第34話 奴隷、千騎将を怪しむ
サントールの中心街を歩くと、武器関係と食料関係の店しか開いていないことに気づかされた。娯楽、趣味に関する店は一軒も開いておらず、戦争が人の心から余裕を奪ってゆく姿が顕著に表れていた。
そんな寂れた街でも、酒場だけはしっかり開いており、俺たちは何も考えずその扉を開いた。だが、足を踏み入れた瞬間、その異様な空気に、先頭を歩いていたベネトナシュたちの足が止まる。本来なら良くも悪くも活気がある酒場が、席のほとんどが兵士で埋まっているにもかかわらず、気持ち悪いくらいに静まり返り、黙々と酒を呑んでいるだけだったからだ。
「セレティア様、ウォルス様、こちらへどうぞ」
ベネトナシュは奥の空いていたテーブルへ行くと、セレティアと俺を壁側に座らせ、兵士の視線から遮断するように、ベネトナシュたちは俺たちの周りを囲んで座った。
「悪いわね」とセレティアが声をかけると、ベネトナシュは、「いえ」と一言だけ返事をする。
「セレティアは顔色が優れないようだが」
馬車での移動もあっただろうが、街についてから、特に酒場に入ってから体調がよくなさそうに俺の目には映った。
「――――そうね、ここで死相を浮かべて呑んでいる人たちは奴隷なのでしょう」
「黙々と呑んでる連中はそうだろうな」
一部、軍の者と思しき人物も呑んでいるが、そこから聞こえてくる声を聞く限り、大半は奴隷で間違いない。
「ユーレシア王国にも奴隷はいるけど、ここまで酷くはないわ。それに、私は将来的にユーレシア王国から奴隷をなくしたいのよ」
それで俺に対する扱いが特別なのか、と納得はできたが、この考えは国を治める者としては、少々甘いと言わざるをえない。カーリッツ王国でも街中でそうそう奴隷を目にすることはないが、その多くはこういう戦地に売られるか、鉱山等で過酷な毎日を過ごしている。
ユーレシア王国も、セレティアの目に映らないところで、奴隷が余れば商人経由で追い出し、足らなければ買い入れているはずだ。結局、廃止したところで成り立たない。本気で廃止したいのなら――――。
「奴隷をなくすのなら、カーリッツ王国をも凌ぐ力と、民、他国の者も唸らす絶対的な求心力、最低この二つは必要だぞ。なければ他国から孤立させられるか攻められる。よくて犯罪者の逃げ場に利用されるだけで、ユーレシア王国に未来はない」
「わかってるわよ、そんなこと。だから、そのためのクラウン制度でしょ。絶対偉業を為してあげるわよ」
どこからその自信が湧くのか、その楽観主義的な考えに驚きだが、それ以上に、そんな思いがあるのなら、俺が奴隷なのが納得できない。
「それならまず、俺の血契呪解呪を……」と口にした瞬間、セレティアによって止められた。
「それは私にはどうしようもないのは知っているでしょ。それに私の夢の一つのために、ウォルスには協力してもらわないといけないじゃない。それとも……ウォルスは血契呪なしでも、私のために命を懸けてくれる気になったのかしら?」
「……そうだな、懸けるのも面白いかもな」
本気半分、冗談半分といった感じで返事をすると、セレティアが不敵な笑みを返してくる。
それとほぼ同時に、今まで静かだった店がざわつき、扉が乱暴に開く音が響いた。
「どうしたんだ?」
俺が確認するように言うと、ネイヤが入り口へと目を向け、「王国軍のガスター千騎将が入ってきたようです」と口にした。
男は日焼けした肌に、いかにも武人という空気を漂わせ、一人の従者を連れて入ってきた。そして、俺たちから少し離れたテーブルの席に乱暴に腰掛けた。
その姿に、ネイヤやベネトナシュたちが、わざと顔を背けたように俺には見えた。
「顔見知りなのか?」
俺の質問に、ネイヤは少し顔を歪ませ、「一度、ギルド本部で誘われたことがあるだけです」と答えた。
「それにしては嫌そうに見えるな」
「不死身のガスターなどと呼ばれ、数多くの戦果を上げているそうなのですが、それほど実力があるとは思えず」
「不死身とは、また随分大げさだな……」
見掛け倒しというか、不死身と言われるわりに、実力は上位冒険者と同じか、それ以下くらいにしか感じられない。
