29話 兄の心配
アーサーはレナリアとよく似たタンザナイトの目を細めながら、ゆったりと微笑んだ。
「レナリアが倒れたのはあのアンジェという子を救う為だったと聞こえたのだけれど……。しかも離れた魂を呼び戻す? なんて無謀な事をしたんだ。今回は無事だったから良いようなものの、もしレナリアに何かあったらと考えると、胸が張り裂けてしまいそうだよ」
胸を抑えてうつむくアーサーの白い頬に、艶やかな黒髪がかかる。
窓から差しこむ光がレースのヴェールのようにその姿を柔らかく包みこむ様子は、まるで一幅の絵のように美しい。
だがレナリアは、兄が芝居がかった態度を取る時は、その後にお小言が続く事を知っている。
案の定、視線を上げたアーサーは唇の端を上げたまま、延々とお説教をした。
「大体レナリアは聖女になりたくなくて、こうして変装までして学園に通っているんだろう? なのになぜ聖女だと知られてしまうような行為をするのかな」
アーサーの言う事はもっともである。
レナリアはうつむいた。
「ごめんなさい、お兄さま」
「それに今聞いた話によると、シャインが手を貸さなければレナリアも危なかったとか。いいかい、お前はもう聖女ではないんだ。だから他人の為に……いや、自分以外の為に、命を使ってはいけないよ」
「……はい、お兄さま」
そう答えながらも、でも……と思う。
自分にしか救えないのであれば、命をかけるのが正しい事ではないのだろうか。
「もし誰かを救う為にレナリアに何かあったら、僕も両親もずっと悲しむだろう。たとえレナリアが救った人間が素晴らしい人であっても、僕たちはその相手を恨んでしまうと思う。確かに人の命の重みは、全て同じなのかもしれない。でも僕たちにとって、レナリアはこの世界でたった一人の大切な家族なんだ。だから自分を大切にしなさい」
前世で聖女だった時、幼いうちから神殿に引き取られたレナリアには家族というものがなかった。
聖女が誰かを救うために命を使うのは当たり前の事で、残された者の気持ちなど考えなかった。
でも確かに、一緒に暮らしていた聖女たちが、一人また一人と命を失う度に胸が痛んだ。
あの痛みは……家族を失ったからだったのだろうか。
そして、と思う。
レナリアが死んだ後のマリウス王子は……。
悲しんで、くれただろうか。
「分かりました、お兄さま。悲しませて、ごめんなさい」
「レナリアが倒れたと聞いて、本当に心臓が止まるかと思ったよ。詳しい話を聞こうにも、誰に聞いても支離滅裂で意味が通じなかったしね」
アーサーは反省してうなだれるレナリアの頭を、そっと抱きしめる。
「もう無理をしてはダメだよ。それにあんな偽聖女を助けるだなんて、もっての他だ」
「お兄さま、アンジェが嫌いなのね」
「当たり前じゃないか。元々レナリアを貶めるような事ばかり言っていたから、腹立たしく思ってはいたけれどね。今の話を聞くと、レナリアがいなければ死んでいたんだろう? それを本人が知らないとはいえ、命の恩人であるレナリアを、光の加護を得られないできそこないだと吹聴している相手など、好きになれるはずがない」
そこまでひどい事を言っているのかと、レナリアは驚く。
なぜかアンジェはレナリアに敵愾心を抱いているような気がする。特にレナリアが何かしたわけでもないのに、なぜだろう。
もしかして、シェリダン領の領民だから、何か領主一族への不満があるのだろうか。
だがレナリアの父、クリスフォード・シェリダンの領地運営に問題はないし、領民にも慕われている。
だからレナリアには、ここまで敵意を持たれる原因が全く分からない。
「ただ目くらましには役立つね」
「え……?」
アーサーの言葉に顔を上げると、相変わらず微笑んではいたが、目の奥が少しも笑っていない。
むしろ瞳の奥にブリザードが吹き荒れている。
「あの娘が聖女ともてはやされていれば、まさか本当の聖女がここにいるとは誰にも分からないだろう。もし知られてしまいそうになったら、あの娘を身代わりにすればいい」
「でも、私のせいで聖女になってしまうなんて……」
「あれだけ聖女になりたいとアピールしているのだから、やらせればいいさ」
「でもお兄さま。彼女には聖女になるだけの魔力はないみたいなの。魔法の発動すら難しいかもしれないって……」
「それほどまでに魔力が低いのかい?」
「フィルはそう言っているわ」
「そうか」
アーサーは少し考えこんだ。
「守護精霊との魂の結びつきの深さによって、使える魔法が強くなる事があるから……。がんばってシャインと仲良くなってもらうのを祈るしかないかな」
アーサーの言葉を聞いたレナリアは、それはきっと無理じゃないかなと、心の中で呟いた。