第134話 奴隷、死者蘇生魔法、及第点
最初の激痛さえ乗り越えれば、それはなんてことのないものだった。
広がってゆく白い世界に、まばゆい光が一瞬射し、思わず瞼を閉じる。
何も聞こえない。
ここがどこなのかさえもわからない。
しかし、瞼を持ち上げた時、あいつはそこにいた。
「セレティアッ!」
白以外何もない空間が延々と続く世界で、今にも消えてしまいそうな、何とか形を保っているだけの存在。
肉体ではなく、精神体ということは、自分の体を見て理解できた。
動かすだけで体の一部が一時的にとはいえ、煙のように消えてしまうほどに危うい。
それでも頭上セレティアは俺の声に反応し、その動きを止めた。
「戻ってこいッ! 今なら俺の魔法で生き返らせることができる」
しかし、振り返ったセレティアの瞳に色はない。
本人に意識はないらしく、ただ俺を見つめながらふわふわと宙を漂い、徐々に俺から離れてゆく。
魔法でここへやってきた俺と、死ぬことでこの場にいるセレティアとでは、決定的な違いがあるのだろう。
何度も、何度も、何度も、セレティアの名を呼び続ける。
大声で喉に焼けるような痛みが走るが関係ない。
セレティアは俺が伸ばした指先を見つめ、ようやくこちらの意図がわかったかのようで、自らも手を伸ばしてきた。
――――指先が触れ合い、その手を握った瞬間、セレティアの全身から感情があふれだした。
「ウォルス……わたし、まだ生きたい、こんなところで死ぬわけにはいかないのよ」
「大丈夫だ落ち着け。必ず生き返らせてやる」
目尻に涙を溜めるセレティアを抱き寄せる。
流石にこんな場では、いつもの王女としての威厳、風格というものは微塵も感じられない。
十六歳の、年相応の少女だ。
そんなセレティアの視線が、俺の下半身へと向けられる。
そこでようやく、この空間での、俺の存在がどういったものか気づかされた。
俺の下半身は、既に細い鎖状になり、どこに延びているのか、どうやって戻すのかもわからない状態で、幾重にも絡まり合っていた。
たとえこの体を元に戻せたとしても、そこから、この死者蘇生魔法によって生き返らせることができるのか見当すらつかない。
そんなことを考えていても、時間は刻々と過ぎ去るだけだ。
セレティアを抱きしめた状態でも、俺の体は徐々に鎖に分解されてゆく。
「…………さん、……っかり、……さい」
万事休すか、そう思った時、どこからともなく、声が聞こえてきた。
優しいようで激しい、叱咤激励する力強い声。
その声とともに。魔力が体に注ぎ込まれるような感覚が襲ってくる。
「しっかりしてください! 私の魔力を送りますから、魔法を止めないでください!」
「フィーエルか、俺の声が聞こえるか!?」
「きっと成功します! 諦めずに頑張ってください!」
俺の返事には応えない。
どうやらこちらの声は聞こえていないらしい。
フィーエルの言っていることと現状を鑑みると、俺の体が鎖状になっているのは、肉体が魔力枯渇を起こしかけているのと関係があるのだろう。
あちらで意識がない俺は、魔素変換を行えていないと思われる。
「セレティア、俺から離れるなよ」
俺の胸に顔を押し付けてきたセレティアは、黙ったまま頷く。
精神体のためか、匂い、体温、そういったものを直接感じることはない。
それでも震える肩や荒い呼吸から、確かにここにいるということを実感できる。
改めて認識した瞬間、さっきまで破裂しそうはほど脈打っていた心臓が、驚くほど落ち着きを取り戻してゆく。
「――――フィーエルの声がするのは、あっちか」
落ち着きを取り戻すと、フィーエルの声が力強く聞こえてくる。
距離、方向、そこに到達するまでのおおよその時間まで、瞬時に理解できた。
その声を信じ、ただ真っ直ぐ下降してゆく。
◆ ◇ ◆
「ウォルスさん、早く目を覚ましてくださいッ! このままじゃ、お二人とも……」
今にも泣きそうなフィーエルの声が、耳にこびりつく。
どうにか戻ってきたみたいだが、魂が離れていた弊害か、体を思うように動かせず、フィーエルがどこにいるのかも、まだ感覚が鈍くて判別がつかない。
