86話 フィルのいたずら
レナリアは二人の姿に思わず見入ってしまった。
その視線に気づいたロイドとアンジェが、不機嫌そうに見返してくる。
それがまた一層笑いを誘うが、レナリアはまだ二人に対しての怒りをなくしてはいない。
笑ってはいけない。……そうは思うのだが、二人の様子を見ると吹き出しそうになってしまう。
それは他の生徒たちも同じだ。
今までの緊迫した空気が、別の意味で緊迫している。
最初に、エリックが耐えきれずに噴き出した。それが引き金になって、笑い声が連鎖する。
「なんだ、あれ! ひでぇな」
ロイドとアンジェは何がおかしいのかと顔を見合わせ、お互いの頭を見た。
「きゃーっ、何これ!」
アンジェが頭を触って、そこにチリチリになって焦げた髪の毛しかないのに気づいて悲鳴を上げる。
ロイドは一見冷静に回復魔法を唱えるが、頭髪に変化はない。
「くそっ。どうなっているっ」
魔法杖を振り回しながら何度も呪文を唱えるが、髪の毛は焦げたままだ。
「司教っ、回復魔法を!」
ロイドはおろおろとするだけの司教に命令をする。だが司教は申し訳なさそうに頭を下げた。
「あの……残念ながら、毛髪には回復魔法は効きません」
深々と頭を下げる司教の頭頂部には、髪の毛がなかった。
回復魔法は生体にのみ作用する。だから髪の毛や伸びた爪には回復魔法が効かないのだ。
もし効き目があれば、司教の髪の毛はふさふさだっただろう。
「へえ、意外と
フィルは上機嫌でロイドとアンジェとダニエルの三人の周りを飛び回る。
やがて戻ってきたフィルに、レナリアは何をしたのか聞いてみた。
「こっそり風のシールドを張ったから、もう魔素を集められないよ。しばらく魔法を使えない」
そう言ってフィルはいたずらが成功したかのようにくすくすと笑う。
レナリアはびっくりしたが、ロイドたちのせいでラシェが火だるまになったのだから、フィルが仕返しをしたい気持ちも分かる。
ずっと魔法が使えないわけではないのだから、この機会によく反省して欲しいものだ。
「もうっ。誰よ、こんなことしたのっ!」
アンジェは、手で頭を押さえながら金切り声を上げて周りを見回す。だがここにいるのは風魔法クラスの生徒と水魔法クラスのものだけだ。
マーカスは紺色の髪をかき上げながら、冷たい目で一人の生徒を見つめる。
「この中で火魔法を使えるのは、ただ一人だが……」
名指しはされなかったものの、自分が犯人だとでも言わんばかりの周囲の目に、ダニエル・マクロイは後ずさりながら弁解をする。
「待ってくれ。僕がそんなことをするわけがないだろう? ロイド、君は信じてくれるよね?」
そもそもマクロイの家は教会派に属している。だからこそ、年下とはいえ教皇の甥であるロイドの腰巾着をしていたのだ。
今日も言われるままにリッグルに火魔法を放ったが、それだけだ。
断じてロイドたちには何もしていない。
「だがマーカス先生の言う通り、火魔法を使えるのはお前だけだ」
だがロイドはそれを信じていないようで、怒りをこめた目でダニエルを睨みつける。
「でも本当に僕は何もしていない!」
「……どうだか」
ロイドは疑いを隠さず、憎々しげにダニエルを見る。
疑われてショックを受けるダニエルに追い打ちをかけるように、マーカスの低い声が続く。
「いずれにせよ、リッグルに火魔法を放ったのは事実だ。吸血虫がいたかどうかの検証は必要だが、詳しく話を聞く必要があるから一緒に来なさい。ポール先生、申し訳ないが、水魔法クラスの生徒たちがリッグルを選ぶのを見てもらえないだろうか」
「ええ。構いませんよ。うちのクラスはもう選び終わりましたし」
さすがにこれだけの事態を引き起こして無罪放免とはいかない。
霧の聖女の件など、マーカスにはセシルやレナリアに聞きたいことがたくさんあるが、それは後でもいい。まずは学園長も交えて、ロイドたちの処罰を考えなければならない。
かといって水魔法クラスのリッグル選びを先延ばしにするわけにもいかない。
ポール先生ならば、安心して後を任せられる。
「ではロイド・クラフト、アンジェ・パーカー、ダニエル・マクロイ、私と一緒に来なさい」
「なんであたしも。あたしは全然関係ないじゃない。それよりこの髪の毛をどうにかしなくちゃ」
両手を頭に置いて隠しているアンジェだが、焦げた髪の毛は隠しきれていない。
「このまま退学になってもいいなら結構」
だがマーカスは無表情でアンジェを見下ろし、素っ気なく背を向ける。
アンジェは慌ててその後を追った。
ロイドもダニエルと距離を取りながら、アンジェに続く。
四人の姿が見えなくなると「はぁ」と誰からともなくため息がもれた。
レナリアは、立ち上がって泥だらけの制服を見下ろす。後で替えの制服をアンナに用意してもらわなくては。
「ラシェ……。大丈夫?」
心配そうに背中をなでるレナリアに、ラシェは大丈夫とでもいうように「クルゥ」と甘えたような声を出す。
いくら治ったとはいえ、火に包まれた痛みの記憶が消えるわけではない。
それでも寄り添ってくれるラシェの気持ちが嬉しかった。
「レナリアさんのリッグル、大丈夫?」
風魔法クラスのローズ・マイヤーが、心配そうに近づいてくる。
「ええ。心配してくれてありがとう」
レナリアの返事に、風魔法クラスの生徒たちが集まってくる。
「それにしてもびっくりしたぜ。霧の聖女なんて初めて聞いた」
エリックが「お前知ってた?」と伯爵家の出身であるランスに聞く。
「いや、初めて聞いた」
ランスはそう言ってセシルを見るが、セシルは王族らしい表情のうかがえない微笑みを浮かべるだけだ。
「凄かったよな。光がパーっとして、いつの間にかリッグルが元に戻ってた。やっぱりオリエンテーリングの時も、霧の聖女様が助けてくれたのかな」
アンジェを聖女として認めたくないエリックがそう言うと、風魔法クラスの生徒だけではなく、水魔法クラスの生徒も何人か同意して頷いた。
「本当にレナリアさんのリッグルが無事で良かったね。制服が汚れてしまったけど、一人だけで帰すわけにはいかないから、少し待っていてもらえるかな?」
ポール先生の言葉に、レナリアは頷く。
「侍女を呼んでもよろしいですか?」
少し離れたところには、レナリアの護衛騎士であるクラウスと侍女のアンナが控えている。
アンナはさきほどからレナリアの汚れをどうにかしたくて、ずっとこちらに来たそうにそわそわしていた。
だが基本的に授業中は従者が生徒の世話をすることは禁じられている。
だからポール先生の許可が出ると、すぐにレナリアの元へ走ってきた。アンナは「失礼いたします」と言って腕にかけていたバスケットから布を取り出すと、レナリアの制服についた泥を拭いていく。
そしてある程度の汚れを落とすと、礼をして戻っていった。
その間に水魔法クラスの生徒たちもリッグルを選んでいたようだ。
セシルも大柄で濃いオレンジ色の羽を持つリッグルを選んでいた。
満足げにたたずむセシルがふと見た先のレナリアと、視線が交差した。