第141話 奴隷、異変に遭遇する
「さっきのは何だったのかしら」
謁見の間の扉が閉まった瞬間、セレティアが切り出した。
やはり俺だけじゃなく、セレティアもかなり気になっていたようだ。
「俺にもよくわからないな。記憶の操作は難度が高すぎるし、そもそも二人には、魔法の力が及んでいたような気配がなかった」
「そうよね……本当に疲れていただけなのかしら?」
仮に気配を感知できないような魔法だったとしても、あの反応からして、俺の顔、名前が認識できない魔法、というわけでもないだろう。
どうしてあんな反応になったのかが謎だ。
「あまり悩んでも仕方ないし、このまま王都で買い物でもしようかしら」
「無駄使いはダメなんだが……そういえば、フィーエルから貰って壊れた魔導具があったろ。あれと同系統のものがないか見ておいたほうがいい」
「よくそんなの覚えてたわね」
セレティアはなくなってしまった、自分の胸元へ視線を向ける。
「あれで少しは暴走が抑えられて、今の状態で済んだはずだからな」
「でも大丈夫よ。もうあんな無茶をする必要はないでしょ?」とセレティアは上機嫌で城門へと向かう。
かなり手前だというのに、扉が早々に開き、城門を警護していた兵が左右に分かれて整列する。
それは俺たちを送り出すためではなく、背後から近づいてきた馬車を通すためのものだった。
馬車は俺たちを追い越したあと速度を緩め、行く手を遮るように停車した。
「やあ、これはセレティア王女殿下ではありませんか」
白々しいまでのテンションで、馬車から降車したハーヴェイ近づいてくる。
それもセレティアに一直線で駆け寄り、俺には見向きもしない。
「顔を出していただければ、帰りの馬車くらいはご用意したものを。まったく、フェスタリーゼはそういうところに気が回らないもので」
気のせいか、以前のハーヴェイとは別人のように接してくるように思う。
セレティアの顔も引きつっていることから、俺と同じ気持ちらしい。
「で、今日はあの従者ではないのですね」とハーヴェイは俺に一瞬だけ目をやると、すぐさま元に戻す。
「どういうこと? いつもウォルスは一緒だけど」
「あの女剣士のことですよ。名は何と言ったか……そうそう、ネイヤ・フロマージュ。そこのウォルスという従者は、彼女の代わりですか?」
「……何を言っているの?」
普段なら呆れたり、怒りに染まった表情を見せるところだろうが、今のセレティアに浮かんでいるのは困惑の二文字だけだ。
ハーヴェイの態度は、先程のフェスタリーゼやダラスと同じく、俺を知らないといったもので、名前を出しても反応は変わらない。
それ以上に、セレティアの護衛に就いていたのがネイヤのような口ぶりで、本当に何を言っているのか意味がわからない。
「何をふざけているんだ。お前はネイヤに会ったことすらないだろう」と口にした俺を、ハーヴェイは強者のように威圧的な態度で睨みつける。
「セレティア王女殿下の従者だからと、君は少し図に乗っているようだね。立場というものをわからせてあげようか?」
ハーヴェイの態度には一切の迷いがなく、本気で言っているのが伝わってくる。
――――ハーヴェイの言動は、明らかにおかしい。
記憶から俺のことが完全に消えているだけでなく、会ったことすらないネイヤと顔見知りということになっているのは腑に落ちない。
フェスタリーゼの言葉でも、セレティアの護衛について口にしようとしていた形跡があった。
一連の出来事から、俺の想像を超える事態に陥っているとみるべきか……。
動き出すのは早いほうがいい。
「申し訳ございません。セレティア様、本国より至急帰還せよとのご通達、急ぎましょう」と俺はハーヴェイに一礼し、セレティアの手を取って城門へと歩き出す。
「え? ちょっと、ウォルス何のこと?」
「これ以上、あのハーヴェイに関わっても意味がない。まずは国へ戻り、整理することが先決だ。この現象がどこまで広がるのかもわからないからな」