魔力循環を試してみるが、普段のように上手くいかない。
どうやら、まだ肉体に魂が定着していないらしく、状況は最悪そのものだ。
もし俺の意識が戻っていることがアルスに知られれば、何をするかわからない。
さっきとは違う意味で、危機感が募ってゆく。
「なんとも無様だな。魔法を失敗するだけでなく、自らの魔法をここまで制御できないとは」
「……失敗なんてしません。必ず……セレティアさまは生き返ります」
「そんなことはありえない。なぜなら、一度肉体を離れた魂は、肉体への執着を失うからだ。生きることを終えた魂に、何をしようと無駄なのだ」
すぐそばから、フィーエルの震える声が響いてくる。
さっきよりも明瞭に、感情が伝わってきそうな距離だと認識できる。
きっと怒りに満ちた表情で、アルスと対峙しているのだろう。
「もうそいつは助からない」と冷たい声音を発しながら、アルスが近づいてくる気配を感じる。「フィーエル、お前に選択肢を与えよう。私に殺されるか、それとも、その腰のもので自刃するかだ」
「……どちらも選びません。ウォルスさんを守るために、
「…………私をその名で呼ぶか……。お前の中では、私は最早、アルス・ディットランドですらなくなったのだな」
アルスから殺気が放たれると同時に、リリウムの魔力が膨れ上がる。
二人以外にも、錬金人形のイルスの気配もなくなってはいない。
このままではフィーエルとアイネスに勝ち目はなく、殺されるのも時間の問題。
自分の不甲斐なさに、全身が怒りで沸騰するような感覚が襲ってきた。
――――こんな時に地べたに這いつくばり、何も出来ない俺は何のためにここにいる。
フィーエルをこのまま見殺しにするなら、あの時誓ったことはなんだったのだと。
怒りに任せ、指先にありったけの力を入れると、僅かだが、指先が動く。
その瞬間、それは先にやってきた。
「かはっ……はぁはぁはあ……」
セレティアが息を吹き返し、荒いながら呼吸を再開した声が聞こえてきた。
魔力は安定していないが、それでも少しずつ回復しているのが感じられる。
「――――どういうことだ……なぜセレティアが呼吸をしている……」
アルスの動揺する声が響く。
「こんなことがあるはずがない……私ができなかったことを、こいつが成功させたというのか……ありえない…………そんなことがあってはならないのだ!」
「イルスさま……」
「アンタ……完全に壊れたのね」
呟くように名を呼ぶフィーエルとは違い、アイネスの言葉には憐憫の念が込められているように感じる。
「煩い……煩い、煩い、煩いッッ!! ………………もう全員消えてしまえ……死者蘇生魔法は最初から完成してなどいない。私がより完璧な形で死者蘇生魔法を完成させてみせる。決してそこのウォルス・サイは生み出してはいない! これは失敗作なのだ。さあリリウム、今すぐ、こいつらを殺せッ!」
命令に従って、リリウムの魔力がどんどん上がってゆく。
再びあの魔法を使おうとしているのはすぐにわかった。
――――もう少し、あと少しだけ時間があれば、完全に動ける。
しかし、今からでは確実に間に合わない、ということは瞬時に理解できた。
何もできない自分への怒りと同時に、リリウムを擬似的にとはいえ蘇らせ、このような汚い仕事をさせているアルスに対して、どうしようもない怒りがこみ上げてくる。
リリウムをなんのために蘇らせたのか、死者蘇生魔法に取り組みはじめた志は同じだったはずだ。
リリウムは、決してこんなことをする人間ではない。
強く気高く、崇高な精神を持ち合わせ、全ての者の手本となる人物だった。
それがどうして、ただの、殺戮をするだけの人形にしてしまったのか。
「リリウムなら、こんな状況でも諦めない。絶対、抗ってみせるはずだ……」
声に出したのと同時に、リリウムから魔法が放たれた。
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