55話 タンザナイトの瞳
翌日はレナリアの憂鬱な気持ちとは裏腹に、朝から快晴であった。眩しくなってきた日差しを手で遮って空を見上げると、真っ青な空にもこもことした雲が浮かんでいる。
その雲の一つが、昨日お腹を出して寝ていたチャムに似ていて、レナリアは思わずクスッと笑ってしまう。
「レナリア、何がおもしろいの?」
レナリアの右肩に座るフィルが、同じように空を見上げて首を傾げる。蜂蜜色のふわふわとした毛が、光を反射してきらきらと輝いている。
「見てフィル。あの雲、チャムに似ていると思わない?」
女子寮から食堂まではいくつもの渡り廊下を通らなくてはいけない。しかも対角線上になっていて一番離れているので、レナリアたちは近道としてコの字型の校舎の真ん中にある中庭を通って向かっていた。
「似てるかなぁ」
というフィルに、レナリアの反対側の肩に乗っているチャムが「似てるかなー」と同じように首を傾げる。
フィルとチャムの姿が見えず声も聞こえないアンナとクラウスは、レナリアの言葉からレナリアを守護しているサラマンダーは二つの山がつながっているような姿なのかと想像する。
赤い小さなトカゲだという話だったが、あの雲から連想されるトカゲというのはどんな姿をしているのだろう。コブが二つあるトカゲなのだろうか。
「似てるわよ。ほら、昨日の寝姿」
「ああ、確かに似てるね」
ぽっこりとふくらんだお腹を上にしてすぴすぴと寝ていたチャムは、どう見ても精霊には見えなかった。もっとも本物のトカゲはお腹を出して寝ないので、ただのトカゲにも見えないのだが。
「えー。チャムもっと可愛いもーん」
ぷくーっと頬をふくらますチャムは、しっぽをレナリアの肩にペチペチと叩きつける。どうやら抗議しているようだ。
「でも精霊って眠るのね。知らなかったわ」
「チャムはまだ子供だからね。体を休める時間が必要なんだよ」
本来であれば生まれたばかりのチャムは、大気に隠れて自分の属性の魔素を集めながら、ゆっくりと大きくなるはずだった。
それがレナリアの魔力に引き寄せられ、ついには押しかけ精霊になってしまった。
建前はレナリアの守護精霊であるフィルの子分ということになっているが、チャム自身はレナリアの守護精霊見習いだと思っている。
「お菓子も食べるなんて知らなかったわ」
「あんなにおいしいものがあったなんて知らなかったよ。今まで守護精霊をやってたやつらって、何で知らなかったんだろう」
人間にとって守護精霊というのは気高く尊い存在だ。普通の精霊は炎や雫の形をしているので、生き物のようには思わなかったのだろう。
レナリアも最初にフィルがお菓子を食べたがった時は驚いた。
フィルはお菓子を食べる時のレナリアがとても幸せそうな顔をするので、お菓子の中には「幸せの素」が入っているのかと思ったらしい。
入っていたのは砂糖とバターだったが、レナリアからクッキーをもらったフィルは、羽の先までピンと伸ばして、あまりのおいしさに驚いた。
それからはレナリアのおやつの時間にフィルも一緒にお菓子を食べるようになった。チャムも小さな炎の姿だった頃から、レナリアにお裾分けをもらっていた。
レナリアはチャムの口がどこにあるのか分からなく悩んだこともあったが、トカゲの姿になった今では、待ちきれないようにあーんと大きく口を開けている。
「あのね、あのねー。チャムは昨日の丸まってるクッキーが好きなのー。あとはねー、クリームがいっぱい載ってるやつー」
「ケーキか。うん。あれもおいしいね」
「今日はどんなおやつなんだろー。楽しみなのー」
フィルとチャムはわくわくしながら今日のお茶会を楽しみにしている。
そんな二人を見ながら、レナリアは重い足取りをほんの少し早めた。
食堂の二階にある王族専用の個室へ向かうと、既にセシルとアーサーはレナリアが到着するのを待っていた。
「レナリア!」
数日ぶりに会うアーサーが、ドアを開けるなりレナリアを抱きしめる。
「元気だったかい? 誰かに意地悪などされてはいない?」
「大丈夫よ、お兄さま」
抱き返しながらアーサーを見上げたレナリアは、お兄さまったら相変わらず心配性だわと思いながら微笑みを返す。
「何かあったら僕に言うんだよ? きっちりと対処するからね」
何をどう対処するんだろうと、レナリアはつい視線を逸らしてしまう。レナリアを溺愛するアーサーの報復は、かなり熾烈なものになりそうな予感がする。
とりあえず変装をやめたレナリアに、男子生徒は優しくなったが一部の女子生徒には嫌われてしまった。
化粧のやり方を変えたおかげで綺麗になったのだと陰口を叩かれているのも知っているが、気にしても仕方がないので無視をしている。
その態度がまた気に入らないらしく敵視してくるのだが、これが本来の顔なのだからどうしようもない。
アンナに言わせると小さい頃からお化粧をしすぎると大人になってから肌が荒れるというので、今では肌を整えるだけにしているのだ。
それでも話したことのある木魔法クラスの生徒たちは、地味に見えるような化粧をしていたレナリアがとびきりの美少女になったことに驚きはしたものの、普通に接してくれる。
中でも、レナリアと同じ風魔法クラスでいつもレナリアにつっかかってくるランス・エイリングの幼馴染のアジュール・ライトニアとは仲良くなれた。
だからアーサーが心配するようなことは何もない。
レナリアはアーサーから離れると、窓際に立ってこちらを見ているセシルにお辞儀をする。
王族特有のマリンブルーの髪の下からタンザナイトの瞳が、じっとレナリアを見つめる。
その視線には、以前はなかった熱が含まれているがレナリアは気づかない。
「セシルさま、本日はお招きありがとうございます」
「この学園にいる間は同じ学生なのだから、そこまでかしこまらなくても良いよ。特に私たちは従兄弟同士なのだから」
そうは言っても……と思いながらアーサーを見上げると、とても良い笑顔を浮かべている。
「レオナルドは公務で絶対にこれないからね。ちょっと邪魔なのは一人いるけど、久しぶりに兄妹水入らずでお茶を楽しもう」
その発言はあまりにも不敬なのでは、とおろおろするレナリアだったが、セシルは苦笑するだけで咎める素振りはない。
「こうでもしないと協力しないと言われてね。前回のお詫びも兼ねてもう一度招待したかったんだ。どうだろう、王都で評判のお菓子を取り揃えてみたんだが……」
セシルが合図をするとメイドたちがテーブルに色とりどりのお菓子を準備した。
「わあ。おいしそうだね!」
「チャム、いっぱい食べるー!」
「あっ、待って二人とも!」
それを見たフィルとチャムが、レナリアの肩の上から大喜びで飛び出した。