第28話 奴隷、責任をとる
さきほどまで明るかった世界も急激に暗くなり、今は闇が支配しようとしていた。
大河は天と地の境目がわからなくなり、ただ棺に水がぶつかる音だけが、ここが死者の墓場なのだと認識させている。
フィーエルの治療もほぼ終えたか、と手を止めたところに、強烈な光が背後から襲ってきた。それは、親衛隊の魔法師が空へ放った光球で、周囲が一瞬で昼間のように明るくなる。
「貴様、そこで一体何をしている。我々にその棺の中を確認させろ」と親衛隊を率いていると思われる者が声を張った。
親衛隊を率いているわりに年はまだ若く、三十歳そこそこに見える。当然ながら、俺の記憶にもない奴だ。
その周りを固める親衛隊にも、見覚えのある顔は一つもない。
数は三五人全て揃っているようで、死角からの不意打ちはない、と俺はフィーエルから離れ、親衛隊と対峙した。
「最近の親衛隊はなってないようだな」と俺は自分を落ち着かせながら言った。
まだ黒い感情は消えていないらしく、腹いせに殺してしまいそうだったからだ。
「ガキが、昔を知っているようなことをよく言う。今すぐこの場を去れば、見逃してやらんこともない」
隊長の気配からは嘘を言っているのがヒシヒシと伝わり、背を向ければ口封じのために襲いかかってくるのは目に見えている。
ここまで親衛隊としての誇りを失い、とことん腐った組織になっていることに、怒りとは別の何かが俺を突き動かす。
傷を治したフィーエルなら動かしても大丈夫なため、俺が抱きかかえて逃げるだけで済むかもしれないが、親衛隊創設者として、こいつらをこのまま帰すわけにはいかない。と俺は覚悟を決めた。
「お前たちが捜してるのはフィーエルだろ。見つけ出してどうするつもりだ」と俺は自分でも驚くほど冷静に、冷たく突き放すように口に出した。
「……どうしてそんなことを知っている。貴様、何者だ」と隊長が口にすると、隊長以下、全員の目に敵意が宿る。
「そんなことはどうでもいい。フィーエルをどうする気だ、と聞いている」
俺が一歩近づこうとした瞬間、親衛隊から飛び出してきた男が俺を斬りつけてきた。
俺の胴体を両断する軌道の一撃は、ダラスのものと比べるとあまりに遅く、剣身を掴めそうでもある。だが、俺は違う選択をした――――。
「俺の話を聞けッ!」
男の剣を避けることなく、さらに踏み込んで前へ出た俺は、男の頭部を拳で思い切り殴りつけ霧散させた。頭部を失い、力なく倒れた体から噴き出した血液が、地面を赤く染めてゆく。
「――――貴様ッ。全員抜剣、構えろッ」
隊長の声で、固まっていた連中が瞬時に抜剣し、戦闘態勢に入った。
エリートだけあって、この程度で引く様子は見せない。
だが、今の俺にとって、そんなことはどうでもよく、気に留める必要すらなかった。
「この中の魔法師も、団長のフィーエルに教えを請うた者もいるだろう。自分が今、何をしようとしているのかわかっているのか」と俺は言葉に殺気を込めて放った。
「貴様には関係ないッ」
「俺に関係なくとも、フィーエルには関係がある。お前たち親衛隊の中で、フィーエルの反撃で死んだ者はいるのか?」
隊長以下、親衛隊たちの表情が固まる。だがそれも一瞬のことで、すぐさま元に戻すと、魔法師の一人が俺に対して火球を放ってきた。だが、俺はそんなものは歯牙にもかけず、全属性無効魔法を付与した拳で消滅させた。
これでこいつらの力も把握でき、フィーエルの傷も合点がいった。
やはり、フィーエルは誰も殺さないよう、無理をして魔法を調整していたのだろう。フィーエルの魔法は風属性に特化している。いくらフィーエルでも、苦手な火属性魔法を使う親衛隊複数を殺さず、延々相手にできるわけがない。
