52話 イビルトレントの杖
「それはイビルトレントの枝!?」
レナリアが思わず口に手を当てて驚くと、アンナが眉を上げて「イビルトレント?」と聞きとがめた。
「お嬢さま、イビルトレントというのは災害級の魔物ですが、一体どういうことでございましょう?」
いつもより丁寧な言葉遣いに、アンナが怒っているのをひしひしと感じる。
レナリアはしまった、と思って固まったが、アンナの追及に負けて、イビルトレントと戦ったことを全て白状させられてしまう。
「お嬢さま、いくらお嬢さまがお強いといっても、一人でイビルトレントほどの魔物に立ち向かうなど、もっての他でございます。せめてクラウスを囮にして逃げてください」
「え、それはクラウスが可哀想じゃないかしら」
「お嬢さまの危機に駆けつけることもできない護衛など、囮で十分です」
従弟とはいえ、アンナのクラウスに対する扱いがひどい。
それに森での探索中は護衛と離れなければいけなかったし、勝手に結界の外に出たのはレナリアの責任だ。
レナリアが庇うと、アンナは首を振った。
「それでもですわ、お嬢さま。護衛ならばあらゆる可能性を考えて、先を見据えてお嬢さまを護衛しなければ。今回の件ですと、結界の周りにシェリダン騎士団を配置すべきでしたわね」
それは、やりすぎでは……、と思ったがアンナは真剣だった。
王族よりも手厚い配慮などしたら、王族を侮っていると言われかねない。そうならないように、これから気をつけようとレナリアは決心した。
「それより、お嬢さまを慕っているサラマンダーの子供が、あのイビルトレントの枝を持ってきたのですか?」
アンナの視線の先には、黒い枝だけが絨毯の上を少しずつ動いているようにしか見えない。
だがレナリアが教会で洗礼を受けて以降は驚くことが多すぎて、「お嬢さまだから」という一言で納得してしまっている。
「ええ。そうみたい」
「これねー。フィルがレナリアのとこに持ってくと喜ぶよって言ったから持ってきたのー」
「フィルが?」
「杖の材料にいいかなと思ったんだけど、熱すぎてボクには持てなかったんだよ」
風で運べば持ってこれないことはなかったが、それよりもレナリアが心配でそばについていたかった。
「だからねー。レナリアにあげるー」
「まあ、ありがとう。フィル、チャム」
「持ってきたのはボクじゃないし、チャムだし」
レナリアにくっついたままのフィルはプイッと横を向く。
だがその頬はほんのり赤い。
イビルトレントの枝をそのまま杖にしたら大騒ぎになってしまうだろうけれど、杖の芯にしたら分からないのではないかと思う。
きっと父に相談をしたら、周りの人には分からないような凄い杖を作ってくれるだろう。
そうすれば魔力酔いが和らぐかしら……。
杖を使えば魔力を増幅してくれるから、今までよりも少ない魔力で魔法を放つことができるようになる。
おそらくイビルトレントと戦っても魔力酔いで倒れることはなくなるだろう。
レナリアは三日間の登校禁止処分の間に、兄を通して父に杖の製作を頼んだ。
そして久々に登校すると――。
三日ぶりに登校したレナリアは、眩いばかりの美しさで、生徒たちの目を奪った。
流れるような黄金の髪はしっとりとした艶を放って輝いており、綺麗にカールしている長いまつげに縁どられたぱっちりとしたタンザナイトの瞳は、角度によって青にも紫にも見える稀有な王家の色を持つ。
陶磁器のような白い肌に、紅をさしたような赤い唇。
誰もが目を奪われる、絶世の美姫がそこにいた。
レナリア・シェリダンとして生きる。
そう決心したレナリアは、自分を偽って目立たないようにするのをやめたのだ。
ただ、聖女にはなりたくないから手を抜くのはやめない。
「レナリア、具合はどうだ?」
席につくと、後から教室へ入ってきたセシルに声をかけられる。
セシルはレナリアの姿に一瞬驚いたようだが、さすが王族というべきか、すぐに何事もなかったかのようにその整った顔に微笑みを浮かべた。
「助けてくださってありがとうございます、殿下。お詫びが遅れてしまって申し訳ございません」
慌てて立ち上がったレナリアがそう言って頭を下げると、セシルは目を細めてレナリアの姿を見つめる。
「殿下ではなく、名前で呼んで欲しいと言っていたはずだけど?」
「申し訳ありません。セシル……さま」
レナリアの返事に満足したのか、セシルはレナリアをうながして席に座った。
「それにしても大したものだな。ファイヤーウルフを一人で倒すとは」
セシルの言葉に、教室中がざわめく。
護衛騎士に抱えられて戻ってきたレナリアの姿を見たものはいないが、結界の外にトレントやファイアーウルフが出たという話は、しばらくは絶対に外に出てはいけないという学園からの勧告によって生徒たちにも知らされている。
それによって心痛のあまり学園を休んでいる女生徒が何人もいたことから、レナリアもそのうちの一人だろうと思われていた。
だがセシルの言葉によると、レナリアが倒したのだという。
しかもたった一人で。
「ちょうどトレントと戦った後で弱っていたみたいですの。運が良かったですわ」
レナリアがにっこりと微笑むと、セシルは「そうか」と同じように微笑みを絶やさずに答える。
「そういえばレナリアも杖の素材は桃の木にしたのだね」
「……ということはセシルさまも?」
「お揃い、というわけだ」
にこやかに微笑むセシルから、レナリアはそっと目を逸らす。
同じ桃の木で作る杖にはなるが、レナリアのものは芯にイビルトレントの枝を入れる予定だ。
お揃いにはならないだろう。
「今年の杖のお披露目の場であるエレメンティアードが楽しみだな」
エレメンティアードというのは、的に魔法を当てて競う競技のことで、魔法学園では属性のクラス対抗で勝敗を競う。
新入生は作ったばかりの杖で参加するのだが、まだ杖に慣れていない彼らの戦いは激戦になることが多く、最上級生の戦いと共に、エレメンティアードの目玉となっている。
風魔法クラスは毎年最下位だったが、今年はレナリアの参戦によって混戦になるだろうとセシルは心の底から楽しそうに笑った。
イビルトレントの芯を入れた杖を持ったレナリアは、他の追随を許さないほどの好成績を収めてしまう可能性がある。
光魔法を使えるのは秘密にしているから聖女になることはもうないだろうけど、学園の中でこれ以上目立ってしまうのは避けたい。
目の前のセシルが楽しそうにしているから、なおさら。
がんばって手を抜きましょう。
レナリアは心の中で、そう決心した。