第30話 奴隷、フィーエルに振り回される
「――――その、ウォルスさまを奴隷にされているという、不届きな王女殿下はどこですか? 私が話をつけますから」と言ったフィーエルから、若干殺気が漂ってきた。
「ちょっと待て、最初に言っただろ、俺をウォルス・サイとして理解してくれと」
「ですが……ウォルスさまが奴隷だなんて」
フィーエルは両肩を震わせ、顔を紅潮させてゆく。
「話し合いでダメなら、……奴隷でなくなるには確か、主人である、王女殿下の息の根を……」
「それはダメだ、俺は血契呪で縛られているからな。セレティアが死ねば、俺も死んでしまう」
「王女殿下はセレティアさまというのですね……それにしても酷いです……そんな力でウォルスさまから自由を奪うなんて」
俺のことになると、見境がなくなるのも変わっていない。
フィーエルが周りの反対を押し切り、神樹の森を飛び出してきた時のことを思い出した。俺が命を助けたばかりに、フィーエルの人生を大きく変えてしまった。もし俺ではなく、エルフの民が助けていたなら、こんな目にも遭っていなかっただろうに、と申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
「勘違いしてもらっては困るんだが、俺はそれなりに自由があるからな。今ここにいるのもセレティアが何も言わず、俺を送り出してくれたからだ」と俺が言うと、フィーエルが安堵した顔を見せる。
「セレティアは、王女と奴隷という身分の違いが嫌いなところがあってな、お互い平等な扱いをさせる、ちょっと変わった奴なんだよ。魔法は今のところポンコツだが、四属性を同時に扱えるだけの素質はあるし、見所はあるはずだ」
「――――ウォルスさまは、セレティアさまのことを、随分買ってらっしゃるんですね」
フィーエルの気配が少し変わった気がするが、気のせいかもしれない、と俺は続けることにした。
「そんなことはない。俺は客観的に判断して、公平な評価をしている」
「ウォルスさまがムキになるなんて、珍しいですね………………その、セレティアさまという方のことが、……好きなのですか?」
「は? 何を言ってるんだよ」と俺は言って、軽く笑い飛ばした。
「セレティアは十六歳で、俺とは親子ほどの差があるんだぞ。俺は体は若くなったが、中身は四十七歳のオヤジでしかない」
「それがなんだっていうんですか……見た目とか年齢なんて気にしてたら、私はどうなるんですか…………私は人間と恋もしちゃいけないって言うんですか……」
「いや、誰もそこまでは……」
フィーエルが、俺より年上だということを失念していた。
詳しい年齢は教えてくれないが、俺が助けた時から少女のままで、態度も見た目どおりのため、ついつい子供のように扱ってしまう。
「フィーエル、俺が悪かった」
「……謝罪なんていいんです。だから、そんな理由で逃げるのだけはやめてください」
「ああ、肝に銘じておく。まあないとは思うが、真剣に接しないとセレティアに失礼だな」と俺が言った瞬間、フィーエルの顔が引きつる。
フィーエルは引きつった顔のまま俯くと、なぜか喋らなくなってしまった。
やはり、いくら真剣に向き合っても、「ない」と言ったのはマズかったか、と思った俺は、フィーエルから回収しておいたナイフを取り出した。
「フィーエル」
「それは……」
顔を上げたフィーエルは、ナイフを両手で受け取ると、大事そうに胸に抱きしめた。
「魔導回路は治療中に俺が焼き切っておいた。一つ確認しておくが、どうしてそんなものを持って逃げたんだ。逃げ切れないのはわかっていただろ」
フィーエルは凄く幸せそうな表情でナイフを見つめ、「世界一大切なものだからです。たとえ、今のアルスさまに殺されようと、手放す気はありませんでした」と言い切った。
「……そうか、そこまで大切にしてくれるのは嬉しいが、俺はフィーエルが傷つくほうが嫌だからな。もし、命の危険があれば命を優先してくれ、これは俺からのお願いだ」
「――――はい、でも今回はお許しください。こうして、再びウォルスさまとお逢いできるきっかけになったのですから」
「……そうだな」
大河を照らしていた光球の大半が消え、かなり暗くなってくると、夜空に輝いていた星が主張し始める。
「今日はもう遅い。あとは明日にしよう」と俺は少し離れた川辺にある、一本の大木を指差した。
「……はい。……あの、手を繋いで寝てもよろしいでしょうか……また、いなくなってしまいそうで」
