第31話 奴隷、現在の自分に戻る
鉱山都市ガーディア。
ここは、エレントスから早馬で北に半日ほどの距離にある町だ。
フィーエルの服を最も早く調達できるため立ち寄ったのだが、ここでフィーエルの手持ちでは足らないことが判明した。
「すみません……」とフィーエルが言いながら頭を下げる。
「別に謝ることじゃない。あんな状態でなくさなかっただけマシだ。足らない分は俺が出す」
「いいのですか、そのお金はユーレシア王国のものでは」
「……俺がその分働いて返せばいい。一時的に借りるくらいで、セレティアも文句は言わないだろう」
セレティアなら、こんな格好で歩かせているほうが問題だ、と怒るに違いない。
俺もセレティアの性格を、多少は理解してきているつもりだ。
「服を買うのと一緒に、フード付きの、耳まで隠せる外套も買っておこう。カーリッツ王国では、エルフというだけで危険な可能性がある」
親衛隊からの連絡がなければ、そのうち失敗したと気づくだろう。そうなれば、街中でもエルフは監視対象に入るのは間違いない。そうなる前に、カーリッツ王国を出ていけるだろうから問題はないが、手掛かりを残すことになってしまう。
「じゃあ、地味なもののほうがいいですね……」とフィーエルは沈んだ声で言う。
「逆に目立つからダメだぞ。俺と並んでも遜色ない程度のものにしないと」
フィーエルは俺の頭からつま先まで一通り見て、「かなりいいものですけど、大丈夫でしょうか?」と不安そうに尋ねてきた。
「こればかりは仕方がないだろう。その分、フィーエルにも働いてもらわないといけないが……」
「何をすればいいんでしょうか……魔物の討伐、とかなら大丈夫ですけど」
「簡単なものだ。セレティアに魔法の基礎から応用まで、徹底的に鍛えてやってほしい」
「…………」
「どうした? 魔法師団でも指導はしていたし、フィーエルなら大丈夫だろ」
王女が相手ということで、魔法師団の連中とは違って緊張するのかもしれない。と俺はフィーエルの肩に手を置いた。
「ライバルに、ですか」
「四属性扱えるといっても、ポンコツすぎてフィーエルのライバルにはなりえないぞ。俺は魔法が使えないことにしてるから、フィーエルの手で、ライバルになるくらいまで鍛えてくれると助かる。あそこまで半端な奴を見ると、ムズムズしてきて仕方がなくてな」
「私が教えなければ、どうするおつもりだったのですか」
「そうだな――――俺が勉強したことにでもして、コツくらいは教えるかもしれないが」
「ウォルスさまが教えるくらいなら、私が教えます」とフィーエルは力強く答える。
「そうか、よろしく頼む」
「ウォルスさまに褒められるように、頑張ります」
急にやる気を見せるフィーエルに少々戸惑ったが、これで心配の種が一つ減ったのは喜ばしく、俺は無意識にフィーエルの頭を撫でていた。
町を半日ほど歩き回り、フィーエルにぴったりな、魔法師専用の服を手に入れることができ、フィーエル自身も気に入った様子でよかったのだが、予想以上に高い買い物となってしまった。
流石、宝飾品に強い街なだけあって、魔導具もいいものがそれなりに安く売っており、ついつい余分に一つ買ってしまったのだ。
これは複数属性を扱うために有効なもので、魔力の同時出力を安定させるのに役に立つ。のちのちセレティアに必要なものでもある。
「本当によかったのでしょうか……かなり高額でしたよ」
「……必要な投資だ……たぶん」
その時期が今、なのかはわからない。
セレティアに文句を言われると困るので、今回使った金は全て、フィーエルの服で飛んだことにした。というわけで、魔導具を渡すのはフィーエルの役目にしてある。これで、フィーエルの印象もよくなるはずだ。
買い物を済ませ、二人並んで歩いていると、フィーエルの機嫌がいいのがよくわかる。だが、俺は伝えておかなければいけないことを、このタイミングで話すことにした。
「フィーエル、これから話すことは、フィーエルが俺の側にいるなら、絶対守ってもらうことになる」
「……はい」
俺が出す空気に気づいたのか、さきほどまでの機嫌のいいフィーエルはいなくなっていた。
少し重い空気のまま雑多な街を抜け、多少、人が少なくなった通りへ出ると、そこに並べられているベンチに腰掛けた。
「――――よく聞いてくれ、これからの俺はウォルス・サイで、フィーエルとは昨日初めて出会い、助けただけの関係になる。俺がアルスであった頃のことは、胸の中に仕舞ってくれ」
万一、俺がアルスというのが広がった場合、王宮にいるアルスの耳にもきっと入るだろう。そうなった場合、何が起こるか想像がつかない。
俺の存在を怪しんでいるのはダラスくらいのものだが、王宮にアルスがいる限り、俺がアルスとは気づかないだろう。
総合的に判断しても、俺はアルスではなく、完全なウォルス・サイとして生きるのが一番いい、というのが俺が出した結論だ。
「改めて言われると、寂しいですね……わかっていましたが、もうアルスさまとお呼びできないのは」
「新たな関係を築いていけばいい。俺は、ウォルス・サイとして生きていく道を選ぶ」
フィーエルは買ったばかりの外套のフードを深く被り、俺から見えないように顔を隠した。
このままでは、きっとフィーエルはボロを出す。と俺は直感した。
奴隷として生まれた時点で、アルスに戻る考えは断ち切っていたが、今はそれ以上に、俺とは違うアルス・ディットランドが存在した以上、俺がアルスとして存在することは、危険を呼び寄せる原因にしかならない。
俺はフィーエルの手を取ると、そのまま町外れの、誰もいない区画へ連れてきた。
「ウォルスさま、どうかなさったのですか?」とフィーエルは怪訝な表情で尋ねてきた。
「フィーエル、俺は血契呪を受けて産まれた時点で、転生魔法は失敗だと認識していた。それに、何の因果か、もう一人のアルスが存在してしまった世界では、二度とアルスとして生きるつもりはない。今さら戻ったところで、面倒事が増えるだけだからな」
「……理解しています」
フィーエルの表情は言葉とは裏腹に、まだ心の整理がついていない、と俺は判断した。
「このままじゃ、フィーエルに不満が残りそうだからな。ここで思い残すことなく、俺の名を呼んで、言いたいことは言っておけ」
フィーエルはフードを脱ぎ、俺を怖いくらいに見つめると、ただ「わかりました」とだけ答える。
「アルスさま」
「ああ、ここにいる」
「アルスさま、……アルスさま、アルスさまッ」
「ああ、聞こえている」
「ただのウォルスさまになっても、私の気持ちは変わりませんから」
「俺も、フィーエルが大切なのは変わらない」
「アルスさま、もう死なないでくださいッ」
「流石にそれは無理だな」
「なら二度とアルスさまから離れません。今度はちゃんと、おじいちゃんになるまで生きてください。次も私が看取ってあげますから」
「それはありがたいな、よろしく頼む」
このあとも、フィーエルは喉が枯れるほど叫びまくり、日が暮れる頃になって、ようやくそれは終わりを迎えた。
「――――もう気は済んだか」
「……はい、もう一生分は叫びましたから。――――今この時を以って、あの時、私を助けてくださった、ただのウォルスさんとして接することにします。これからは、アルスさまを困らせるようなことはしません」とフィーエルは言うと、今にも消えてしまいそうな笑顔を向けてきた。