第33話 奴隷、間に立つ
ハーヴェイ・ディットランドとの約束から九日、無事、ルモティア王国との国境を超えた俺たちは、一番近くの街である、サントールへとやってきた。
この街は畜産が盛んで、おおらかな人柄の住民が多かったと記憶している。だが、戦争が十年以上続いている影響は、こんな田舎の街にさえ強く表れていた。
本来なら家畜で賑わっているはずの厩舎の多くが寂れ、そのいくつかは屋根が崩れかかっていた。さらに、街中には冒険者ではなく、一般兵の姿が多く見られ、その多くが少なからず傷を負い、ボロボロの装備品を身に着けていた。
「大半は、前線から戻ってきた奴隷、といったところか」と俺は冷たく言い放った。
戦争では前線に送られる奴隷は、犯罪者や、金のために身を売った者が多いと聞く。ここで大きな戦果を上げるしか、彼らに生きる道は残されていない。
たとえここで生き残ることができたとしても、普通の生活が送れるわけではなく、よくて強制労働、悪ければ、また違う戦地へ送られることになる。それほど奴隷というものは、存在価値が認められていない。
俺の言葉に、誰か返事をするかと思ったが、誰も反応しないため振り返ると、セレティアたちは死んだような表情で足を動かしていた。
「どうしたんだ?」と俺が尋ねると、「ウォルスは丈夫だからいいでしょうけど、定員オーバーの馬車で九日間、それも最後の峠の悪路は最悪だったわよ」とセレティアは自分の尻を撫でながら言った。
今回はベネトナシュたちもカーリッツ王国を退去せねばならず、俺が金を使い込んだせいもあって、安物の小さな馬車を借りてやってきたのだが、それが仇となったようだ。
その中でも特に、体力があるはずのネイヤがほとんど喋らなかったのが気になった。
「最近ネイヤの声を聞いてない気がするが、どうかしたのか?」
ネイヤは意を決したように俺を見つめ、そして口を開いた。
「魔法師です。魔法師が側にいるんですよ……」
「それか……」
フィーエルに顔を向けると、首をかしげてこちらを見つめてきた。
まさか、自分の存在だけでここまでヘコむ人物が存在するとは、夢にも思っていないだろう。
ここはなんとしてでも、フィーエルの実力を認めさせなくては、と俺は一つの方法を思いついた。
「なら、剣の実力をみたらどうだ?」
「魔法師相手に、剣ですか? ウォルス様も冗談をおっしゃるのですね」
「冗談だって? カーリッツ王国の魔法師団長は、騎士団長に鍛えられていると聞いたことがあるぞ」
「あのダラス殿から、ですか。それでもあの身体では……」
ネイヤは懐疑的な視線をフィーエルへと向ける。
「俺が見たところだと、ベネトナシュとそこそこやれると思うが」
「……そこまでおっしゃるのなら、一度手合わせさせましょう」
太陽が頂点を過ぎた頃に着いたのは、かつては家畜を放牧していたと思われる空き地だ。
凄まじい量の草が覆っていたが、それはフィーエルが魔法で全て刈り取り、その草は今や、俺やセレティアたちが座るクッションになっていた。
「剣はネイヤのを貸してやればいいんじゃないか?」と俺は、唯一たったまま観戦しようとしているネイヤに言った。
「私の剣は、一般的なものより重いですよ」
ネイヤは無理だろうという顔を、フィーエルへと向ける。
「それで結構です」
フィーエルは笑顔を返すと、両手を差し出す。だが、距離は離れており、手渡しできる距離ではない。
ネイヤは軽く溜息を吐くと、腰から抜いた剣を空高く放り投げた。
放物線を描いて飛んでゆく剣は、俺やベネトナシュなら普通に受け取れるだろうが、小柄な少女に向けて投げる代物ではない。
「ありがとうございます」
誰の目にも、フィーエルが手にした瞬間、剣の重量に負けて倒れると映ったはずだ。だが、実際は剣はフィーエルの手に収まる瞬間に風に包まれ、その軌道を完全に変えてから手に収まった。
「ウォルス様、あれは魔法ではないでしょうか」とネイヤが嫌そうに口にした。
「だから何だ? ネイヤは魔法師は正々堂々、正面からぶつからないから嫌いなんだろう。遠距離攻撃をするわけでもないし、あれはれっきとした剣技の一つ、だと俺は思うが」
「……そうですね、魔法剣士なる者もいますし、自分の弱点を補うため、長所を伸ばすために使えるものは使う、剣士として強くなるために必要なことでした」
ネイヤの表情は先ほどまでのものとは違い、真剣に二人の手合わせに興味を示し始めている。
なかなかいい傾向だな、と俺も二人に顔を向けると、お互いの距離をじりじりと詰めだしていた。
「手加減はしません」
「望むところです」
フィーエルは体全体にまで風を纏わせ、限界まで軽くした体で以って、剣士としての反応速度の遅さを、その後の速度でカバーする作戦のようだ。
ベネトナシュが頭上から振り下ろした一撃を
「魔法師とは思えない動きですね」とネイヤが素直に驚いてみせる。
だが、やはり剣士ではないゆえに、剣筋が素直すぎて攻撃のバリエーションがあまりに少ない。
「あれじゃあ、剣に重さがない。ベネトナシュも疲れないし、そのうち慣れるな」
いくら魔法で、軽く、速く動けるとしても、体がそれに耐えられるかは別だ。
普段から剣士として鍛えていないフィーエルは、限界を迎えるのも早い。
「速度が落ちましたね。これで終わりですよ」
一瞬の隙を突いて、ベネトナシュがフィーエルの胴を薙ぐ一撃を放った。
完全に不意を突かれた一撃はかわすことはできず、ガードすれば、体が小さなフィーエルは体ごとふっ飛ばされるのは必至だった。だが、フィーエルの選択は違った。
「おあいこです」
今まで出さなかった突きを、最後の最後で喉元目掛け全力で放ったのだ。
その突きも、胴を薙ぐ一撃も、お互い止まることを忘れ、越えてはいけない一線を越えようとしていた。
「ここまでだ」
俺は瞬時に二人の間に割り込み、左手に持った剣でベネトナシュの一撃を防ぐと、右手でフィーエルの手首を掴むことで動きを封じる。
二人はしばらく何が起きたか理解できなかったのか、目をパチクリさせながら、俺と自らの剣を交互に見つめていた。
「これで、ネイヤも魔法師が捨てたものじゃないとわかっただろう」
「――――そうですね、彼女は素晴らしい魔法師であるとともに、勇気ある剣士であることも証明しました。私は、フィーエルを立派な剣士として認めようと思います」
いや、それはちょっと違うんじゃないかな、という思いが一瞬頭をよぎったが、認めたなら何でもいいかと無視し、酒場に行って二人を労うようにセレティアに提案した。
「それはいいわね。仲良くなれたようだし、今後の方針についても話し合う必要があるでしょうし」
柔らかい草の上で尻も休まったのか、セレティアは機嫌よく答えた。