「別に構わないが」
俺はフィーエルの手を取り、初めてフィーエルと出会った夜以来、二十五年ぶりに、樹の下でともに夜を過ごすことにした。
◆ ◇ ◆
木漏れ日の光と、大河が流れる音とは別の、人為的な水を流す音で目が覚めた。
体を起こすも、隣で寝ていたはずのフィーエルの姿はなく、少し離れた川辺に、フィーエルの焼け焦げた服が畳まれて置かれていた。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたか」とフィーエルが川から顔だけを出して言う。
髪の毛を染めていた金色の染料は溶け出し、既に元の銀髪に戻っていた。
ハイエルフであるフィーエルは、エルフの中でも特別視されるのを嫌がっていたため、髪の毛を染めてまで自分を誤魔化していた。それを今やめるということは、少しでも追っ手の目を撹乱させるつもりなのだろう。
アルスも、フィーエルがここまでするとは思っていないはずだ。
「俺こそ悪い」
俺が後ろを向くと、フィーエルが川から上がる音が聞こえてきた。
「フィーエル、……昨日は、あのまま流れてどこに行くつもりだったんだ? 当然、神樹の森だよな」と俺は言って、念の為、瞼も閉じておいた。
「違います。世界を旅して、本当にアルスさまが転生に失敗していたのか、調べようと」
「何年かかると思ってるんだ。それに、王宮にはアルスがいるってのに」
「私はエルフですよ。人間とは時間の感覚が違うんです」
フィーエルの声と一緒に、服を着る音が俺の耳を刺激してくる。
「アイネスがアルスさまの下を去る時に、私に言ったんです。『アタシはあれをアルスだとは認めない』って。だから、もしかしたら、アイネスも認めるアルスさまが、どこかにいるんじゃないかと思って」
「そうだ、アイネスはアルスから去ったんだったな。そういや、ダラスはどうして今のアルスに従うんだ? あいつなら、一番にアルスを責めそうなものなのに」
ダラスの名前を出した途端、フィーエルの動きが止まる。
「おそらく、フェスタリーゼさまのためかと」
嫌な名前が出てきた、と俺は思わず唸ってしまった。
そんな俺を見てか、フィーエルがくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「あの噂の方は、ウォルスさまだったのですね。ダラスさまにもお勝ちになったとか」
「ああ、あの年寄め、実力が落ちてないんだな」
「フェスタリーゼさまをお守りするために、毎日かかさず鍛錬を積んでおられましたから」
ダラスがアルスに楯突けば、フェスタリーゼの立場が悪くなるということか。
フェスタリーゼはイルスの娘のはずだが、イルスは何をしてるんだ……ここまでダメな奴じゃなかったはずなんだが、と俺は自然と拳を握り込んだ。
「イルスも今は王だろ。どうしてアルスをそこまで自由にさせるんだ」
「……イルスさまが、アルスさまに逆らっているところは見たことがありません。アルスさまが生き返ったあとは、よく二人でいるのをお見かけしましたし、関係は良好なのかと……」
イルスと、そこまで仲がよかった記憶はない。さらに人が変わったようなアルスと、どうしてそんなに良好な関係を築けるのかがわからない。
わからないことだらけだ。
「些細なことでいいんだが、イルスが邪教と繋がってそうな動きはしてなかったか?」
「そんな動きは記憶にありません――――あっ、もう着替え終わりましたから、たぶん大丈夫です……」
イルスが怪しいかと思ったが、そうでもないらしい。
着替え終わったということで振り向くと、そこには結構際どくなった服のフィーエルがいた。昨日はそれどころではなかったのと、薄暗い中だったためよくわからなかったが、焼け焦げた服はあちこち破損しており、素肌が露出している部分が目立っていた。
「目のやり場に困るな……まずは、その服をどうにかしないとな」
「そうですね、私も恥ずかしいです……」
俺が見すぎていたせいか、フィーエルはもじもじすると、側にあった樹の裏へ隠れ、顔だけをこちらに向ける。
「服を買ったあとは、神樹の森へ帰るんだぞ」
「嫌です。どうしてそうなるんですか」
「危険だからに決まってるだろ」
「私はこれでも、元魔法師団長なんですよ」
「――――それでもだ」
「それだけは聞けません。ウォルスさまから離れるつもりはありません」
フィーエルは可愛く舌を出し、俺に向かって『あっかんべー』をしたかと思うと、樹の裏に完全に隠れてしまった。