76話 リッグルのおやつ
自分のリッグルを選んだら、まずは仲良くなるために人参を与える。
エレメンティアードまでの毎日、厩舎にきて人参を与えなければならないのだが、たまにそれをサボってレースの途中でリッグルから落とされる生徒が現れる。
だがエレメンティアードには生徒たちの親だけではなく来賓も多く観戦をしにくるから、そんな失態を犯した者は一生後ろ指を差されてしまう。
「だから絶対に人参をあげるのを忘れちゃダメだよ」
ポール先生の念押しに、レナリアたちは大きく頷いた。
レナリアが選んだリッグルは端っこのほうが好きなのか、群れから離れたところに行きたがる。
だがレナリアにとってはフィルやチャムと、普通に話ができるから都合がいい。
飼育員から人参を受け取ったレナリアは、白いリッグルと共に、牧場の端のほうに移動していた。
おそるおそる人参を口元に持っていくと、リッグルの長いまつ毛に囲まれた黒い瞳がじっとレナリアを見つめる。
まるで「食べていいの?」と聞いているかのようだ。
「ラシェ。遠慮しないでどうぞ」
レナリアが人参を差し出すと、ラシェはパクっと人参を咥え、もぐもぐと咀嚼する。
「リッグルたちにとって人参ってさ、ボクたちがお菓子を食べるようなものなんだよね」
頭の後ろで腕を組んだフィルがパタパタとラシェの周りを飛ぶ。
ラシェにはフィルの姿が見えないのか、気にする様子はない。
「そうなの?」
「うん。別に食べなくても風の魔素さえあれば大丈夫。きっとさ、最初に誰かが人参をあげたのがきっかけで、人間を乗せるようになったんじゃない?」
「そんな理由で?」
レナリアはそう言って笑ったが、人参を食べているラシェを興味深そうに……というか、人参をじーっと見ている食いしん坊のチャムを見て、そういうこともあるかもしれないと納得する。
「チャム、人参はお菓子のように甘くないわよ」
「そーなのー?」
こんなにおいしそうに食べているのだから、きっと人参というのは凄くおいしい食べ物なのだろうと想像していたチャムは、びっくりしたように目を丸くする。
「ええ。食べたかったら今度人参のケーキを作ってもらいましょうね」
「わーい。やったー」
チャムは単純に喜んだが、フィルは固そうな人参がケーキになるというのが想像できないのか、本当においしいのかと疑わしそうな顔になる。フワフワのケーキの中に、人参がゴロゴロしていたら、おいしくなさそうだ。
その表情に気がついたレナリアは「食べたらきっとフィルも好きになるわ」と微笑んだ。
シェリダンの本邸に勤める料理長は、小さかったレナリアが人参を嫌がって食べないのを聞いて、すりおろした人参を使ったケーキを作ってくれた。
それから人参が好きになったのだが、きっとレナリアと一緒に学園に来てくれた料理人に頼めば、同じ味のケーキがたべられるだろう。フィルも気にいってくれるはずだ。
その間に人参を食べ切ったラシェは、もっとちょうだいというようにレナリアに体を寄せた。
「おいしいかしら? もっと食べてね」
再び人参を口元に近づけると、ラシェはすぐに口を開ける。
レナリアはその様子を見て、ちょっとチャムに似ているわと思った。
微笑むレナリアに寄り添う、白いリッグル。
そこへ雲間から一筋の光が差しこんだ。
光の輪の中でレナリアの金の髪とリッグルの銀に光るたてがみが、まるでそれ自体が内から光を放っているかのように輝いている。
まるでそこだけが、しつらえられた舞台の上であるかのように、現実味のない幻想的な光景であった。
ほう、と思わずため息をついたのは誰だったか。
その場にいたもの全ての視線を集めていたレナリアは、ふと何かに気づいたように顔を上げる。
レナリア以外には聞こえなかったが、フィルの羽がブブブブと警戒するような音を立てていた。
「どうしたの、フィル?」
「うげー。あいつが来た」
フィルはそう言って牧場の入り口を見る。
そこには白いひげをたくわえた神父とポール先生がいる。背中を向けているが、誰かと話しているようだ。
「もしかして……」
神父が体を動かすと、その向こうにピンクゴールドの髪色の生徒が見えた。
アンジェ・パーカーだ。
アンジェはレナリアを見ると興奮したようにこちらを指差してきた。
その横でチカチカ点滅しているのはシャインだろうか。
「あ、シャインがチャムに気づいた。凄くびっくりしてる」
そういえば、シャインと……というか、アンジェと遭遇するのも久しぶりだ。
そもそも聖魔法は使える者が少なくて学年ごとのクラスが作られておらず、一年生から五年生までが一緒に学んでいる。風魔法クラスとは教室が離れているため、今まですれ違うことすらなかったのだ。
「じゃあチャム、手を振るねー。やっほー!」
フィルとシャインの関係を全然知らないチャムは、そう言って明るく笑いながら手を振る。
すると、シャインの光の瞬きが一層激しくなった。