蔑ろにされたハーヴェイが背後で怪訝な目を向けているが、既に俺たちが知るハーヴェイではない。
誰の仕業で、何が目的なのか。
俺に関することに影響が出ているが、それが本命なのかすらもわからない状態で、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
「ウォルス、そんなに急がなくても、もしかしたら催眠術とか――――ほら、盛大な冗談かもしれないじゃない……」
「俺の存在が記から消え、セレティアの護衛にはネイヤが就いていたことになってるんだ。ハーヴェイはネイヤに会ったことすらないんだぞ」
「そういえばそうね……」
「手遅れになる前に戻るべきだ。誰かが俺かセレティア、もしくは他の誰かを狙っているのは間違いない」
「買い物もダメ?」
「…………ダメだ」
深いため息を吐いたセレティアは、残念そうな顔からすぐさま立ち直る。
「わかったわ。すぐに終わらせてまた来るからね、買い物!」と言い放ちスタスタと歩いてゆく。
そこまで買い物がしたいものだとは思わなかった。
「ああ、その時は好きなだけすればいい」
「他人事みたいに言ってるけど、ウォルスも付き合うのよ」
「それならさっさと終わらせないとな」
◆
カーリッツ王国を出るまで、他の異変がないかと目を光らせていたものの、これといったものはなかった。
ユーレシア王国に戻り、視界に王宮が入ると、それまで気を張っていたセレティアも気が緩んだらしく、普段の笑顔に戻っていた。
「結局何もなかったわね。やっぱりあれは演技だったんじゃないかって思えるくらい」
確かに、カーリッツ王国ーユーレシア王国間の各国家、都市でも何もなく、無事に帰ってこられるとは正直思っていなかったため、少々拍子抜けする部分もある。
「その分早く対策が練られるんだ。アイネスやフィーエルから、こういう現象について心当たりがないか、なるべく早く聞きたいところだ」
こういう状況で、精霊やエルフの見解を聞けるのは都合がいい。
最も有効な手が打てるはずだ。
「お姉さま、やっと戻られたのですか!」
城門が開くなり、飛び出してきたフレアがセレティアに抱きつく。
一度は俺を諦めたフレアだが、あれからもちょくちょく俺にちょっかいを出し、セレティアから俺を引き抜こうとしてきて困りものなのだ。
「フレア様、今はセレティア様も疲れておいでですので」と俺が声をかけるなり、フレアは不審な目で俺を見つめてくる。
「あなたは何なの? お姉さま、まさかこの者を護衛にしてカーリッツ王国に? 護衛のネイヤを置いて、カーリッツ王国に向かったと聞いて心配していたのですよ」
セレティアの顔から一瞬にして血の気がなくなり、その目が俺へと向けられる。
最悪の事態が、信じられない速度で侵食してきていた。
「フレア……、あなたいったいどうしたの、ウォルスよ? あんなに自分のものになれって言っていたのに……」
フレアは首をかしげ、「何のことをおっしゃっているのです? 私がこの者を欲しがっているなんて、悪い冗談ですわ」
「失礼いたします」と俺は全属性無効魔法をかけた手で、フレアの手を握る。
だが、魔法が解けるような様子もなく、手を振り払われた。
「お姉さま、この無礼者をどうにかしてください」
「申し訳ありません。フレア様に、よからぬ魔法がかけられている可能性がありましたので」
全属性無効魔法で変化がないということは、魔法がかけられている可能性は限りなく低い。
錬金人形だったリリウムのように、何かしら無効魔法を妨害する魔法なのかもしれないが、そんな真似ができる奴がいるとも思えない。
こうなると一刻の猶予もなく、皆を集めて対策を練る必要がある。
それを伝えようとする前に、セレティアは既に動いていた。
「フレア、悪いけど急いでいるの、話はあとでいいかしら。ウォルス行くわよ」
「承知しました」
呆気にとられるフレアの横を通り過ぎ、足早に王宮の中へと入った。