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不景気でも楽観的に~松下幸之助に学ぶ危機克服の哲学

<PR>提供:産業交流展2020実行委員会

2020年12月25日 公開

PHP理念経営研究センター

うろたえず、何をなすべきかを考える

昭和11(1936)年1月、松下電器産業(現パナソニック)は、今でいう広報誌として『松下電器連盟店経営資料』を創刊した。その巻頭に掲載されていたのが、創業者・松下幸之助(以下、幸之助)が折々に従業員に話していた商売に関する考え方をまとめた「商売戦術三十カ条」である。その最後は、次の条文で締めくくられていた。

第三十条 商人には好況不況はない、何(いず)れにしても儲けねばならぬ。

実に力強い表明である。いったいいつから幸之助はこうした事業観を身に付けたのであろう。創業当時の幸之助は、好不況の波に一喜一憂する普通の経営者であった。ところが創業(大正7[1918]年)から10年ほど経ったころに以下のような思いに至ったと、後年述べている。

「考えてみれば、いつも好況ということもなければ、不況の連続ばかりということもないのが世の中だ。だから、景気のいい時はいい時として生かし、悪い時はまた悪い時として生かすべきだし、それは自分の考え方行き方次第でできるはずだ」(『Voice』昭和57[1982]年12月号)
40年後の昭和51(1976)年には、景気の低迷が長く続いていた不況期の過ごし方を記者に問われてこう話している。

「ぼくの考えでは、どんなに不景気の時にでも進出していく道がありますよ。むしろ不景気の時の方がおもしろいとさえいえる。気を引き締めて真剣になるから、道もみつかるんですな」(『30億』1976年7月号)
「実際問題としてはすぐによくなるわけではないけれども、しかし、よくなっていくんだということを前提として、ものを考えないといかん。景気の復興、発展の第一年とする、という気でやらないといかん。すべてについて、悲観的な見方をしない、むしろ楽観的な見方をしようというわけですわ」(1976年年頭、サンケイ新聞による取材)

対処法というレベルではなく、強がりでもなく、幸之助は断固たる経営哲学として、不況をとらえている。それは何によるのであろう。

昭和恐慌を切り抜ける

幸之助の不況時における行動を、「昭和恐慌時の危機」(昭和4~5=1929~30年)を例に見てみよう。

昭和2(1927)年の金融恐慌を乗り越え成長していた松下電器は、今度は昭和4(1929)年、ニューヨーク株式市場での株価大暴落に端を発した世界恐慌の荒波に襲われる。時の浜口雄幸内閣がデフレ政策をとっていたこともあり、産業界は二重の打撃を受け、企業の倒産は全国に広がって、街には失業者があふれた。

松下電器も販売が半分以下に急減、年末には倉庫が在庫であふれ、製品の置き場所もなくなった。本店・工場の建築後間もないこともあり、資金の余裕もない。幸之助を補佐する2人の幹部はやむなく、従業員半減という結論をもって、幸之助のところに相談に来た。ちょうど幸之助は、病気療養中で床に臥していた。

半身を起こし2人の報告を聞いて、幸之助は少し考えたあと、こう指示を出した。

「生産は即日半減する。しかし従業員は一人も解雇してはならぬ。その方法として、工場は半日勤務として生産を半減、従業員には日給の全額を支給して減収をしないようにする。その代わり店員は休日を廃して全力をあげストック品の販売に努力すること。半日分の工賃の損失は、長い目で見れば一時的の損失で問題ではない。松下電器は将来ますます拡張せんものと考えている時に、一時とはいえせっかく採用した従業員を解雇することは、経営信念のうえにみずから動揺をきたすことになる」(著書『私の行き方 考え方』)

幹部2人はこの決断を非常に喜び、即日全員を集めてこの方針を告げた。従業員の解雇など珍しくない時代に、幸之助の方針を聞いた従業員たちは快哉を叫んだという。この方策は功を奏して、わずか2か月ほどで倉庫に充満していたストックは解消され、半日操業を元に戻すのみならず、さらに全力をあげて生産に当たらなければならないほどの活況を呈するようになった。

