54話 のんきなチャム
そこへ寮で雇われているハウスメイドがレナリア宛の手紙を持ってやってきた。レナリアのような高位貴族以外は自分のメイドを連れてこられないため、何人かのハウスメイドが寮の雑事を引き受けている。
多くは学園都市に住む家の娘で、年頃の娘たちにとっては貴族のマナーを覚えられるということで憧れの職業になっている。彼女たちは女子寮のみを担当し、男子寮ではハウスバトラーが働いている。
手紙を受け取ったアンナは、まず手紙に毒がないかを調べる。寮に届いた時点でチェックはされているが、油断は大敵だ。何かあってからでは遅いので、アンナもクラウスも常に気を張っている。
手紙は銀のトレイに乗って渡される。アンナはそのトレイごと入口の横に置いてある四角い箱の中に入れた。鈍い銀色の箱の中央には緑の魔石が埋めこまれていて、箱の中に毒を入れると光るようになっている。
アンナは魔石が光らないのを確認してから手紙をレナリアに渡した。
「……セシル様からだわ。こちらはお兄様」
手紙は二通だったが、どちらも内容は同じものだった。今日の夕食へのお誘いだ。
基本的に貴族も平民も同じ食堂で食事を摂る決まりになっているが、高位貴族は毒殺を防ぐために自室に厨房を持ち、部屋で食事を摂ることが許されている。
さらに王族は、自室にある厨房とは別に、食堂の二階に厨房つきの個室が与えられていて、そこはちょっとしたお茶会ができるくらいの広さがあった。
レナリアも特別クラスの同級生である第二王子のセシルに招待され、一度だけ訪れたことがある。
だがその時にレオナルド王太子から失礼な態度を取られてから、一度も食事の誘いには応じていない。
たとえ兄のアーサーが何と言ってきても、だ。
「また食事のお誘いですか?」
「ええ。絶対に王太子殿下はお誘いしないから一緒に食事をしましょう、ですって」
前回の一件で、レナリアは少し強引なところのあるレオナルドが苦手になってしまった。
だからレオナルドがいないのは嬉しいが、それならば兄と二人で食事をした方がきっと楽しい。
最近ではセシルを前世で婚約者だったマリウス王子と混同することはなくなったが、それでもやっぱり同じ顔を見ると複雑な気持ちになる。
きっと、これからもずっと慣れることはないのだろう。
「さすがにこれ以上お断りするのはいけないのだと思うけど……。行きたくないわ」
そう言って肩を落とすレナリアに、アンナはかける言葉がない。
心の中では「うちの可愛いお嬢さまに心労をかけるなんて王族といえども許しません」などと思ってはいたが、口にしたのは別の言葉だった。
「アーサー様は何とおっしゃっているのですか?」
レナリアより五歳年上のアーサーは、可愛い妹を両親と共にそれはもう溺愛している。洗礼式の後から急に大人びて物わかりがよくなった妹に寂しさを感じていて、もっとわがままを言ってくれればいいのにと、いつも言っているのだ。
「ずっと顔を見ていないから寂しくて耐えられないって。お兄さまもこんな冗談をおっしゃるのね」
レナリアはのほほんと笑うが、アンナは、それは冗談などではなくてアーサーの本音だろうと思う。
レナリアが入学してずっと一緒にいられると思ったのに、学年が違うからなかなか会えないのに加えて、食事もレナリアは自室でしか摂らないから、アーサーはレナリアとほとんど顔を合わせる機会がないのだ。
「行きたくないなら行かなければいいのに」
頬にクッキーのかけらをつけたまま、フィルが不思議そうに首を傾げる。
レナリアは苦笑しながらそのカケラを取ってあげた。
「そうね。でもお兄さまには会いたいかも」
レナリアもアーサーのことは大好きだ。ただ兄弟であっても寮の部屋に異性が入ることは禁止されている。一緒に食事を摂るとなると食堂の一角を借りるしかないのだが、衆目の中での食事はなかなかハードルが高い。
「食事は無理だけれど、お茶くらいならいいかしら」
「ではそのようにお返事をいたしますか?」
「手紙を書くわね。用意してくれる?」
「承知いたしました」
兄だけならば伝言でも良いが、セシル王子にも返事を書かなくてはいけない。
レナリアはシェリダン家の紋章が透かし模様で入っている淡い薔薇色の便せんを受け取ると、螺鈿細工の豪華なペンで手紙を書く。
手紙を書き終わったレナリアは、手に持ったペンをしげしげと見つめた。
「どうしたの、レナリア」
その様子に気づいたフィルが、パタパタと飛んできてレナリアの手元に目を向ける。
チャムは蜂蜜紅茶とクッキーを食べて満足したのか、ぽんぽんに膨らんだお腹を上にして寝ている。
すぴーすぴーと幸せそうな寝息が聞こえた。
「このペン、とても重くて手紙を書いていると疲れてしまうんだけど、もっと軽くならないのかしらって思ったの」
確かにまだ十歳のレナリアに手にしたペンは大きすぎる。
それにペンの先端に魔石がついていて、そこに内蔵されたインクが適切な量でペン先に届くように調整する魔法陣が刻まれているのだが、小指ほどの大きさがあって重い。
もっと小さな魔石にすれば軽くなるのだろうが、そうすると魔力が足りなくなって魔法陣が発動しない。
魔法陣は魔石にしか刻めないと言われているが、たとえば普通の木ではなくイビルトレント……まではいかなくとも、エルダートレントの枝を使ってペンを作れば良いのではないだろうか。
魔法杖のように軸は金属製にしてインクを入れて、外側にエルダートレントの枝を使ってそこに魔法陣を刻む。
そうすればかなり軽くなるに違いない。
「ねえ、フィル。エルダートレントの枝に魔法陣を刻めるかしら?」
「刻めるだろうけど、魔石みたいに魔力を蓄積してるわけじゃないから発動しないと思うよ」
魔石は魔素の濃い場所に自然に発生する場合と、魔物の体の中で生成されるものの二種類がある。
どちらがより良いということはないが、自然に発生する魔石は小さいものが多い。だがその分、安価だ。
「この大きさだと魔物から採れた魔石よね。……小さい魔石をいくつかエルダートレントの枝に埋めて、枝全体に魔法紋を刻んだらどうかしら」
エルダートレントの枝であれば、森に行けばこの間の大量発生の時のものがそのまま残されているだろう。倒されたエルダートレントは胴体の太い部分は活用されることも多いが、小さな枝は森の養分となるので、そのまま放置しておくのだ。
「おもしろそう! ボクも手伝うから作ってみようよ」
「ええ、楽しそうね」
笑い合うレナリアとフィルの横で、チャムはすぴぴぴぴーと幸せそうな寝息を立てていた。