第72話 奴隷、ネイヤに手を焼く
ベルポソイ火山は北の大陸、セオリニング王国の西の海に点在する島の一つにある火山だ。
草木の生えない岩石ばかりの土地には、生物らしい生物もいない、寂しい世界が広がっている。
船から見えるその島の岸壁には、大型船が何隻も停泊し、既に大量の冒険者が上陸しているのが窺えた。
「フィーエル、確認しておくが、イーラの習性はその名を冠としている凶暴性だけで間違いないな」
甲板で二人だけとなったフィーエルに、最後の確認をする。
俺が知るイーラの習性、能力、それは象徴となっている憤怒からくる凶暴性しかない。
だがもしも、俺が知る能力以外のものを、イーラが持っていた場合、想定よりも厳しい戦いになってしまう。
「この二〇〇年は、誰も手を出してませんから、そんな力は確認されていません。体表の硬度、体力の異常性だけかと。もし、この二〇〇年の間に、違う能力を身につけていたら厄介だとは思いますけど」
「俺も二〇〇年の間に手を出した奴は知らないから、これに関しても違いはないな」
フィーエルと目が合うと、お互い思わず吹き出してしまう。
事あるごとに、こうやって確認しあうのが滑稽に思えてならない。
「もうすぐ到着だと、セレティアとネイヤに知らせてきてくれ」
「わかりました」
船室に入ってゆくフィーエルの後ろ姿を眺め、誰もいなくなった甲板で一人、ベルポソイ火山から漂ってくる風を魔素変換する。
大陸のものより淀んだ魔素は予想より体への負担が大きく、セレティアに魔素変換はなるべく使わせないほうがいい、という判断に至る。
「なんなのよあれ、尋常じゃない数の冒険者が来てるんじゃないの」
甲板に出てきたセレティアの第一声は、なぜか嬉しそうなものだった。
俺の聞き間違いかと思ったが、やはりその表情は笑っている。
「俺の勘違いかもしれないが、もしかして、戦わなくていいと思ってるのか?」
「だって、あんなにいるなら大丈夫でしょ。それに偉業にならないんじゃ、戦うこと自体無駄になるでしょう」
セレティアの言葉を後ろで聞いていたネイヤが、ベルポソイ火山へと顔を向ける。
その表情は険しく、俺が言いたいことをわかっていそうな感じだ。
「セレティア様、島にいる冒険者の集団に、少なくとも剣士として優れた者はほとんどいないように思われます。そういう気配が感じられません」
「こんな距離からわかるの!?」
「何となくですが……」
振り返ったセレティアの表情はかなり焦ったもので、俺を責めるような目をしている。
「ネイヤに魔力感知を教えたんじゃ……」
「ネイヤに使えるわけがないだろ。ネイヤが感じ取っているのは魔力じゃなく、剣気そのものだ」
優れた者がほとんどいないとは言っているが、それは少し語弊がある。
俺が確認しても、実際にはそれなりの数の上位冒険者はいるのは確実だ。
ネイヤは今の自分を基準にしか見ていないため、普通の上位冒険者ですら、中位冒険者以下に見えているのかもしれない。
「わからないのはわたしだけじゃない……いい加減、魔力感知を教えてくれてもいいでしょ」
「ほとんどの魔法師は、教えてもらわなくても使えるようになるらしいんだが。そうか、セレティアは無理なのか……」と俺は嘘を本当のことのように言い、セレティアを挑発してみた。
鼻息を荒くするセレティアはただ一言、いいわよ、自力でやってあげるわよ、と言ってベルポソイ火山を睨みつけた。
◆ ◇ ◆
海賊船の時と同様、船は海岸までは寄らず、ある程度沖合で停泊し、俺たちはそこから小舟に乗って移動することになった。
特殊な形状のエルフの船は目立つため、念には念を入れた形だ。
岸には腕に自信がありそうな冒険者が数百集まり、パーティーごとに牽制しあっている。
高価な鎧を身に纏った者、珍しい魔導具を身につけている者、ひと目で上位冒険者だとわかる者から、見た目からはわからず、実力を隠している者まで様々だ。
「ウォルス様、目の前の冒険者の数と質で、どこまでイーラと渡り合えるのでしょうか?」
ネイヤは自分の実力より下と思われる冒険者へ、厳しい目を向ける。
これは正しい疑問であり、誰もが不安に思い身を引き締めるべきことではある。
