしゃいます。日本人かな?と思って、話してみると言葉で外国の方だと分かって。でも本当、皆さん言葉を覚えるのが早くてすごいもんね。
これからについて
アーケード中にお店が並んで賑やかだったかつての様子を偲ばせながら、「はとマーケット」は時代の変化にともなって姿を変えつつ今に続いています。ユリ子さんも「もうちょっと頑張らな」と、まだまだ続く現役のお姿を見せてくださいました。
――50年前嫁いで来られたということは、今は70歳あたりですか。
もうそのくらいです。50年やって来て。定年退職やらある方はゆっくりされろうけど、商売人はねやっぱ、個人経営はなかなかね。90歳でも店頭に立ってある方もいらっしゃいますしね。お元気でね。そういう人やらを頭の隅にちょっと置いて、そういう人を目指して頑張ろうかと思ってですね。
――勝手なお願いで言えば、ずっといてほしいです。私たちが卒業して帰ってきたときに変わらず続いているものがあると…
「まだしよんしゃった」って思われるわけですよね(笑)
「あかし果物店」は2017年で創業60年を迎え、現在はユリ子さんの息子さんが三代目として経営を担っていらっしゃいます。
冊子「箱崎」(2018年4月)より
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