53話 午後のひととき
レナリア・シェリダンはエルトリア王国に住むシェリダン侯爵家の長女だ。
十歳の時の洗礼式で人気のない風の精霊エアリアルを守護精霊としたレナリアは、そのショックで、かつての自分が婚約者だった第二王子に横恋慕した令嬢を救うために聖魔法によって命を落とした聖女だった記憶を思い出した。
当時の魔法はすべて、術者の命を削って使うものだった。
けれど今は違う。
魔力のある者には精霊が守護をして、彼らから力を借りて魔法を使うことができるのだ。だから魔法を使うことによって命が削られることはない。
そして前世の記憶がよみがえったレナリアは、前世と今世分を合わせた膨大な魔力を得て、普通は姿を見ることができないエアリアルの姿が見えるようになった。
小さな男の子の姿で透明な羽をもっているエアリアルに、レナリアは古代語で風を表す「フィル」という名前をつけた。
なぜかレナリアを気にいってついてきた火の精霊サラマンダーの子供「チャム」と共に、レナリアはまた聖女になるのは嫌だからと、入学した魔法学園で目立たないように手を抜きながら過ごそうと決意していた。
魔法学園では全ての生徒が寮に入って生活をする。
レナリアの部屋は女子寮で一番広くて豪華な貴賓室だ。
元々は王族が入寮する時に使われる部屋だが、現在の王家には王子しかいない為、卒業までレナリアが使うことになっている。
レナリアの家は侯爵家だが、レナリアの母が庶子とはいえ王女であったということで、王族の血を引く姫として貴賓室を使っている。
貴賓室は入口のすぐ横に侍女室と護衛室がついていて、奥に入ると広い応接間がある。大きな窓は外からは見えない作りになっていて、窓の外の景色を思う存分楽しめるようになっていた。
少し緑を濃くした森はその枝を天へと伸ばし、青い空との境には小さな小鳥たちが飛んでいる。朝日を浴びた葉は、光をはらんで宝石のように輝いていた。
木々の中には花の芽を膨らませているものもある。レナリアが知らないその花は、一体どんな色と形をしているのだろうか。
そんなことを考えながら、しっとりとした手触りの薔薇色のソファに座るレナリアは、窓の外の景色を楽しみながら香り高い紅茶を飲む。
貴賓室と高位の貴族が暮らす部屋の家具は、それぞれ自分で揃える決まりになっている。
レナリアも母と相談して質の良い家具を揃えていた。シェリダンの紋章が薔薇であることから、全体的に薔薇のモチーフが使われているものが多い。
「お嬢さま。杖は一週間後にできあがるそうです」
シェリダン家からレナリアについてきたアンナは、紅茶の用意をしながらそう言った。テーブルの上にはレナリアのカップの他に、可愛らしいおもちゃのティーカップが二客置いてある。
部屋の入り口ではいつものように専属騎士のクラウスが護衛している。
「楽しみだわ」
「桃の木の芯にイビルトレントの枝を入れた杖ですから、魔石をつければずっと使えるということですよ」
魔法学園に入学したばかりの生徒は、まず学園の裏にある森で自分にぴったりの、杖の材料になる枝を探さなくてはならない。
毎年新調することはできるが、杖で成績の優劣をつけてはいけないということで、学園の中にいる間は裏の森で手に入れた枝を使った杖以外の使用は認められていない。また、杖に魔法を増幅する魔法陣を刻んだ魔石をつけるのは禁止されている。
杖の不正があった場合は厳しい処分が下されるのだが、レナリアの杖は確かに学園の裏の森で手に入れた材料を使って作ったものだ。
たとえイビルトレントという騎士団でないと討伐できないような魔物の枝を芯として使っていても、森の中にあった素材だ。
そしてその外側の桃の木に見えないように刻まれている魔法陣は、レナリアの大きすぎる魔法を小さくするための減衰の魔法陣である。
何も問題はない。
「大切に使うわ」
紅茶のお代わりを淹れたアンナは、横にある小さなティーカップにも紅茶を淹れた。アンナには見えないが、レナリアの守護精霊であるフィルが紅茶を飲むのだ。
「ううう。レナリアはよくこんなに苦いものを飲めるなぁ」
小さなティーカップを両手で持つフィルは、顔をしかめて舌を出す。
「フィルは精霊なんだから、無理に飲まなくてもいいんじゃないの?」
苦笑するレナリアは薄く伸ばした生地をくるっと巻いたクッキーをフィルの目の前に置く。
さくさくとして舌の上でほろりと溶けるクッキーは、最近王都で大人気のお菓子屋さんの最新作だ。
父のクリスフォードがたくさん送ってくれたのだが、あまりのおいしさに毎日のおやつはこのクッキーにしている。
フィルも大のお気に入りだ。
「確かにそうだけど……」
フィルはレナリアからもらったクッキーを大切そうに抱えて、端っこから食べる。さくりと軽やかな音がして、口の中にバターの風味が広がった。
「でもレナリアが好きなものは、ボクも好きになりたいんだ」
レナリアのことが大好きなフィルは、全部レナリアと一緒がいいと思っている。
それは窓の外でひらひらと飛んでいる蝶が部屋の中に落としている影を追いかけているチャムも同じだ。
チャムの場合は紅茶を飲んだとたんにピュウッと逃げていってしまったけれど。
「じゃあ蜂蜜を入れてあげる。私も少し入れるわ」
黄金色の蜂蜜をスプーンですくってとろりと入れる。フィルのティーカップの中身からは、たちまち甘い匂いが立ちこめる。
「うん。これならおいしい」
ほとんど蜂蜜の味になった紅茶を飲んだフィルは、ご機嫌になって羽を揺らす。
「あっ。チャムもー。チャムも甘いのなら飲みたーい」
蝶の影絵と遊ぶのに飽きたのか、小さな赤いトカゲのチャムがテーブルに登ってくる。
「じゃあチャムにも、はい」
「ありがとー、レナリアー」
レナリアは小さな精霊たちと一緒にお茶を楽しみながら、のどかな午後のひと時を過ごしていた。