第127話 奴隷、潜入を開始する
転生してからカーリッツ王国にやってきたのは、これで三度目となる。
王都の民はイルスが亡命したことなど知らないようで、全く混乱もなければ、未だアルス・ディットランドの活躍を肴に酒を呑んでいる連中が目につく。
街は活気に溢れ、いくら偽アルスによって撃退したとはいえ、ヴルムス王国が
「もう一度戻ってこられるとは思いませんでした」
「アタシだってそうよ。二度とアルスの顔を見ることなんてないと思ってたわよ」
フィーエルが涙目になりながら呟き、アイネスがフィーネルの頭を撫でながら、彼方に見える王宮を見据える。
フィーエルはついこの間のことだが、アイネスがいつ出ていったのか詳細は知らないが、アルスが生き返ったと言ってすぐ出ていったのなら、この世界の時間で十七年ぶりになるはずだ。
神霊界にいたアイネスにとって、その時間が人間と同じかは不明だが。
「ウォルス、王都に入ったのはいいけど、正面から行くんじゃないでしょうね?」
「王族しか知らない脱出用の隠し通路を、逆に進んで行こうと思う。まさか逆に攻めてくる者がいるとは思っていないだろう。それにアイネスがいたほうが、何かと都合もいいしな」
「嫌な予感しかしないわね」
アイネスは頬を引きつらせ、フィーエルのローブの中へと隠れる。
「隠し通路というと、どこかから地下へ潜るんですか」
「地下と言えば地下だが、厳密には水中だな」
「水中、ですか……」
イマイチよくわかってなさそうな表情を見せるフィーエルを連れ、王都のはずれを目指す。
そこは川沿いに製粉所である水車小屋が立ち並ぶ地区であり、これらを所有している商人ギルドの管理が厳しいため、滅多に人が近づかない場所でもある。
「こんな所にいたら目立ちますよ」とフィーエルは警備をしている男に目をやりながら囁いた。
「目立ったところで問題ないだろ。衛兵を呼ぶには時間がかかるし、何よりギルド所有の製粉所に手を出さなければ通報さえされない」
そう言いながら、俺は水車小屋の一つに向かってゆく。
「ちょっとちょっとぉ! アンタ今自分で言ってたでしょ、手を出さなけれ通報されないって! 言った矢先に入ろうとするなんて、何考えてんのよ」
扉の取っ手に伸ばした手を、アイネスが必死に引っ張り、フィーエルはそんな俺を心配そうに見つめてくる。
気が触れたとでも思われてるのだろうか……。
「よく見ろ、警備をしている男たちは反応していないだろう」
「そう言われればそうね。でもどうしてなの?」
「この小屋をよく観察すれば、自ずとその答えがわかると思うが」
周りの小屋と見比べたフィーエルが耳をピクピクとさせ、何かに気づいた反応を示す。
「中から製粉機の音がしませんね。それに、裏の水車が動いてません」
「ここはギルド所有の製粉所じゃないからな。一応国の所有物ということなっている、見せかけだけの水車小屋だ」
何年経っても、ここが残っていてくれて助かる。
もしここが残っていなかったら、強硬手段に出るしかなかった、と安堵の息が漏れる。
「ふーん、そういうことね。でも、普段はこんな所に用がある人間なんていないでしょ」
アイネスはこちらを気にしていない警備の人間を、訝しげに見つめる。
「まああれだ、男女二人で入るから、勝手な思い込みをしてるんだろう」
「男女二人? 思い込み? 何よそれ」
首をかしげるアイネスの横で、フィーエルは気づいたらしく、顔を赤くして俯いてしまった。
中へ入ると昼だというのに薄暗く、動くことのない製粉機が埃を被って放置されている。
その横には、誰が敷いたのかわからない藁の上に布がかけられ、簡易のベッドのようなものが作られ、普段からどういう使い方をされているのかが窺い知れた。
「あ、ああぁぁ! そういうことね!」
アイネスは合点がいったとばかりに、その簡易ベッドの上をふわふわと浮遊しはじめる。
「全く人が来ないのも問題があるからな、下の者には自由に使っていいと伝えてある」
本当にこんな使い方をしているとは思いたくはなかったが、目の前の現実がそれを如実にあらわしていた。
「で、アンタは何をしにここへ来たのかしら?」とアイネスはイタズラ心に満ちた顔を向けてくる。
今から生死を賭けた戦いに行くとは思えない、普段と変わらないアイネスの態度に、思わず口元が緩むのを感じる。
「フィーエルぅっ! ウォルスはヤル気よ、とうとうヤル気になったのよ!」
「用があるのは、この井戸だ」
「へっ?」
間抜けな顔を見せるアイネスに向けて、誰も使っていないであろう古びた井戸を指差した。
木の蓋がされたそれは腰の高さもなく、蓋がなければ危険極まりないものだ。
「この井戸は、王宮の井戸に繋がっている。当然、通路となる道は水で満たされているけどな」
「王宮までいったいどれだけの距離があると思ってんのよ。普通の魔法師の魔力じゃ息も続かないわよ」
「魔力がアルスだった頃の俺か、常に魔素変換できるレベルじゃないと使えない。いわゆる欠陥の脱出路だ」
「……だからアタシを使おうっていうのね」
俺が笑顔を返すと、アイナスは観念したように井戸を見下ろした。
「はいはい、アタシが先導してあげるわよ。この距離を魔素変換なんてしながら行ったら、アルスと対峙する時にはヘトヘトで動けなくなるわよ」
そこまで非効率な魔素変換もしなければ、体力も十二分すぎるくらいあるんだが、と口走りそうになったが、ありがたく好意を受けることにした。
「そうだな、ここはアイネスの言葉に甘えさせてもらおう。通路の水を
「仕方ないから、手伝ってあげるわよ。でも、一回だけよ、わかった?」などと言いながら、アイネスは鼻息を荒くし、俄然やる気を見せてくる。
「王宮に着いたら、アイネスはフィーエルの護衛を、フィーエルも身を守ることに専念してくれ」
「わかりました」
「言われなくてもそのつもりよ。アンタがやるべきことは一つだけなんだから、それだけに集中していればいいの」
「ああ」
アイネスは俺の目を見て、安心したように井戸へと潜ってゆく。
だが、フィーエルの顔は一切見ることはなかった。