第27話 奴隷、再会する
エレントス北西の森。
隣国、ルモティア王国北部へと繋がる大河は、川幅が小都市一つが入ってしまうほど広く、昔から聖なる川として崇められている。
今はほとんど行われていないが、その昔は棺に模した舟に遺体を乗せ、川に流す
当然のことながら、途中で力尽き、川岸で朽ち果てる舟も多かった。
陽が落ち始め、陰が多くなってきた川のほとりで、俺はそんな朽ち果てて原型を留めなくなった舟の残骸を横目に、ハーヴェイ・ディットランドのことを考えていた。
俺によく似た容姿をした子供。
それは確実に、アルス・ディットランドが生きていることの証左だった。
謎は深まるばかりだが、それもフィーエル・アルストロメリアを助け出せば、ある程度は解き明かせるはずだ。と俺は魔力感知魔法を空へ向け発動した。
俺の力なら、精度を多少落とす程度で森の大半をカバーできる。
「――――巨大な魔力はなしと……」
最初から期待はしていなかったが、フィーエルらしき魔力は見当たらなかった。
逃亡しているのなら、そんなわかりやすい魔力は隠すのが常識なため、改めて、それとは違う魔力を探すことにした。
動物や魔物の魔力は、人間の、それも鍛錬で制御された魔法師のものとは根本的に違うため、簡単に排除できる。
問題は、森の中に点在する人間の魔力だ。
これはある程度条件をつけて、絞っていく必要がある。
一段階目は、ある程度の魔力を持っていて、動きがない個人、集団を排除した。
これは、フィーエルならもっと上手く魔力を隠すだろうし、親衛隊なら動かないのは不自然なためだ。
これらは、ただの冒険者の蓋然性が極めて高い。
二段階目は、不規則な動きをする魔力を排除することにした。
これもフィーエルや親衛隊であるとするのは、無理があるためだ。
そうして絞ってみると、いくつか動きがあるものの中で、気になる動きをするものが見えてきた。
五人ほどの集団が七つほど、規則性のある動きをしていたのだ。
その集団はある程度離れていて、普通なら進むべき方向に違いがあってもいいはずなのだが、不自然に、ある一点を目指して進んでいた。
その七つの集団が囲むようにして目指していたのは、何も反応がない川岸だった。
俺の魔法に何も反応しない空白地帯に、その集団は何かを恐れるように、慎重に、ゆっくりと、獲物を追い詰めるかのように進んでいた。
今からなら、俺のほうが確実に、早く、その何もない地点に到達できる。
だがこの他にも、俺の魔法に僅かに反応した弱い魔力が、単独で複数存在していた。それらはゆっくりと国境へ向かっており、そのどれかがフィーエルの可能性も考えられた。
「全てを調べるには、時間が足りないか……」
陽が完全に落ちてしまうとこちらも動きづらくなり、魔物の活動も活発になってしまう。それゆえ、俺はこの最も怪しい動きをする集団に賭けることにした。
魔力の反応がゼロの地点に何があるのか、それを考えると嫌な考えばかりが込み上げてくるが、今はそれらを封印し、俺は全力でその地点へと向かった。
森を進行している複数の集団に気づかれないよう、俺は川辺を駆け抜け、一足早く目的の場所へと着くことができた。
そこはまさに、天国へ行けなかった者たちの墓場。
砂地に乗り上げた無数の棺の半数は腐り、大量の人骨をバラ撒いていた。
「……こんな場所にいるっていうのか?」
のんびり構えている時間はなく、俺は焦る気持ちを抑えながら、まだ原型を留めている棺の蓋を、手当り次第開け始めた。
だがそれもすぐに、無駄な行為だと気づいた。
なぜなら、明らかに新しく、この場に似つかわしくない棺を一つ見つけたからだ。
たった今流れ着いたように思えるそれは、どこも汚れておらず、中に遺体が入っているかも疑わしいほどに飾り気がない。
通常、舟葬では故人縁の品や、色とりどりの花で飾られているものだが、それには一切そんなものがなかった。
――――蓋を開けるのを躊躇してしまうほどに怖い。と俺は思わずにいられなかった。
朽ちかけの棺は何とも思わなかったのだが、これはそれ以上に無機質で冷たく、死というものを強く連想させてきた。
心のどこかで、フィーエルなら簡単に殺られはしない、そう思っていた自分の考えが甘かったのではないか。と現実を叩きつけられたような気分だ。
心が弱くなると、悪いことばかりが頭をよぎるもので、この中に、フィーエルが眠るように収められているのではないか、と頭に浮かんで離れなくなってしまった。
こんなことではダメだ、と俺はそんな考えを払拭するように、震える手に力を込め、棺の蓋を一気に開けた。すると、そこには、俺の記憶にあるフィーエルが当時の姿のまま、丸くなって横たわっていた。
「フィーエル……」
ただ綺麗なのは顔だけで、服は焼け焦げ、体の半分以上は酷い火傷を負い、一部は壊死し始めていた。
瀕死のフィーエルに魔力を抑えている様子はなく、完全に魔力枯渇を起こしているのだけは確かだった。そのフィーエルの居場所を、どうして親衛隊がわかったのかは、フィーエルが胸の前で大事そうに握りしめている物を見て、俺はすぐに理解できた。
それは、フィーエルが魔法師団に入団が決まった当時、俺が与えた護身用のナイフだったからだ。そのナイフは対となっている魔導具の片割れであり、離れると居場所がわかるようになっている。
人間の世界に不慣れなフィーエルが迷子にならないように、本体の魔導具は俺が持っていたものだ……。
「どうして置いてこなかったんだ……」
それ以上、かける言葉が見つからなかった。
裏切って国を出ようとすれば、追っ手に利用されるのはわかってたはずなのに。
「ア……ルス……さま……」
気を失ったままのフィーエルの口からこぼれた名前、同時に、閉じられた瞼からあふれた涙が頬を伝い、棺を濡らした。
これで俺は確信した。フィーエルはやはり裏切ってはいなかったと。
――――刹那、黒く歪んだ感情が、俺の全身を包み込んだ。
殺したい。何も考えず、ただ殺したいという欲求。
王宮にいるアルス・ディットランドが何者かなど関係なく、純粋に殺したいと。
フィーエルをここまで追い詰めた、アルス・ディットランドは許されない存在だ。
今この時を以って、アルス・ディットランドは明確な敵となったのだと、俺は認識することができた。
俺は手遅れにならないうちに、フィーエルに一等級回復魔法をかけることにした。
魔力枯渇状態で一等級回復魔法をかけると、ショックでただちに目覚める可能性があるが、今は時間をかけていられる状況ではない。と判断せざるをえなかった。
フィーエルの状態もさることながら、親衛隊がもうそこまで迫っていたからだ。
今は目覚めないでくれ、と願いながら、俺は魔法を発動した。