以上が、昭和恐慌危機を切り抜けたときの状況である。

幸之助の「打開の道」は、やはり、販売が半減したから生産を半減した、だからそれに応じて従業員も半減させるという選択をしなかったことにあろう。このことについて、幸之助は著書『決断の経営』で、「結局、売れゆきが半減したから生産を半減しなければならない、生産を半減するためには従業員を半減しなければならない、というような考え方は、いわばふつうの考え方ではあるが、一面なにかにとらわれているものの考え方ではなかろうか」と述べている。

何にとらわれているというのだろう。

ここで一つの幸之助哲学を紹介しておきたい。経営者からの評価が最も高い著書に『実践経営哲学』があり、その一項に、「自然の理法に従うこと」がある。文中で幸之助はこう説明している。

「天地自然の理法に従った経営などというと、いかにもむずかしそうだが、たとえていえば『雨が降れば傘をさす』というようなことである。雨が降ってきたら傘をさすというのは、だれでもやっているきわめて当然なことである。もしも、雨が降ってきても傘をささなければぬれてしまう。これまた当然のことである」

つまりこの考え方によれば、幸之助が従業員もまた半減すべきという考え方が何かにとらわれているというのは、自然の理法に即していない何かがあったのであろう。それは、「売れない場合には売ることに全力をあげてとり組む、徹底して努力するというところに、歩むべき本当の道があるのではないか」(『決断の経営』)という当たり前の努力をおろそかにすることであるに違いない。

販売が上がれば採用増、下がれば解雇ということでは、従業員から会社が信頼されるわけがない。幸之助はその順序を間違えなかったのであり、もう一つ、この不況は一時的で長引かないという透徹した見方をしていたのであろう。そうでなければ、売れないからあきらめてしまうのも自然の理法ではないか。

ただし、自然の理法がどこに適用されるのかは、不況の状況によってまったく変わる。この場合に限っては、ということになる。

不況の際の自然の理法

幸之助の没後、不況への対処法として幸之助が生前語っていた内容が、「不況克服の心得十カ条」としてまとめられている。

不況克服の心得十カ条
第一条  「不況またよし」と考える
第二条  原点に返って、志を堅持する
第三条  再点検して、自らの力を正しくつかむ
第四条  不退転の覚悟で取り組む
第五条  旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る
第六条  時には一服して待つ
第七条  人材育成に力を注ぐ
第八条  「責任は我にあり」の自覚を
第九条  打てば響く組織づくりを進める
第十条  日頃からなすべきをなしておく

これは幸之助が自ら指を折って定めたものではない。不況に遭った際に、彼が想定する自然の理法として挙げていた選択肢を整理したものともいえる。

先の昭和恐慌時に当てはめれば、まず、松下電器は将来ますます拡張するものだという方針は、「第二条 原点に返って、志を堅持する」に当たる。また、半日操業にしながら日給の全額を支払うというのも無駄ではなく、「長い目で見れば一時的の損失で問題ではない」と判断したのは自社の実力を把握できていたからであり、「第三条 再点検して、自らの力を正しくつかむ」に相当する。

また、解雇が当たり前の時代にあって一人も解雇せず、在庫品を全員で販売するという方策は、「第五条 旧来の慣習、慣行、常識を打ち破る」ものである。そして何より、これらの対応は、療養中の病床にあっても、なんとしてもこの困難を突破するのだという強い思いに裏打ちされており、「第四条 不退転の覚悟で取り組む」姿勢の現れであろう。

自身の危機対応の哲学を醸成させること

幸之助はそもそも、経営上の危機(不況)に対して、「不景気は絶対あらしまへんのです。それは人間がつくっとるわけです。不景気は天然現象やないですよ。繁栄はあっても不況はないんです。好況があっても不況はないというのが私の信念です。皆さんに私がお願いしたいのは、心で不況をつくってはいかんということです」(昭和52[1977]年3月28日)と述べている。

大小の不況を経験する上で、不況を天然現象ととらえ、消極的な対処に終始していては強い経営はできない。幸之助はいつしか不況を日常のものとして理解し、その対処を自然の理法に即して対応した。危機に臨んで何を頼りに経営者は行動すべきか。

知識や行動フレームを否定はしない。けれども、何が危機に結びつくか予想もつかない今の社会で大切なのは、日常の現象に注意を払い、平素から深い思索のもと動じない、自らの危機対応の哲学を醸成させることではないだろうか。

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