男は従者とともに酒と大量の肉を注文すると、周りのことなど気にせず、大声で喋り始めた。
「あの横柄な態度、…………それに、しばらく見ていただければわかると思うのですが、薄気味悪いところがありまして……」とネイヤは言葉を濁した。
「ネイヤが言うのなら、相当なものなんだろうが、とにかく今は、今後の計画について話し合おう」
俺は一度その男から意識を離し、ルーベリア王家の話から商人ギルドへ顔を出す案を出すことにした。
冒険者ギルドにも、邪教について新たな情報が入っているかもしれないが、冒険者ギルドは教会の意向で、戦争が二年以上続いている国からは撤退する決まりがあるため、この国に冒険者ギルドはないからだ。
「その、いいでしょうか?」と一番端に座るフェクダが、巻毛を揺らしながら手を挙げる。
「何でも言ってくれてかまわない」
「――――ウォルス様の案もいいのですが、即刻南に下ってこの国を去る、という手もあるんじゃないかと……」とフェクダが恐る恐る口にした。
フェクダの言葉に、ネイヤは頷いて肯定の意思を示す。
「それも考えたが、ここまで来て手ぶらで離れることもないだろう。時間は有限だ。どこに情報があるかもわからないし、商人ギルドで行き先だけでも決められる情報を得たほうがいい。セレティアはどう思う?」
俺の意見と、フェクダの意見、両方を咀嚼するように考え込むセレティア。
「この国はすぐにでも出ていきたいところだけれど、商人ギルドに寄るくらいなら、そう時間もかからないでしょうし、寄ってからでいいんじゃないかしら」
賢明な判断だと、目の前に座るネイヤに確認の意味で目をやると、その顔は既にあの男へと向けられていた。ガスターの隣に座っていた従者が立ち上がり、席を外そうとしていたところだった。
「ウォルス様、もうすぐです」とネイヤが囁く。
それと同時に、異様な光景が広がった。
ガスターと従者は先ほどまで煩いくらいに喋り、豪快とも粗野とも取れる食べ方をしていた。だが、従者がいなくなった途端その手が止まり、廃人のように動作が緩慢になったのだ。ガスターからは生気が感じられなくなり、別人と言ってもいいくらい全てが別の何かになっているとしか思えない、そう感じるほどに不気味な変化を起こした。
「なんだあれは……」
「これが、私が言ったものです」
それは人の形をした何か。
薄気味悪い何か、だけで片付けていいものなのかと、俺の心が煩いほどに問いかけてきた。
席を外した従者は剣士であり、魔法師ではないため、従者が操っている、とは到底考えられない。
魔力も人並み程度にしか感じられず、魔法を使っている形跡もなかった。
――――不死身のガスター。
そう呼ばれることと、この変化は何か関係があるのかもしれない。
試すなら今がチャンスなのは間違いなく、もし、邪教と関係があるのなら、アルスと邪教の関係、アルスが存在することの答えが見つかるかもしれない。
そう思ったところで、セレティアの手が俺の腕を掴んだ。
「一体何をしようというのかしら。あれは王国軍の千騎将なのでしょう。ウォルスが邪教を疑うのもわかるけど、下手に手を出せば、この国から出るのが遅れる、酷ければ出られなくなるかもしれないわよ」
「――――そうだな、少々焦りすぎた」
自分一人なら問題ないが、今はそういう立場ではない。
そんな俺を、フィーエルも心配そうに見つめてきた。
自由に動けないのは少々面倒だと感じるが、一度頭を冷やすには丁度いい、と自分に言い聞かせた。
それからしばらくガスターの様子を監視してわかったこと、それは従者の男が戻ってきた瞬間、何かが切り替わったように、再び横柄な性格に戻ったということだ。
どういう理屈なのか、現状ではわからないが、通常ではありえない変化。
ただ、従者がこの変化のきっかけになっていることだけは確実だった。
この変化が、このガスターという男特有のものなのか、他にもこういう者がいるのか、そして邪教と関係があるのか、そこから調べる必要が出てきた。
そのことを皆に伝えると、全員感じていたことは一緒のようで、誰一人異議を唱える者はいなかった。