第26話 奴隷、いざ救出へ
「わかった。カーリッツ王国から出ていこう。ただし、少し猶予がほしい」と俺は独断で返事をし、セレティアの顔を見た。
これはいくら何でも、一線を越えた発言だという自覚はある。
今後の方針について、俺が勝手に決められる立場にはないからだ。
ここで強く反対されれば、俺はそれを受け入れるしかない。
「――――まあ仕方ないわね。わたしも、それがベストだと思うわ」
最初は少し反応が希薄だったセレティアだが、この最悪な状況からの撤退ということで、少し安堵しているように見える。ここでカーリッツ王国と全面戦争になるより、お互い衝突を避けるほうが賢明だと判断したのだろう。
セレティアのこの判断に、俺は感謝と、
おそらく、事態はセレティアが考えている方向には動かない。なぜなら、俺がやろうとしていることは、邪教とカーリッツ王国の問題に片足を突っ込むどころか、捨て身で突っ込むくらいの危険なことなのだから。
「猶予かぁ、まあボクも鬼じゃないからね、別にかまわないよ。――――それなら一〇日後には、この国から出ていってもらおうか。この町じゃないからね」とハーヴェイは言うと周りの連中へと顔を向けた。そして、笑顔とも真顔とも受け取れる、冷たい表情で、「それと、君たちにも言っておくけど、この一〇日間、ここであったことは口外しないように。フェスタリーゼの耳にでも入ったら面倒だから」と低く温度のない声で命令した。
このエレントスから、最も近い隣国、ルモティア王国へ抜けるとしても、最低七日はかかるだろう。
ハーヴェイがよこした猶予というのは、実際はたった三日しかないということだ。
どちらにしろ、ハーヴェイの話だと、フィーエルが三日以上もつとは思えない以上、この三日は俺にとればかなりの余裕となる。
「一〇日か、それは気前がいいな」と俺はハーヴェイの気が変わらないよう、慎重に答え、「セレティアもそれでいいな?」と返事をさせる暇を与えず、半ば強引に頷かせた。
「それで、これからどうするのかな? このままパーティーを楽しみたい、と言ってもボクはかまわないよ。それを拒絶するほど不寛容ではないしね、歓迎するよ」とハーヴェイは両手を広げて語る。
「悪いが、帰らせてもらう。外で仲間も待ってるからな」
「それは残念だ。残るのなら、もう一度踊ってもらおうかと思ってたのに」
冗談で言ったのかと思ったが、ハーヴェイは本当に残念そうな表情を見せる。
「最後にカーリッツ王国を堪能するのもいいか……おすすめの町はあるか?」
隣に立つセレティアが俺の袖を引っ張り、理解できないといった表情を向けてきたが、俺は構わず話を続けた。するとハーヴェイは、少し北にある鉱山都市を勧めてきた。金属細工師が多くいる都市で、宝飾品を生産する拠点でもある。
きっと、セレティア用にでも、と思ったのだろう。
だが、俺の狙いはそこじゃない。
「近いなら結構なことだ。一つ気になるんだが、さっき言っていた逃亡者は、その近辺にいないだろうな? 巻き込まれるのはゴメンだ」と俺はいかにも嫌そうに答えた。
「それなら大丈夫。ここから北西の国境側へ向かったという話だから。安心して行くといい」
ハーヴェイは俺が意図することがわかっておらず、自分が口を滑らせている自覚がないのだろう。
随分とご機嫌な様子で答えてくれた。
「そうか……さらに西か。なら大丈夫だな」
俺はそれだけ言い残し、セレティアを連れて屋敷を出た。
このエレントスから北西の地域は、大河が国境を跨いで流れている。周りは鬱蒼とした森林が占めていて人が少ない分、探索する魔力源の数が少なく、フィーエルを捜すのが楽になるのは間違いない。
そんなことよりも、早くネイヤと合流してセレティアを預けないと、陽が落ちてしまう。
「早く出てきたから、こちらからネイヤたちを探さないといけないわね」
「そうでもないみたいだぞ」