しかし、目の前の冒険者たちは、これだけ集まった上位冒険者の数を前に、油断している節がある。
「剣士にそこまで優れた者はいないようだが、魔法師はそこそこ使えるレベルの者は集まっているからな。戦術さえきっちり整えれば、そこそこいい戦いはできるとは思う」
倒せる戦力かと問われれば、奇跡が起きないと倒すことは叶わないだろう。
それでも、戦い方によっては、その奇跡を起こすことも可能かもしれない。
問題はその奇跡を起こすための戦術であり、誰が統率するのか、それが全てを決定づけると言ってもいい。
その肝心の戦術について、目に見える範囲では、冒険者が一つになっている様子はなく、個々のパーティーが独立して集まっているだけで、烏合の衆としか表現のしようがない。
「そうですか、そんなレベルの魔法師がいるとは気づけませんでした。私もまだまだということですね」
「剣士も何人かは、それなりに使えるレベルの者が集まっているようだぞ。ネイヤは実力が上がっているからな、自分の実力を基準にしすぎだ」
ネイヤは改めて、冒険者の集団に目を向ける。
そして眉間にシワを寄せて、一度ため息を吐いた。
「私はイーラ討伐に関して、その実力があるかどうかが気になるのです。ウォルス様の邪魔になるようなら、排除も厭わないつもりです」
「そこまで気にしなくてもいい。邪魔になるレベルというのも、それなりに実力は必要だからな。別に他の冒険者の命まで気にするつもりはない」
ネイヤが、わかった、という表情を見せていると、冒険者の集団から一人、剣士らしき人物がこちらに近づいてくる。
年齢はネイヤより少し上のように見え、敵意は感じられない。
その人物は傷だらけの鎧を着た上位冒険者で、ごく自然にネイヤの肩に手を置いた。
「久しぶりだなネイヤ。お前の素顔を見るのは初めてか」
振り返ったネイヤは一瞬、鬱陶しげな目でその男を見つめた。
「フロイスですか。三年ぶりになりますね」
フロイスはネイヤの顔をじっくりと観察し、自分の顎をさすりながら一言、ほぉ、と一人納得している。
「鎧と声でわかったが、まさかこんなに美人だったとはな。どこか小さな国に入ったと聞いたが、どうだ、今からでも遅くはない、俺の所に来ないか」
フロイスの目は、性的なものを含んでネイヤを見つめているのが、嫌でもわかる。
「笑えない冗談ですね。私は弱い者に興味はありません」
「なんだと?」
一触即発の事態なるかと思ったが、ネイヤが一気に剣気を解放することでそれは回避された。
放たれた剣気は出会った頃のものとは比ぶべくもなく、圧倒的なものがある。
ネイヤの剣気に気圧されたフロイスの顔からは血の気がなくなり、さきほどまでの余裕は一瞬にしてどこかへ消し飛んでいた。
「邪魔です、私の前から消えてください」
明らかに萎縮しているフロイスはゆっくり後ずさり、笑えない冗談だったな、悪かった、と平謝りすると、背を見せ一目散に冒険者の中へ消えていった。
その姿に、ネイヤは冷ややかな瞳を向け、俺へと振り返った。
「あの者も、それなりに名が通っていた冒険者だったのですが、鍛錬を怠っていたのでしょう。成長が見られません」
フロイスは自業自得だと思うが、ネイヤの理想も高すぎてこちらが引くレベルだ。
これは将来、ネイヤの伴侶となる男も苦労するだろうな、と今からご愁傷様と思わずにはいられない。
「ネイヤは魔力循環をせず、あのクラスの強さを手にしてたからな、そりゃあ、今のネイヤと比べるのは可哀相というものだぞ」
「全てはウォルス様のご指導によるものです。私はただ、それに従ったまでのことですから」
謙遜で言っているのならいいのだが、ネイヤを見る限り、謙遜している気配は微塵も感じない。
「いくら何でも、俺が鍛えれば誰でも強くなれるわけじゃないからな。ネイヤだから俺の鍛錬についてこられたんだぞ」
「ありがとうございます。お世辞でもそう言っていただけることに、胸が張り裂けそうで言葉がでてまいりません。ウォルス様の下につくことを選んだ、あの時の自分を褒めたい気分です」
なぜか俺が持ち上げられた……。
ネイヤの器は、俺の想像を遥かに超えているようだ。