フィーエルの、そんな想いなど理解しようとせず、ただ上の命令に従うだけのこいつらに、再びあの黒い感情が湧いてきた。
「アルストロメリアのことを、そこまで知っている貴様のことも気になるが、ここで消えてくれれば、何も問題はない」と隊長は右手を上げて叫んだ。
魔法師たちが同時に詠唱を開始し、剣士が俺とフィーエルが入った棺を囲うように広がった。
魔法師が唱えているものは、火属性の一等級魔法である広範囲型大規模殲滅魔法。流石に、これを防ぐには、大気中の魔素を大量変換する必要がある。だが、その間に剣士が斬りかかってくるのは間違いない。俺だけなら構わないが、フィーエルと同時にやられると厄介だ。
「裏切り者とともに死ぬがいい。全てはハーヴェイ様と、アルス様のために」
再びフィーエルを侮辱したうえ、アルスという名を男が口にした瞬間、抑えていた俺の中の何かが弾けた。
大気中の魔素を一気に変換、吸収すると、一瞬にして大量の魔力が体の中を駆け巡る。
かなり無茶をしている自覚があるが、このウォルス・サイの体は、この程度の魔素変換では全く影響が出ないことに、さらに感情が高ぶるのがわかった。
「
魔法師たちが魔法を発動しようと手のひらをこちらに向け、剣士も一斉に俺とフィーエルに斬りかかってきた。だが、俺の魔法はそれよりも一瞬早く発動した。
「な、なんだッ!?……」と隊長が地面へと片膝をつく。
それと同時に、他の連中も立っていられなくなり、次々と膝をついていった。
俺の周囲を除いて、木が倒れるほどの地震が起き、地面が隆起し割れてゆく。それは急激に広がり、大地は奈落へと続く穴に吸い込まれるようにして消え始めた。
「全員一時退避ッ――――!」
そう声を発した親衛隊の隊長が、奈落へと吸い込まれる。それを見た剣士は走り出し、一部の魔法師は空へ逃れようと魔法を発動していた。
「無駄だ」
俺が使った魔法、それは複数属性による永続型天地創造魔法。
この魔法から逃れるためには、この魔法の魔法力を上回る魔法を使うか、莫大な魔力を使って脱出するか、全属性無効魔法を周囲に張り巡らせる程度の力が必要となる。それ以外は奈落の底へ落ちるまで、永続的に行使され続ける大規模殲滅魔法だ。
剣士たちが真っ先に奈落の底へ落ちてゆくが、それには目もくれず、魔法師たちは一時的に宙に舞って逃げようと俺から背を向けた。だが、すぐに奴らは異変に気づいた。
「これはッ……重力魔法ッ」
奈落の底から強烈に引き寄せられる無属性重力魔法、さらに上空から押さえつけられる風属性魔法によって、魔法師たちは次々に奈落へ引きずり込まれた。
全員を飲み込み終わると、奈落への穴は大地を創造するように、新たな地形を創り上げてゆく。
「さっきと風景が変わったな」
地形が変わると同時に、上空にあった光球は力を弱め、再び暗闇の世界が広がろうとしていた。
さっきまでの戦闘が嘘だったかのように静まり返り、虫の声すら聞こえてきそうなほどだ。
「アルス……さま」
背後からした懐かしい声に、胸が高鳴り、思わず返事をしそうになったが、拳を握りしめ、腹の底に押し留めた。
今の俺はアルス・ディットランドではなく、奴隷のウォルス・サイであり、フィーエルの知るアルス・ディットランドは、フィーエルを失望させ、あまつさえその命を奪おうとした最低の人物だ。
「なんだ起きていたのか――――何か勘違いしているようだが、俺はウォルス・サイ、ユーレシア王国の者だ」と言いながら、俺はゆっくりと振り返った。
そこには涙をポロポロと流し、俺を見つめるフィーエルが立っていた。