屋敷の前でため息を漏らし、疲れた様子を見せるセレティアの前に、ネイヤたち七人が駆け寄ってきた。その姿に、セレティアは驚いた表情を見せる。
「タイミングが良すぎるわね。こんなに早く終わる予定でもなかったのに」
「ベネトナシュから、早めに向かったほうがいいと言われましたので。きっと問題を起こして出てくるだろうと」
そう報告するネイヤの後ろで、ベネトナシュは若干だが、居心地の悪そうな顔をしている。
まさかここでバラされるとは思っていなかったのだろう。
「そうだったのか、それはいい判断だったな。俺たちも今から探すのは面倒だったから、ベネトナシュには感謝しかない」と俺は普段は見せない、柔和な笑顔で言葉をかけた。
「い、いえ、お褒めいただき、ありがとうございます……」
嫌味で向けただけの笑顔、そう思われたかもしれない。
実際ベネトナシュの発言は、俺を問題児と判断しているもので、陰口を叩いていたのと大して変わらず、上官へ向ける言葉としては不適切だ。
俺も半分反省してもらう意味を込めてしたのもあるが、もう半分は本当に感謝している。
「でも、本当にこのタイミングで出てこられるとは思ってもみませんでした。中で何があったのです?」
ネイヤは周りの衛兵を気にしながら、セレティアへ尋ねた。
「まあ色々とね。最初からバレてたのよ。ねえ、ウォルス」
「そういうことだ。それで、一〇日後にはカーリッツ王国を出ていかなきゃいけなくなった。今すぐじゃないが、山越えの用意はしておいてくれ」
ざわつくベネトナシュたちに比べ、ネイヤは冷静だったのだが、「まさかとは思いますが、隣国のルモティア王国へ向かうのですか」と怪訝な目を向けてきた。
「何か問題があるのか?」
「ルモティア王国は現在、一部の貴族の反乱で、長らく内乱状態だと聞いているので」
「今はそんなことになっているのか」
「『今は』って、もうかなり前から内戦状態よ。軽く十年は続いてるわね。いつの時代の知識を入れたのか知らないけど、ウォルスも知らないことがあるのね」とセレティアが嬉しそうに笑う。
俺が知っている十七年前のルモティア王国は、穏健な王で有名だったアルベリヌス三世が統治しており、そんな反乱が起こる気配すらなかったんだが……。
「まあどちらにしろ、猶予は一〇日しかないからな、ルモティア王国へ向かうのは変わらない」
「ですが、今すぐ早馬に乗れば、シャスター公国にならなんとか間に合うかもしれません。ウォルス様、今一度、ご検討のほどを」
ネイヤはどうしてもルモティア王国は避けたいらしく、しつこく俺の判断に食い下がってきた。
セレティアの安全や、その他諸々のことを考えれば至極真っ当な意見で、臣下の鑑ともいえる姿に、俺は目頭が熱くなるのを我慢した。
「それはできないのよ、ネイヤ。ウォルスは北にある鉱山都市に、観光に行きたいようだから」とセレティアが俺の感動に水を差すように言った。
当然の反応だが、ネイヤたち全員の目が、それはないだろう、と俺を睨みつけてきた。
「そのことだが、そんな場所へ行くつもりはない」
「じゃあ、さっきの話はなんだったのかしら?」
「あいつらの動きを知りたかっただけだ。今からセレティアは、ネイヤたちと宿に戻ってくれ。俺は邪教について調べたいことがあるから、別行動を取らせてもらいたい」
「何をするかは、教えてくれるのよね?」
「――――申し訳ないが、それは言えない」
俺が答えた瞬間、セレティアの顔に、憂愁の影が差したのがわかった。
「……そう、それでいつ戻ってくるの?」
「
「――――わたしはそういうのは嫌いなの、わかってるくせに。ウォルスが言ってくれないのなら、わたしがまだ、そういう存在でしかない、というだけでしょ」
セレティアはやれやれといった感じで言うと、俺の背中を両手で押した。
「遅くとも三日以内、なるべく早く帰ってくる」
俺はそれだけ言うと、一人西へ向かって駆け出した。